dream | ナノ


耳を掠める拙い呼吸音に名前の動悸が激しくなる。早く、早く、早く。そう望んだところで現状がかわることなどないと分かっていても、信じていない神に縋りたくなるほど今の彼女は混乱し、そして願っていた。体温の通わない冷たい掌を握る。目の前のベッドで横たわる己の主のあられもない姿を光の宿らない瞳で見つめながら、思わず唇を噛み締めた。口のなかに鉄の味が広がる。名前は泣きたかった。けれど泣けなかった。主は悲しいときこそ笑顔であれと言い聞かせていたので、彼女はそれを忠実に守った。けれど、笑顔ではとても居られない。涙は流せず、笑顔もつくれない彼女は傍から見れば無表情で。その表情のままただ一心に主を見つめている情景は、哀愁が漂いけれど若干恐ろしげにも見えた。

「ボス、ボス、まだ逝っちゃ駄目だよ」

無表情な彼女から漏れたその言葉は哀れなほど酷く震えていた。ボスと呼ばれベッドに横たわっている女性は、息を微かに荒げ額に汗を滲ませている。周りに居る何十もの男たちも彼女と同じようにボスに何度も話し掛け、瞳に雫を蓄めながらその時を待っていた。

「ボス、ボス、もうすぐだからね。もうすぐγ達帰って来るから、お願いだから頑張って」

名前は一人の男を待っていた。主の愛しき者を皆が待っていた。甘い睦事など彼らの間には無かったことを知っているが、それでも心を通わせていたことも彼女は知っていた。そこには確かに愛があり、そして深く結ばれていたことも。今にも消え逝きそうな命を目の前にして、荒い呼吸の収まりつつある主に目を見開く。この呼吸の静けさは、症状が軽くなりなるものではなく呼吸気管の低下によりなるものだ。ああ、きてしまった。消えかけの燈に心の中で涙を流した。

「ボ、ボス、ボスッ!や、だめっ、」

部屋中にボスを呼ぶ声が鳴り響く。早く、早く。中々あらわれないγに苛立ちが募る。最愛の人が消えそうなのだ、愛しい者が消えそうなのだ。
一番大事なときに居てやれなくてどうする。

「…ボス?」

虫の息ほども無い彼女の唇が弧を描く。最後の力を振り絞るように一度にこりと笑んだかと思えば、それは消えた呼吸とともに影を隠した。無機質な音とともに流れる透明な彼女の雫。
初めて見るその美しさに名前は声を失った。



姿無き想い人

私の最愛の人が貴女を愛していました。私の最愛の人が貴女を護っていました。なので私も貴女を愛し、そして護ろうと誓ったのです。屈託の無い笑顔を皆に振りまき、私を、皆を、彼を愛し護り続けた強い貴女を。

2008.12.18


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