dream | ナノ

東日本に存在するとある町。
田舎ではないが都会でもない、無法ではないが治安が良いとは口が裂けても言えない。
嘗て、そんなとある小さな町中に、様々な問題児を束ねていく一人の“番長”が存在した。
射抜くような獰猛な眼差し、耳を彩る一際目立った無数のピアス。
人を見下し服従させる、まるでそれが当たり前かのような横柄な態度。
小柄な体格をものともせず、無表情のまま次々と巨漢さえも殴り倒す“少女”。
そんな女番長の存在は、町に蔓延る様々な悪漢達を恐怖の支配へと戦かせていた。
服従させた不良達を一つのチームとして傘下に収め、その地一帯では知らぬ者など居ない程、悲惨な悪行を繰り返す。
チームの名は“イニシアティブ”。
女鬼と紛いし番長と、かの手下達は決して敵に回してはいけない――



――というのが、名前の地元にて真しやかに噂されている“番長伝説”なるものである。
耳にタコが出来るほど聞かされたその噂話を手慣れた様子で語る顔馴染み達を、名前は呆れを隠しもせず半目になりながら静観していた。
勘弁してくれという嫌気を全面に押し出しているにも関わらず、まったく変わらない顔馴染みのテンションに自然と溜め息が漏れる。
既に何年も利用されていないと見られる錆付いた広い倉庫、その一角では騒々しい程和気藹々とした空気が広がっていた。

「…で?」

「この噂にまたなんか新しいの付けたそうかなーと思って!池袋版的な?」

「これ以上どういうデマ流すんだよ!てか既に地元に居ないんだから止めろお願いだから恥ずかしいから。本当厨二臭がキツすぎるから」

「地元周辺を制圧した番長はそれだけでは飽き足らず、全国行脚で手下を求めに一先ず池袋の地に狙いを定めた。街中に蔓延る不良達を次々に配下へと納め、彼女の企みは着実に池袋を支配してきている――って感じに話を膨らまそうと思うんだけど、どう?」

「聞けよ!そして断る!」

「だがそれも断る!」

「ねえ、言いたかないけど私一応リーダーだよ?敬っても良いんだよ?」

「こういう時だけリーダー面しないの!まったくあんたって子はいつもいつも!」

「理不尽」

十数人の青少年がのさばり、先程の番長伝説を口々に語りながら時折笑い声が辺りに響く。
まったくなんなんだ、と理解できない現状に、名前は凝り固まりそうな眉間を両の親指でグリグリと揉み解した。
指を添えたまま俯き加減で地面に目を向けながら、倉庫に反響する楽しげな笑い声を耳にする。
どれもこれも、意味がわからなすぎてもはや頭痛を起こしそうだ。
ふざけあっている話し声も、控えめという言葉を知らない爆笑も、時折飛び交うツッコミも、数年前の記憶そのままで胸の奥がむず痒い。
遠い昔に無くした筈の嘗ての日常が目の前にあることを実感して、名前は思わず片手で自分の目元を覆った。
まるで何事もなかったかのように笑い合う嘗ての仲間であっただろう人達。
今目の前に悠然と広がる信じられない現実を、名前は平気なフリをしながらもやはりどうやっても受け止めきれないでいた。

今の名前は十五歳という華の高校一年生ではあるが、彼女は確かに成人を迎えてから数年までの記憶を持ち得た異世界人でもある。
此方とは違うトリップ前の世界では、名前が現役の十五歳だった頃の記憶に目の前の彼らは誰一人として存在しない。
“番長伝説”の中にある、番長の手下にあたる集団“イニシアティブ”。
嘗ての中学時代名前をリーダーに据え、今目の前に居る彼らの中の数人を幹部とし、その他数十の青少年を表向き束ねていたその集団は。
名前にとっては消し去りたい過去であり、既に消失した筈の遺物でしかない筈だった。
トリップ前の世界では名前が中学三年生の冬に解散を言い渡し、それ以降チームどころか誰一人として関わることなく袂を別った筈の存在である。
だというのに、違う世界とはいえ高校一年生の今、目の前で和気藹々としながらわざわざ会いに来たと主張する彼らが名前には理解できないでいた。
いや、本当は数ある可能性を見出だすなら、この現状に納得のいく答えなど複数は簡単に導きだせる。
一度も引っ越しの経験がない自分が、此方の世界では高校一年生の時点で地元とは遠く離れたこの池袋の地に引っ越していたのだ。
世界が違えば人の中身も違ってくる。
ということは、中学三年時までの友人関係や関わってきた人達自身に余り差異がなくとも、関係性や地元での自分の在り方等が嘗ての記憶通りではないだろう事は拙い推理ながらも名前の予想の中に浮かんでいた。
この世界では、既に無くなった筈である地元の不良集団は解散もせずに留まったままなのだろう。
けれど、しかし。
確かな証拠を確認するまで、その可能性を短絡的に肯定することは出来ない。

