dream | ナノ

最近朝から多発する校外での乱闘のせいか、登校に至るまで様々な苦難を強いられる状況に陥り、自身が所属する教室まで数日辿り着くことが出来ない青年がいた。
釦が掛けられていない黒の学ランから覗く赤いTシャツ、青年期特有の幼さが見える顔立ちと金に染められた毛髪は長身と合わさり些か悪目立ちしている。
触りから近付きがたい印象が残るかもしれない相貌の割りには、線の細い体格に穏やかそうな顔立ちをしている彼――平和島静雄は校舎の屋上にて空を仰いでいた。
昼時ではあるが授業が受けれるであろう時間帯に久しく学校に辿り着くことが出来た彼は、授業までの時間を潰すため気付けば自身の定位置と化していた屋上に足を運んでいたのだ。
数週間前に自分が破壊したドアを押し開け校舎から外に出れば、己が入り浸るせいか滅多に人が訪れないそこは相変わらず静閑でいて、遠くから聞こえる人々の反響したざわめきが耳につく。
ぼんやりと空を眺めながら静雄は柵に寄りかかった。
何かを考えるでもなく、ただぼんやりと時が過ぎるのを待つばかり。
気の抜けたその姿は乱闘どころか喧嘩の一つも出来そうにない。
しかし、穏やかな表情を浮かべる顔面に貼られた絆創膏や傷の痕は紛れもない事実を違和感に乗せたまま周囲に撒き散らしていた。
知る人ぞ知る、という言葉通り。
見た目の義悪的な相貌とは不一致な、視認したならば穏やかでしかない青年は確かに普通ではない日常を過ごしている人物だった。
数分ぼんやりとしたままの格好で立っていれば、俄に騒がしくなった屋上に続く階段付近に気付き静雄はそっと静かな動作で空から視線を外す。
穏やかではない雰囲気を察して若干眉を寄せながら閉まっている扉を見つめれば、見覚えの無い高学年と思われる男達が仰々しくそれを開いた。
屋上にぞろぞろとむさ苦しい男達が来たかと思えば、柵を背後に完全に囲まれた形で包囲された彼は険悪な眼差しで余所を睨み付ける。
彼はここ最近、むしろ高校に入学して以来ほぼ毎日こういった状況にさらされていた。
今もまた、理不尽ないちゃもんと不快な罵声罵倒が飛び交い、屋上の静かな空間がぶち壊しになっている。
間髪いれず騒ぎだした周囲に余所を向き、見ないようにしようとしていた彼の小さな努力は泡沫の泡と化した。

「しーずおちゃんよお?てめえここ数日校内じゃ大人しいがやっと自分のミノホドってやつ理解したのか?あ?先輩様々に敬意でも示す気になったか?お?」

「散々暴れといて今さら大人しくなっても遅いっつーの?」

「てか他校の弟が手前のせいで入院したんだがどうしてくれんだっつーの。百万つんでも慰謝料にもなんねえぞてめえコノヤロー。てことで大人しくなったんなら反省じゃなくて誠意を見せるべきじゃね?黙ってねーで金出せや」

「金ねえならさっさと死ねよなー、あっても殺すけど!」

「ギャハハッ!もっちゃんパネェ!」

「一年坊がスかしたでけえ面してんじゃねえぞゴルァ!」

頭の悪そうな彼等は隠しもせず高らかに下品な馬鹿笑いを響かせる。
どうやら校外乱闘が主だった静雄の事情など知らぬ輩が、数日姿を眩ませていた理由を自分達の都合の良いように解釈してお礼参りに勇んできたようだ。
お礼参りというよりも、金をせびりに来たと言った方が正しい。
口を開かず、そんな物騒な状況の中心にいる静雄は沈黙を保ったまま微動だにしなかった。
涼しい顔で聞いているのかいないのか、一点を見詰めたまま彼はその罵声を聞き流す。
しかし、彼のことをよく知る人物がいたなら一も二もなく即座にこの場から逃げ出していることだろう。
朝から校外での乱闘を終えうんざりしている状態の彼は、嫌でも聞こえる戯れ言と増える嘲り笑いに体のいたる所から青い筋が浮かび上がるのをひしひしと感じていた。
その感覚が自分を徐々に、しかし急速な怒りとして全身を侵していく。
余所見をしたまま反応を見せない静雄に痺れを切らしたのか、一人の男が一際強い罵声を吐いたあと釘が無数に打ち込んであるバットを躊躇なく振りかぶった。
手加減すれば負けるとでも思っているのか、素早いその動きは微塵も躊躇がない。
己を鼓舞するかのような叫び声に反応し、視界の端でそれを確認してしまった静雄は元から無い堪忍袋が頭の中でブッツンと弾け飛ぶ音を聞いた。
沈黙を破り、握り拳で堅めた腕を襲い来る凶器に向けて突きだせば、有り得ないことにバギャッと豪勢な音をたてたソレは釘の刺さったただの木片に変貌する。
素手の拳で釘バットをへし折るという現実とは思えないその光景に、無謀にも先陣を切ってしまった男はポカーン、と振り抜いた状態のまま動きを止めた。
拳を突き出した勢いそのままに、静雄はその男の頭をグワシッと鷲掴む。
やっと表面に分かりやすく浮かんだ、青筋が無数に存在する顔に凶悪と言える笑みを最大限主張しながら彼は周囲を射殺さんばかりに睨み付けた。
ごくり。
怒りの矛先を向けられた者達は、その様変わりした圧倒的な存在感に唾を飲む事しか許されない。

