dream | ナノ

自販機で新しく飲み物を買い教室に戻れば、唯一の持ち物である鞄を手にした名前は迷いなく教室を後にした。
眠気に支配されている今、授業を受ける気など更々無いため堂々とサボる道を選択した結果だ。
教室を出たあとの足取りは行き先が決まっているため良好で、眠気を我慢した些か険しい表情のまま名前は階段を上り続けた。
校内でのサボりスポット、その上昼寝をする場として考え付く場所など眠気で単純な頭では一ヶ所しか浮かばない。
黙々と階段を登り、昼休みの終わりを告げる予鈴を耳にすれば、そういえば、と少しの予感が彼女の頭を過った。
――鍵掛かってたらどうしよ…ヘアピン曲げるしかないか。
普通の人なら浮かばないだろう選択を極自然にしながら歩き続ける。
やっとのことで辿り着いた扉の前で若干乱れた息を整えれば、本鈴が鳴るのを耳にしながら名前は躊躇なく取っ手部分に手をかけた。

「…あ?」

しかし、取っ手にかけたはずの手がスカッと宙に空ぶる。
――ノブがない…だと…?
ちゃんと視認していなかった薄暗い扉に視線を向ければ、それらしい突起物もなくむしろ根刮ぎ壊されている様子のそれはもはやただの壁。
意味のわからないそれに名前は些か戦慄したが、試しにノブ無しの扉を恐る恐る押してみれば案外簡単に動いたためそのあっさり加減に彼女は即座に拍子抜けした。
――随分過激な壊し方する輩がいたもんだ。
安堵した途端眠気は最高潮に達したため、あまりに不自然な現象もまったく深く考えない。
開かれた扉の奥、足を踏み入れながら目の前に広がる青い空を想像して――

「……あ?」

――いたのだが。
名前の眼前に広がった光景はそんな生易しいものではなかった。
コンクリートの上に散らばる無数の凶器らしき残骸、倒れ伏す屍類類、もとい男子高校生数人が呻き声もなくその場に沈んでいた。
黒の学ランが沈まる、想像していた光景とは180度違う屋上の光景に名前は数秒停止する。
――…ああ、喧嘩か。
見慣れている、いや、見慣れていたと言える光景を冷静に分析すれば自分を取り戻した彼女は瞬時に状況を理解した。
スクリーンを見つめるような感覚で無惨な屋上を見渡せば、黒く沈む地面のちょうど真ん中に一人の男が空を仰ぎ佇んでいる後ろ姿を見付ける。
普通の人なら慌てふためくか、青ざめて逃げ出しても仕方がない光景。
だが、そんな惨状を目にしても、名前はふーんと頭の中で呟く以外別段感想が無いままその光景を見ていた。
明らかに喧嘩で敗北した風体で地面に沈む男たちと、肩で息をしながらも真っ直ぐに立っている一人の後ろ姿。
何があったかは一目瞭然。
――懐かしいなあ…。
若干ずれた事を考えながら、名前は一人で立ち竦んでいる男の背中をぼんやりと見ていた。
離れた距離からでもわかる長身、爛々と降り注ぐ太陽光を反射して煌めく金髪。
たった一人でこれだけの人数を倒したのだろう金髪の男を見て、名前は恐怖を感じる以前にむしろ関心を示していた。
――あいつ細っこいのに強いんだなあ、私もこのくらいの人数倒したことあるけどあんな綺麗に立ってられなかったなあ、すげーなあ。
自分の黒歴史と言える中学時代の喧嘩三昧な日々をぼんやり思い出しながらこんなことを考える。
若干肩で息をしている金髪男の後ろ姿を見つめれば、この乱闘は少し前に終わったばかりなのだと推測した彼女は直ぐに頭を切り替えた。
――終わってんなら話は早い。
目の前の惨状とも言える光景を意識から早々に外せば、まるで何事もなかったかのように止めていた足を再び動かす。
自分にはまったく関係の無いこと、これのせいでせっかくの昼寝を中断するという選択肢は彼女の中に存在しない。
眠気が飛んだということも無ければ、むしろ今にも瞼と瞼がくっつきそうで欠伸しか出てこない状態だ。
倒れ伏す男達を避けるでもなく踏みつけながら歩き、何故か転がっている屋上の柵も躊躇なく踏み越える。
――なんで柵…?どうでも良いか。
眠気に支配された今、名前は大体の事はどうでも良かった。

