dream | ナノ
なんだか疲れたなあ、と愚痴をこぼし赤く染まる空を見上げながら微かに笑った。夕暮れは優しく俺を照らしながら、そして静かに色を変えていく。徐々に迫り来る暗闇が嫌に恐ろしく感じて、柄にもなく弱気になっている自分が可笑しい。
暗闇が好きだった。世界に自分が一人だと錯覚させる暗闇は、その逆自分は確かに生きているのだということを教えてくれる。暗闇が、好きだった。けれど今は全てを隠し覆いつくす、迫る夜空が恐ろしくてたまらない。
「よくやった、よなあ…?」
無意味な独り言、濁る声が更に擦れて眉を寄せた。本当に俺は、よくやった方だと俺自身を誉め讃えたい。
優しく浮かぶ夕暮れに触れられそうな気がして、空に手を伸ばそうと腕を動かした。淡く、滲む優しい赤。
「やっぱ、無理か…」
伸ばしたはずの腕はやっぱりそんな錯覚を感じていただけで、何も掴むことは出来なかった。と、いうよりも。掴めなかったどころか、動かすことすら出来なかったのだからまあ、しょうがない。頭の中では動けと精一杯命令しても、生意気なことに肉体の方は少々限界らしい。頭は冴えているのに。顔の筋肉以外はまったく動かないこの現状に、しぶとさだけが取り柄だった自分の最期を感じて思わず、またもや口元がゆるんだ。まったく、相変わらず呑気なものだ。己のことながら些か呆れた。
「エ、エクソシスト様…っ!!」
「…あー?…おー…無事、だったかあ……一応、任務は、遂行したぜえ…」
「そ、それより医者、医者を呼ばなくては…っ!」
「あー…無駄だから、いーって……それより通信機…貸してくんねー、か?」
タイミング良く、そこいらの適当な場所に非難させてた探索部隊の奴が顔を青ざめながら走り寄ってきた。破壊されたアクマの残骸が気になるのか、横たわる俺の周りに目を配り挙動不振になっている。医者と騒ぎながらどこかに駆けて行きかけたソイツを止めて、背中に背負ってある通信機に目を向けて事を告げた。コイツもバカじゃないだろうから本部への救援や報告は済んだ後だろうけど、今用事があんのはそんな内容じゃない。
「…俺のゴーレム……ビィは、どこだ?」
「こ、こちらにいます」
「あーじゃあ…ビィに、繋げて、くれ」
「は、はい……繋げました!ど、どうしますか?!」
「んな、焦んなって…」
ったく、男だろうが。内心で吐き捨てながら、そういえばコイツとの付き合いもなかなか長いなーと考えて、だからどうしたと考えるのをやめた。ただでさえ目の前で泣きそうな奴がいるのだから、これ以上辛気臭い事は考えたくない。それに、んな事考えても、気持ち悪いだけじゃねーか。俺は傷心に浸るようなそんな人間じゃない。
コードに繋がれたままパタパタと近づいてきたゴーレム、ビィに思わず微笑む。コイツとは入団以来のパートナーだからだろう。名残を惜しむかのように頬に擦り寄ってきても、不快なものは感じなかった。
「ビィ…925192だ…繋げて、くれ」
もとから刷り込んでた暗証番号を告げて、一度溜息を吐く。なにを告げようか、なにを残そうか。若干霞んできた視界に内心で舌打ちをして、俺の胸元にちょこんと着地したビィから聞こえる通信音を聞く。視界に映る空は半分が紫色になりかけていた。
『…はい、こちらリナリー。誰?』
「…リナリー?」
『…え?どうしたの?任務中のはずじゃ…』
「おう。いや、でも今、終わったっつーか…。最期の挨拶でも、と、思ったから…連絡、してみた」
『……え?』
直接ではないにしろ、耳に触れた簡潔なその疑問の言葉が震えていた。まあ、わかるよなあ、こんな言い回しじゃ。
どうしても、最期に声が聞きたかった。どうしても、伝えたいことが君にある。わざわざコムイの目をすりぬけて友人の科学班にビィを細工させた甲斐があったってもんだ。デートのお誘いとか軽ーい理由だったから、こんな用途で使うつもりは、なかったはずなんだけど。
