dream | ナノ


世界は惨く、等しく残酷だ。
宿舎の片隅、放置されていた木箱に座りながら壁に背を預けぼんやりと空を仰ぐ。
雲一つ掛からない晴天の夜は些か眩しい満月が一帯を静かに照らしていた。
さやさやと流れる風に揺られ掠れた音を奏でる草木、遠くの厩舎からはいまだに目が覚めているらしい馬の小さな嘶きが聞こえる。
視点が定まらない意識にぼんやりと空に目を向けていれば、自然と耳に入る閑寂。
壁外では決して得られたことのない、無条件の安堵を心身に刻み付けながら彼女は懐から小さな箱を取り出した。
慣れた手つきで一本摘まみ、軽くくわえながら火種を取り出す。
シュボッと聞き慣れた音と共にマッチの先端に火が灯れば、それに視線を向けることもなく月を仰ぎながらくわえた煙草の先端に火を点した。
息を吸い込み移り火したのを上る煙で確認すれば、手首だけを動かしヒュッと片手で火種を殺す。
愛煙している煙とはまた違う匂いを嗅ぎ、それもまた慣れた日常だと何も考えないまま息を吐き出した。
唇から吐き出された煙が夜空の月を暈す。

「……ふう」

肺の奥から深い溜め息と共に、月明かりに照らされながら煙が昇った。
若干かさついた唇から吐き出されたそれは勢いを殺してゆるり、暗闇に溶けていく。

「……疲れた」

心中から吐露された無意識の言葉を実感すれば、張り詰めていたものが霧散しどっと脱力感に襲われた。
機械的に指先の物を吸い込み、そしてまた身体の中にあるモヤモヤとした心情ごと吐き出すように息を出せば静かに瞼を閉じる。
月明かりの下、聞こえるのは穏やかな孤独。
月光を遮り閉じた瞼の奥に映るのは決して静かな暗闇ではない。

「…はあ」

瞼の裏にこびりついた惨事。
瞼を伏せれば自然と浮かび上がるそれに感じるのは怠惰な億劫さ。

「…酷いもんだ」

スゥと煙を肺に流し、内に溜まった柵を押し出さんばかりに空気を全て外に吐き出す。
掠れた声で呟いた独り言に苦笑した。
いったい何を指しての言葉なのか、自身ですら曖昧なそれに彼女は微かに眉をしかめた。

「名前」

一人の世界に浸っていた名前の意識にぽつり、不意に浮かんだ乱入者の声で閉じていた瞼を開く。
最早見慣れた人物が、月を背にこちらを見据えているのを彼女は驚くこともなく視界に捕らえた。
数時間前、最後に見た彼の姿格好は既に無い。
夢見心地のまま茫然と視線を絡めていれば、無表情に不機嫌さを滲ませた男が盛大な溜め息を吐きながら口を開いた。

「てめぇ…何してやがる」

「月見」

「何故着替えてねぇ」

「……さあ?」

「汚ねぇ」

「そう。……てか何、なんか用?」

長くなった灰を地面に落とし、再び煙を肺に流す。
話し掛けてくる乱入者に適当な返事をしながら、彼女は再び煌めく月明かりを澱ませた。

「放っといたら一晩此処で過ごすだろう馬鹿を引き取りに来た」

「へえ、ご苦労なこって」

「おら、行くぞ」

「放っといてくんない?」

「断る、行くぞ」

憮然な態度で歩を返した男の背に目を向ければ、数歩進んだところで立ち止まる彼に小さく息を吐く。
隠しもせずに出されたそれは彼にも聞こえたことだろう。
立ち止まったままピクリとも動かないその後ろ姿に、何を思ったのか彼女は緩く言葉を紡いだ。
ただ、誰でも良かったのかもしれない。
誰でもいいから、誰かにずっと吐き出したかったのかもしれない。

「今日の壁外でさ」

「……」

「食われたんだよね」

「…誰が」

「幼馴染み」

根っこで火の消えた煙草を片手に、再びぼんやりと月を眺める。
瞼を閉じれば浮かぶ血溜まりの場景。
幼馴染みと言えど、決して仲の良い間柄ではなかったと言えるだろう。
幼馴染みと言うよりは腐れ縁に近かった人物であり、何かと衝突するどちらかと言えば鬱陶しい部類の友人。
気が付けば傍に居た。
初めて出会ったのは聞いた話では生まれたその日だという、そんな在り来たりな幼馴染みが今日、目の前で惨たらしい壮絶な最期を迎えたのだ。

「嫌いだと思ってたんだけど、どうやらそうでもなかったみたいでね」

「……」

「はあ…あーあ」

ぽっかりと穴の空いたような喪失感は、解消することなく心に風を巻き起こす。
壁外へ出る度に何度も感じる喪失感。
しかし、今回は今までの比ではない。

「聞いてよ、リヴァイ」

「聞いてる」

「……やっぱ良いや」

「言え、命令だ」

「……ばーか」

フッと鼻で笑いながら振り向くことのない背中を見つめる。
どうしようも無かったのだ。
ただ純粋に、辛くて痛くて仕方がない。

「すんごい、悲しい」

掌の煙草をギュッと握り潰す。
くしゃっと軽くひしゃげたゴミの残骸。
同じように潰され、果てに食われた幼馴染みは最後に何を思ったのか。
相手の好んでいたこれの煙は、最後まで名前にそれを教えることは終ぞ無かった。

「…ただ悲しむだけか」

「…まさか」

「なら、良い」

握り締めた拳を見つめて溢れんばかりの憎しみを肥やす。
ただ悲しむだけならまだ良かったのかもしれない。
しかし、そうそう悲観に暮れていられる性分ではないのだ。

「行くぞ」

「…うい」

握り締めた残骸を灰皿に突っ込み立ち上がる。
掌についた炭をはらうが、こびりついたそれは取れることなく黒い痕を残していた。

「話ならいつでも聞いてやる」

「…ありがと」

「だから一人で泣くんじゃねえ」

「…最後の最後でそれ言わないでよ」

「知るか」

終始背を向けたままの彼が歩き出した姿を見つめる。
拭うこともせず流し続けていた雫を袖に擦り付け、彼女は前を見据えた。
袖の残り香に頬を緩める。

「…やっぱ嫌いだよ」

叱咤されたような気がして、苦笑をもらしながら彼女は走った。


2013.8.6

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