「おい」

「……あ?」

不意に掛けられた声に、眠気のせいか反応が遅れながらも彼女は視線をそちらに向けた。
ぼんやりとした頭では最初自分に掛けられたものだとわからなかったが、この場に意識があるのは己と金髪だけだと思い出した名前は貯水棟へ登る格子に向けていた歩みを止め、自分に声をかけたであろう男を不機嫌顔のまま見やった。
実際は眠気のため険しい顔をしているだけだが、その顔は睨んでいるようにしか見えない。

「こんなとこ…入ってくんじゃねえよ」

「…はい?」

キョトンとした素直な疑問を口に出せば、それが意外だったのか男は小さく表情を歪めた。
――なに言ってんだこいつ。
昼寝をしに屋上に来ただけの彼女からすれば、その言葉は女は屋上に来るなとしか捉えられないため頭の中で不満を呟く。
眠気時の思考回路が極端に浅薄な名前は不快感を隠しもしなかった。

「あー…意味わかんないんですけど」

「…んだその目、喧嘩売ってんのか?」

「眠いから目付き悪いんだよ悪かったな。屋上来んじゃねえって、喧嘩売ってんのそっちだろ」

「は?」

「……え?違うの?」

名前の言葉に男はキョトンとした反応を見せた。
言葉にしなくても『なに言ってんだこいつ』と考えているのがありありとわかる表情を向けられ名前は首を傾げる。
――えー…あれ?どゆこと?
二人の間に沈黙が流れる。
揃って首を傾げる姿は端から見れば滑稽だろう。

「…普通んなとこ見たら逃げ出すもんだろ、危ねえしよ…特に女は」

視線を外されながらポツリと呟かれた言葉に、名前は寝ぼけ頭を働かせた。
――えー、つまりー…どう見ても乱闘あとのところに入ってくんなよ、危ないだろーって言われてるのか…女は喧嘩なんて見たらすぐに逃げ出すもんだってことで…あ、屋上に入ってくんなって意味じゃないのか…あー。
――なんだ、ただの勘違いか。
ゆったりと考えながら、噛み合わない会話に納得のいく答えを見付けた名前はヘラリと気の抜けた顔を浮かべた。
寝ぼけている自覚、申し訳なさと勝手に勘違いしたことによる少しの羞恥心が浮かぶ。
急に笑顔を見せた名前に男は更に眉を潜めた。

「んー…ごめん、勘違いした」

「は?」

「心配して言ってくれただけっぽいのに、噛みついてごめんよ。いやあ、眠気半端なくて頭働かないからさー、あんたは私に女だから屋上入んなって言ったと思って…」

「屋上は皆のもんだ、んなこと言わねえよ」

「うん。だから、ごめん。許して」

「…おう」

羞恥心で少しだけ逃げた眠気がまた戻ってこない内にと、謝罪の意味を込めて胸の前で両手を合わせ軽く頭を下げる。
どこか戸惑った声だが、一応許して貰えたらしい返事を確認した名前はわりと直ぐに手を下ろした。
――よし、これで話は終わりだ。
勝手に自己完結しながら欠伸を噛み締める。
早々に格子を上ろうと再び歩きだす呑気な彼女を見て、目を吊り上げた男は戸惑いながらも勢いよく声を投げた。

「おい!」

「ん?…まだなにか?」

「だからなんでこんなとこ見て手前は未だにそこ登ろうとしてんだよ、出てくだろ普通」

些か苛立ちながら投げられた言葉に名前も眉を潜める。
普通、普通と一般常識を盾に勝手に自分の行動を妨げられる意味がわからない。
一般常識というのはその他大勢が選ぶ選択肢の中で一番確率が高く道徳的な事を指す言葉であり、残念ながら名前はその確率から外れた少数派、いわゆる道徳も知るかと投げるような変人なためそんな言葉は通じない。