「疲れ果ててる人様の貴重な休息を邪魔したあげく金出せやら意味わかんねえ事ベラベラほざいて、しまいにゃ人間軽く殺せるような凶器で襲い掛かるっつーことは自分が殺されても文句はねえってことだよなあ…先輩様々よお?」

その後は言わずもがな。
手に掴んでいた男をまるで野球ボールを投げるかのように軽々しく投げ飛ばす。
文字通り捻り千切った屋上の柵で、襲い来る輩も逃げようと腰が引けている者も関係無く全員をまとめて吹き飛ばす。
穏やかな空気を霧散して暴力の化身へと姿を変えた静雄は、頭に血が上った状態で次々と辺りを蹴散らしていた。
圧倒的でいて理不尽なまでの力で人を次々と沈めていく彼は、何を馬鹿なと思うかもしれないが暴力を嫌悪している人間だ。
しかし、周りの環境は理不尽にも否応なく彼に暴力行使を強制付け、また、自制することを忘れた彼の身体は最大限にそれを奮う。
制御できない理不尽な、大っ嫌いな力は災厄を呼び寄せ心から望む平穏を彼から遠ざけていた。
故に、彼はそんな自分自身が大っ嫌いだった。

「…また、やっちまった…」

静まり返った屋上。
肩で息をしながら、原型の留めていない凶器だった物、凶器だった者、自分に敵意を向けた全ての『凶器』を破壊した静雄はポツリ、小さく消えそうな声で呟いた。
見るも無惨な屋上は、もはや誰の憩いの場にもならない。
――畜生、俺に暴力を使わせやがって、畜生、ただ静かな所で休みたかっただけなのに、畜生、畜生、畜生。
頭を巡る言葉は最近では慣れたくもなかった理不尽に対する罵倒と後悔。
平穏に、何事もなく普通に過ごしたいだけだというのに、自分自身がそれを許さない。
そんな自分自身が、嫌いで大っ嫌いで仕方ないのだ。
整わない呼吸に嫌気がさして、深呼吸をしながら若干俯いていた顔を空に向ける。
嫌味なほど清々しく青い空を見つめ、周りとは違うその穏やかさに怒りもおさまり静雄は気分がスッとしたのを感じた。
しかし、このまま授業を受ける気にもなれず今日はもう帰るか、とぼんやり考えていたところ。
背後から聞こえた足音に彼はバッとその場を振り向いた。
――まだ動ける奴が居たのか?
通常なら一発お見舞いすればよほど頑丈でない限り誰も動けなくなるためフッと浮かんだ疑問。
だがその疑問も、振り向いた先に居た人物により瞬く間に消え去ってしまった。
――…あ?
予想外も予想外、振り向いた先で動いていたのはまったく見知らぬ、この場には似つかわしくないただの女だった。
――なんでんな所に…。
新たに浮かんだ疑問は困惑も含まれる。
叫ぶでもなく、怯えるでもなく、むしろ意味がわからないことに眠そうな顔をしながら倒れている男や凶器を踏みつけて歩き続ける、女。
――……なんだこいつ。
理不尽なことだが、自分の事は棚にあげて静雄はその光景に呆気にとられていた。
普通、避けて歩くならまだしも何事もなくそれらを踏みつけて歩く女が居るだろうか。
凶器や柵といった無機物の類いならまだわかるが、明らかに負傷しているガラの悪い男達をも遠慮なく踏みつけるその姿はある意味清々しささえ感じてしまいそうになる。
普通なら避けて通るか、むしろ遠ざかるであろう障害物を踏み越え歩くその姿は彼に意味のわからない衝撃を与えていた。
自分が作り出した光景とはまた違う新たな理不尽。
それを目の当たりにして、思わず、そう意図せず。

「おい」

自然と投げ掛けてしまったこの声が、彼女との繋がりを持ってしまったことに彼は気付かない。

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