震える彼女の声が鼓膜に届いた途端、俺はそれまで霞みかけていた思考を少しだけ取り戻した。そして、気付く。自分が彼女になにを告げようとしたのか。何を伝えたくて連絡したのか。なにを背負わせようとしたのか。気付いて良かった。
言えるわけが、ない。
『最期、って…なんで…?』
「…ハハ、ごめん。……泣くな、よ…?」
『な、なんで?どうして…っ!…今どこにいるの?!』
「こーら、おまえも一応、任務中だろうが…てか今、大丈夫な、わけ?」
『帰りの汽車よ、今から行こうと思えば行けるわ!ね、だから大丈夫、助けに行くから。最期の挨拶なんていらないから場所を──』
「いや、必要ないから…お願いだから、聞いて、くれ」
今度は声を飲み込む音が聞こえた。あーもう、お人好し、じゃなくて、無鉄砲?…これも違うな。このタイミングで止めなきゃ確実に彼女はこの通話を切って、そして移動しながら本部で俺の居場所を調べて、来る。それだけは阻止しなければいけない。こんな不様な姿、見せられるわけねー。
「そうだ、な……言いたいことは、山ほどあんだけどさ……」
そう、言いたいことは、それこそ死ぬほどあるんだ。リナリーにだけじゃなくて、たとえば、コムイにはシスコンなのはわかるがリナリーのためにも程々の域に抑えとけ、とか。ジェリーにはアンタの飯が世界で一番うまかった、とか。科学班の奴らにはコムイの目を盗んで色々協力してくれた礼も言いたいし、エクソシストの仲間や友人たちには、死ぬんじゃねーよとか、そんな無理難題を押し付けたい。師匠には…借金完済してねーから逆に恨まれそうだけど……まああの人のことだ、うまくやるんだろうし俺からの言葉なんてキモいだろう。きっとアレンに全て押し付けるに違いない。すまんアレン。若い身空に借金地獄を押し付けるこの兄弟子を許せ。でも最後に一度くらい“くたばれ”くらいは、師匠に言いたかった。他にも、他の奴らにも、言いたいことは腐るほどある。目の前の探索部隊にも、そんな豪勢に泣くんじゃねえよと一喝したい。けど、そんな元気はもう、残ってない。
リナリー。今後は今みたいに考え無しで突っ走らないように気を付けろ。何かあったら神田のところに行くように。色々と危ないからラビとは極力二人きりになるな。それと、何があってもコムイだけは信じてやれ。まあ、これは言わなくてもやるよな。
何か言おうと口を開くたび、昔の情景が浮かんで伝えたいことが増えていく。初めて出会ったのは薄暗い森のなか、極度の疲労で倒れてた幼い君を、まだ何も知らなかった森住まいの幼い俺が偶然見つけた。今思えばあの時は幸運だったな、あの状態で彼女がアクマと出会わなかったのはそれ以外言い様がない。あの日から俺の世界は変わった。リナリーがその任務で手に入れたイノセンスの適合者となり、連れていかれた本部にて何故かその時そこにいた師匠の弟子になり拉致され、数年の修業の後ホームに行けば、再会した彼女の元気な姿と笑顔に心を奪われた。自己を顧みない自己犠牲の愛に放っておけないと眼を奪われ、兄や自分の世界を守るために戦うという告白に、愛すらも、奪われた。言いたいけれど、言えない言葉がある。
今すぐ、逢いたい。
「…なんでも一人で、抱え込まない、こと」
『っ…うん…っ』
「戦争…終わらせろ、よ…」
『うん…っ』
「…リナリー」
『っ…な…なあ、に?』
視界が歪む。聴覚が滲む。擦れる喉が血を吐きだし、視界は黒と紫の渦しか見えなくなっていた。ああ、怖い。俺の全てが闇に染まる。なあ、リナリー。こんな俺のために、そんな息が詰まるほど泣かないでくれ。
「…リナリー」
愛してる。
「生きろ」
酷な言葉だと理解している、けれど。この言葉は伝えない。でも、偽りのつもりで伝えたこの言葉も、間違いなく俺の本心、だ。
20101218