「なんで私が出てかなきゃ行けねーの。私は寝るの、あんたこそ喧嘩終わったなら早く出てけば?そいつら目覚ましたらまた向かってくんじゃない?面倒いことなるよ」

内心、こんなずたぼろにやられたのにまた向かってきたらバカすぎるから無いだろうと思ってはいるが。
名前はどうにも引かない様子の男を追い出そうとしか考えていなかった。
――視界霞む、怠い、とりあえず寝かせてくれ。
そんな胸中の我儘は誰にも届かない。

「尚更んなとこいたら危ねえだろ」

「私が?関係ないのに?」

「何されるかわかんねえぞ」

「…エッチー」

「は?……いや違う!そうじゃねえ…っ!」

「…あ、ごめん。私の頭がピンクだった。ごめん、すみませんでした」

不本意すぎる言葉を投げられたせいか赤面した男に怒鳴られた名前は、その初な反応に内心少しだけ焦りながら腰を低く謝罪した。
意味を理解した途端顔を赤らめて否定してきた男を見て、こういう軽口には免疫がないのを彼女は早々に悟る。
免疫がない人にこういう話題は禁句なのは身をもって知っていた。
昔照れ隠しでやられた肩パンの威力は記憶にこびりついていて一種のトラウマだ。

「あー…仕方ないな」

取り敢えずどうしても寝たい。
今のところ睡眠確保以外は二の次でしかない。
相手にするのが面倒という思考に行動が支配される段階まで眠気がきている。
――取り敢えず眠い、あー眠い、ガチ眠い。
脳の叫びが単純になってきたところで、眠気が増した頭が一つの突拍子もない提案を閃かせた。
――あ、これなら良いかも。
のそり、未だに赤い顔をした男を見ながら名前はちょいちょいと小さく彼を手招いた。
急にテンションが落ちた上、更に手招きまでしてきた名前に男は不審な目を向ける。
怪しい、がしかし、呼ばれているなら近付くべきかもしれない。
初対面な上に意味がわからない女のいうことを聞くべきなのか一瞬疑問に思った男だが、先程の苛立ちもすっかり消えた今彼は考えることをやめた。
考えることが苦手な彼にとって、イラつかないならすべてどうでも良いことなのだ。

「はーい、先に登って登ってー」

「は?ちょっ、おい、」

「良いから良いから、行った行った」

名前はぐいぐいと傍に来た男の背を押して無理矢理格子を登らせる。
意味がわからないまま反論の余地なく、勢いのまま格子を登りきった彼に続いて名前も鞄を背中に背負いながらノロノロとそれを登りきった。
とりあえず意味がわからないので文句を言おうと男は口を開くが、手首を急に握られたことによる驚きで言葉が喉に詰まる。
なにも言わないまま名前は貯水槽の裏に周り、倒れた男達からは死角になる位置に来るとそのままそこに座り込んだ。

「んー?…何してんの、座んなよ」

「は?」

握られた手首をグイッと引っ張られ男は名前のすぐ横に座らされた。
まったく理解できないためか彼は苛立ちよりも先に呆気にとられる。

「なんなんだ手前…」

「えー…私はここで寝たい。でもあんたはお節介?だから、危ないかもしんない屋上で私を一人にさせたくない。だったらあんたもここに居りゃ良いじゃん」

「…は?」

「あんたが居りゃ私の安全は確実だろうしねえ…どうせこのあと暇っしょ?だったら好きなことしてて良いからここ居てよ。暇じゃないなら別に消えても良いし……あー、ダメだ」

「は?」

「限界…」

「な、ちょっ」

バタ、と音をたてながら名前は男の胡座をかいた膝に倒れ込む。
うまい具合に膝枕の形になったのは狙ったとしか思えない。
急なことにカチン、と男は固まったが、膝元に頭を預けた見知らぬ女が数秒後には呑気な寝息をたて始めたのに気付きどっと脱力した。
わからない、本当に意味がわからない。

「……俺を誰だか知らねえのか」

爆睡している顔を覗き見ながら、この態勢でどうすりゃ好きなこと出来んだと内心愚痴り空を仰ぐ。
変な女が居たもんだ、と。
妙な気持ちになりながら。

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