「ったくねぇ…なんなの?急に来たと思ったらそんな下らない事しに来たわけ?え?暇なの?取り敢えずまったくもって全てが意味不明だから一から説明してくれない?」

「下らなくない!」

「私達は全力で楽しんでる!」

「だからまったく下らなくない!」

「吊るすぞお前ら」

平素を装い情報を探りにかかっても、四方八方からのらりくらりと軽口が飛び出し欲しい情報が手に入らない。
皆が何も違和感を持たずに会話が成立しているということは自分の口調に違いは無いだろう。
しかし現時点ではそれしか情報がないため、名前は低く呻きながら項垂れるように両手で顔面を覆った。
何とも複雑な現状に一先ず心を落ち着かせようと、背後で大人しく控えていた女を自分の隣に来るよう指の間から目線を投げる。
先ほど無理矢理バイクで二ケツをさせ、土地勘の無い自分の代わりにこの人気の無い倉庫に皆を誘導した安達凪子。
長い黒髪が顔に掛かると、ホラー映画や小説で有名な某幽霊に似ているという理由で通称アダコと渾名される女が嬉々として名前の隣に座り込んだ。
陰りの無い笑顔を自身に振り撒くアダコを懐かしそうに、けれど何処か痛まし気に目を細めながら難しい顔で見つめて数秒、掌を顔から外した名前は項垂れていた身体を隣に傾けた。
アダコの肩に頭を預け、途方に暮れた様子の名前はボソリと不満を落とす。

「…なんで来たのさ」

むふふ、と花でも飛ばしそうな明るさの忍び笑いが名前の頭上で響いた。

「笑い事じゃねーべ。マジありえない………なに?アダコはともかくその他の奴等はわざわざ来たわけ?あんな田舎から」

「え、なに言ってんの」

キョトン、とした声で肩越しから目を合わせてきたアダコを仰ぎ見る。
そんなわけ無いだろう、という言葉を全面に押し出した彼女の反応に名前もキョトンと表情を返した。
中学時代、学校は違えど校外では常に一緒に居た、というより金魚の糞のようなしつこさで傍に付きまとっていたアダコが高校生になった今、この池袋に存在する理由はなんとなく理解できる。
理解できるというより、数日前携帯で接触を謀ってきたのは彼女の方からであり、その後定期的にやり取りをしたあと静雄の事に関して一仕事任せたのは誰であろう自分だ。
彼女は無駄に情報通であるため探りを入れさせるには持ってこいな人材な上、この池袋にも既に余り素行のよろしくないお仲間が複数存在している。
余談だが名前自身がその助力を駆使して色々やらかした結果ではあるのだが、最近の静雄に朝から喧嘩を売られるという事案が無くなったのは一重にアダコのおかげと言っても過言ではない。
その時には既に自分を追ってこちらに来たのだと本人から言われたわけなのだから、無駄に嘘をつく意味もないのだしアダコが池袋にいる理由は事実として名前も受け止めていた。
此方も彼方も、どの世界でもアダコと自分の関係性は変わっていないのだろう。
しかし、アダコはともかくとして目の前の多人数達のことは一切合切意味がわからない。
アダコの肩に預けていた頭を上げて訝しげに周囲を見渡す。
いつの間にか軽口を止めていた皆が、怪訝そうにこちらを見ている様子に名前は眉を寄せた。

「…あんたら、地元から来たんじゃないの?」

「まさか」

「んな事したらこの人数じゃ収まんねぇだろうがよ」

「此処に居んのはチーム内で東京住みのやつだけだよ」

「え………え、住んでんの?」

「俺神奈川だけどな」

「俺新宿に居ます」

「私は池袋」

俺は、私は、私も、と続々伝えられる事実に名前はポカーンとアホ面で返した。
地元愛を自称していたような嘗ての仲間達が事も無げに上京していた事実もそうだが、元の世界で交流を無くしていた彼らの進路がこうなっていたのかと思うと何も知らなかった分驚きが増す。
皆が皆、アダコのように自分を追ってきた訳では勿論ないだろう。
しかし、それにしても。

