dream | ナノ
夕空が彩るその下、池袋の街並を駆け抜ける。
普段は故意に意識から外している周囲に目を向け、行き交う人々を静雄は走りながらも注意深く睨めつけていた。
「クソ…ッ」
路地裏に周る一歩手前の場所で足を止め、一呼吸置けばその場から見える限りの人波からたった一人の姿を捜す。
名前を捜し始めてから時間だけが過ぎていき、手掛かり一つ無いこの状況に静雄の中の怒りと焦りが増していた。
事は今から数十分前に遡る。
『静雄、大丈夫か?』
「おうセルティ。偶然だな」
乱闘に終止符をつけ一息ついていた頃、たまたま通り掛かったフルフェイスメットの知人に声を掛けられた静雄は気軽に言葉を返していた。
可愛らしい猫耳のついた黄色のフルフェイスメットをかぶる静雄の友人、セルティ・ストゥルルソンはその見た目に反し人間ではない。
デュラハンというアイルランドからスコットランドに伝わる妖精の一種であり、伝承の中では自ら切り落とした頭を腕に抱え、コシュタ・バワーという首無し馬を操る姿が有名だが今目の前に居る妖精の姿はそうではなかった。
シューターと名付けられた首無し馬を光も反射させないバイクに変化させ、自らも黒のライダースーツに身を包むその妖精は若干の違和感を漂わせながらも比較的まともに池袋の地に適した姿をしていた。
首無しの妖精なのだからヘルメットの下には何も存在せず声を出す事は出来ないが、同居人から渡されたPADに文章を打ち込むことにより会話は難なく交えれる。
声を掛ける、とはまた違った比喩が必要ではあるが、セルティにとってはその表現で間違いはないだろう。
セルティは新羅と同居関係にあり、静雄もセルティとは新羅関連で高校入学後に接点を持ち始め、それ以降は数少ない友人の一人として接している。
首から上が無いゆえ余計な言葉を発する事の無いセルティと、そのおかげでセルティに対して自分をキレさせない存在として信頼を寄せる静雄は円満に友情を育んできている仲だった。
ちなみにセルティは性別でいうなら女性なのだが、鈍い気のある静雄はまったくもってその事に気付いていない、というより気にすらしていない。
閑話休題。
そこらに散らばる不良達が通行の妨げになるという事で、セルティに助力されながらも道端に負傷した不良の山を築きあげた後何度か会話を交えれば、静雄はこちらに走り寄る人影に気付き右横に視線を投げた。
静雄の行動につられてセルティも視線を移せば、彼女にとっても見覚えのありすぎる人物が走っていてん?と無い眉を思考の中で潜める。
『新羅じゃないか。…アイツなんで走ってるんだ?』
「さぁな」
息を上げながら自分達に向かって大きく手を振る、見覚えのある黒髪眼鏡に静雄とセルティは揃って首を傾げた。
「ぜぇ、はぁ、セ、セルティ!まさか君も、居るだなんて、はぁ、なんという運命の、悪戯、はぁ、いやむしろ悪戯、なんかじゃなく、俺とセルティの、はぁ、運命の、赤い、糸が、ぜぇ」
『わかった、いやわかりたくもないが取り敢えずわかったから呼吸を整えろ、耳障りだ』
「はぁ、はぁ…………フゥ。相変わらず厳しい愛をありがとうセルティ。耳が無いのに耳障りだと表現するチャーミングな君も素敵だ、心配してくれて嬉しいよ。それにしてもなんでセルティが静雄くんと二人で………はっ!まさか私に内緒で密会…?!逢瀬…?!酷いよ静雄くん!セルティは僕のなのもががががっ」
『良いから黙ってろ』
ただ単純に鬱陶しかったのもあるが、覚えの無い唐突な凶弾により青筋を浮かびかけていた静雄にセルティは即座に新羅の口を塞いだ。
静雄には空いた手でどうどうと怒りをおさめるようジェスチャーで促し、なんとか怒りを流し始めた彼に一安心する。
新羅の鬱陶しさは折り紙つきであり、彼とは小学校からの付き合いである静雄もある程度は耐性が出来ているので見知らぬ不良等よりは怒りの沸点は微かに高い。
しかし高いと言っても微か程度でしかないので、セルティの制止が無ければ新羅とて辿る道は他の奴等と一緒だ。
どうにかしなければと静雄の怒りを逸らす為の話題を考え、ピンと来た疑問を思い出したセルティは新羅の拘束を解きPADをタッチした。
『そういえば新羅、お前なんであんなに息が切れるほど走ってたんだ?』
普段運動しないのに珍しい、と言外に表現しながらそれを二人に向ければ、そういえば、と怒りよりも疑問に気を逸らした静雄が首を傾げながら新羅に視線を傾ける。
文章を読んだ瞬間「あ」と言葉を漏らした新羅の先を二人は待った。
あははと苦笑しながら頭を掻いた新羅が続けた言葉に、なんで早く言わないとセルティは内心絶叫し、静雄が躊躇なく眼鏡を割るハメになるとも知らず。
数十分前の出来事を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情をした静雄は暮れ始めた空に舌打ちを鳴らした。
名前を残して一人逃走したという新羅は勿論だが、それよりも名前自身がそれを望んで自ら囮になったこと、そして自分の状況に巻き込んでしまった不甲斐なさが静雄は何より許せないでいた。
今まで自分と行動を共にしていた人物がごく少数でしかなかったのもあるが、何より異性の友人がこういった人質という形で巻き込まれるという可能性を考えてなかったこと事態、考えれば考える程腹が立って仕方ない。
人質という姑息な手段をとった奴等はそれを知る前に一人残らず山にしてしまった為ろくに事情を話せる者が存在せず、ならばと新羅に聞いた来神の通学路を全力で引き返したのだがそこは既にもぬけの殻だった。
セルティが一緒に捜すと進言してくれ、即座に帰宅しようとしていた新羅をも殴り無理矢理捜索を手伝わせている状況ではあるがなにぶん手掛かり一つ無い状況は芳しくない。
新羅の聞き込みにより謎のバイク集団が来神前に終結していたらしいという情報もあり、それも相まって嫌な予感しかしなかった。
無事ならそれに越したことはないが、新羅が言った彼女なら大丈夫という言葉も信用できず、名前の携帯も何度掛けても繋がらないのが現実。
心配しないわけがないし、こう時間が経ってしまうと徐々に怒りよりも焦りが増していく。
不良の溜まり場になるような所はセルティがバイクで周り、新羅には地道な聞き込みを継続させているが確かな情報は何一つ無かった。
相手方の高校は新羅が確認したらしいが名前の姿を見た者はいないらしい。
人質として名前を捕らえたなら自分に居場所を知らせないのは不自然だが、彼らの狙いが人質ではなかった場合の事を考えると胸騒ぎが増す。
一縷の望みとばかりにもう一度携帯を取り出せば、もはや何度掛けたのかわからない名前を静雄は険しい顔をしながら苛立たしげに押した。
一回、二回、三回、と鳴り響くコール音にミシッと携帯を握る手に力がこもる。
出ないか、と携帯を耳から遠ざけ終了のボタンを押そうとした瞬間、見やった画面が通話と表示されたのに気付き静雄は目を見開いた。
『もしも――』
「無事か?!」
『……どうしたの?』
「無事かっつってんだよどうなんだてめぇ!」
『別に何もないけど』
感情のこもらない声で淡々とした返事をする名前に、何もなかったわけねぇだろと思いつつ静雄は安堵の息を漏らした。
なんで何度掛けても出なかったのか、怪我はしてないか、どうやって逃げたか、聞きたいことは山程あるが今はそれも横に置いておく。
心配させやがってと思いつつ、今どこに居るのかと問い掛ければまたもや淡々としすぎる言葉遣いで自宅に居ると返ってきた。
抑揚の余り無いその声になにか違和感を感じて、静雄の声が無意識に低くなる。
眠気に伴ってテンションが急変する名前の特性は既に把握済みなので考えすぎかとも思うが、眠い時の荒い口調ともまた違ったソレに野生の勘が本能で唸った。
これは、違う。
「……新羅から、名字が襲われてるって聞いたんだがよ」
『え…ああ、新羅無事だったんだ、良かった良かった。私は心配しなくて良いから、ね。じゃ、ちょっと用あるから切る――』
「お前誰だ」
ギリ、と指先に圧力が増す。
声は名前本人のように思えるが、言葉遣いにしても不自然であり声に混ざる悪意染みた鋭さは静雄の知る彼女とまるで違う。
声にしても、電話越しなのだから名前の真似をしようならば少し似せただけで簡単に成り代わることも可能だ。
それに、と思う。
名前は新羅を岸谷としか呼ばない。
「名字になにした」
『意味わかんない。てか何の用?用が無いなら連絡してこないでくれる?お前マジうざいし。彼氏面すんな――ぶは、ちょっ、アダコてめなに言っもがっ――切るわ、もう近付くなよ』
ブツ、と途切れた通信。
なんの反応もなくなった携帯を耳から離し、それをじっと見つめながら静雄は頭を働かせた。
名前の偽物だと思われる女の言葉は腹立たしいことこの上ない。
大体静雄と名前の性格から言えばウザいのは明らかに名前の方なのだから言われる筋合いはないし、彼氏面はまずその時点で意味が不明だ。
その上近付くな、と言われても自分とは違いこの池袋で本当にぼっちなのは名前の方なのだから、自分が近づかなかった所でまず間違いなく彼女から近付いてくる事は明白。
この二ヶ月ちょいで自分の特性もその対処も心得たらしい名前だ、本人ならば携帯であろうと何がなんでもあんな事は自分に言わない確信がある。
名前が静雄を理解しているのと同様、静雄も名前の性格はこれまでの経過でなんとなくだがある程度理解しているのだ。
もし本当に名前が自分に対してそう思ったとしても、彼女の性格ならばまず間違いなく正面から堂々と宣言してくる。
変なところで器用な癖に、また変なところで不器用に馬鹿正直なのが静雄の中にある名前だ。
やはりさっきの通話相手は偽物だろうと判断したが、それよりも途中から混ざったあれは、あれだけは間違いなかったと静雄は血管を額に浮かべた。
「――名字、だよな」
見知らぬ名前に対して脈絡の無い非難をした乱入者の声は、先程までの名前とは違い馴染みのある若干低めの声だった。
途中で口を押さえられたかのように沈黙したあと、数秒経たずにまた高い方の声が通話を切った、ということは。
拘束されているであろう名前の姿が易々と頭に浮かぶ。
「こりゃあ自宅なんかに居るわけねぇよなぁ…!」
何が起こっているのか、誰が何をしたいのかなど静雄はそんなことどうでも良い。
「俺のダチに手ぇ出したあげく成り済まして馬鹿にしてくれたんだ、そんなに殺されたいならお礼に望み通り全員ぶっ殺してやんなきゃなぁ!」
ダンッ、と降り下げた拳がビルの壁面を破壊した。