「…多すぎない?」

チーム内に居た年長組のほとんどが目の前にいる現実に、名前は理解が追い付けないでいた。

「別に、地元の規模を思えばむしろ少ないんじゃない?」

「いや…それはそうだけど」

「私は確かに名前さんを追って来たけど、ここに居る大半は就職の上京組だし。ひぃちゃんとトモ先輩は名前さんと同じで家庭の事情で東京に引っ越した感じだし。てか皆一月から名前さんにこの事報告してたよね?皆号泣して別れ惜しんでたのに鬱陶しいってバッサリ切ってたよね?痴呆?悪魔?」

「いや…うん………そうだね、そうだった忘れてたー」

アダコの説明に名前はアハハーと遠い目をしながら空笑いを漏らした。
名前がトリップしてきたのは六月であるため、当たり前だがこの世界での今年一月の記憶なんぞあるわけがない。
うわー面倒い事になってきたーと記憶の相違をどう言い訳しようか考えるが、周囲は疑うこともなく訳知り顔で頷いていたので名前は流れに身を任せることにした。
口を閉ざして周りの反応を伺っていれば、何故か可哀想なものを見る眼差しを向けられる。
ん?と首を傾げるも、一番の年長者である男が語る内容に名前は潔く納得の意を示した。

「あん時のテメエは…そりゃもう酷かったしな…。慣れねぇ受験勉強のせいで魂半分以上抜けてたし。意味わかんねぇ事ブツブツ呟いてたし。どうせいつも以上に話聞いてなかったんじゃねーか?まあ常にそんなだから今更驚きゃしねーけどよ」

つまり、普段から話を聞かないうえ受験ノイローゼで精神の不安定さもプラスされていた為覚えてないのも無理はない、と。
決して誉められはしない普段の身勝手な行いに今回は救われたようなものだが、話を聞く限りこちらの世界に居たであろう自分は想像以上に精神を病んでいたらしいと知り名前の表情筋が引き吊った。
家庭内の雑談から汲み取った話で、こちらの世界の自分が望んだ進学先が地元の公立高校だったのは既に知っている。
記憶している地元の公立高校は倍率が高く学力も上の中くらいの進学校だった為、そこの受験を考えたことすらなかった名前は別世界の自分の無謀さに呆れと同情を向ける他なかった。
他世界の別の自分であろうと、ifの世界に存在する自分は細かいところが違っても所詮自分自身でしかない。
勉学に励むことなくサボりがちであった中学時代の経緯に差異が無いだろう事は、同じくほぼ学校にすら行かずに毎日飽きもせずつるんでいた目の前の彼らが存在する時点で明白だ。
縮みようがない学力の差を何とかしようと猛勉強した結果ノイローゼとなりブツブツと独り言を呟く程精神を病んだだろう別世界の自分。
私立の進学すら危うかった学力なのだ、私立に甘んじた自分とは違いそれはもう死ぬほど頑張ったのだろう事は想像に容易い。
話を聞く限りではその努力はなんの奇跡か報われ無事その高校に入学することが叶ったらしいのだが、その矢先に父の昇進による本社異動で東京に来てしまったのだ。
努力が水の泡となり、この世界の自分はさぞ絶望を感じたことだろう。

「あんな頑張って受かった高校なのにお前、よく立ち直ったよな。よりによって転入先来神だし。俺はてっきり……いや、なんでもねぇ」

まあ元気そうで何よりだ、と言いながら慈愛の込められた眼差しを向けられたが、名前としてはたぶんその絶望がキッカケで何かしらトリップしてしまうような事をこちらの自分がやらかした気がして素直に受け止めきれなかった。
全ては妄想寄りの想像でしかないが、とりあえずこの世界での“名字名前”自身の状態は自分よりも数倍悲惨だったらしい。
あーあ、とよくわからない悲哀に苛まれながら遠い目を流すが、まあ今の自分には関係ないしと素早く思考を切り替えた。
例え他世界の自分だろうと他人は他人である、関わることの無い“自分”に気をやる余裕は微塵も無いのだから。

「……うん、あんた達がここらに住んでるのは解ったけど…なんで私を探してたわけ?」

「連絡寄越さないからだろうがバカ野郎。アダコにお前がこっち来てるって知らされて俺らがどんなに驚いたか知らねえだろ。携帯の番号渡してたのにアダコにしか連絡しねえってどういう了見だテメェ」

「いや、アダコについてはあっちから連絡とってきたっていうか……あれ?なんで私の番号知ってたのあんた」

「むふふ、内緒」

「やだ怖い」

隣に座る女にうすら寒いものを感じつつ、話を纏めるならチームの解散も無くどうやら平穏無事に自分と彼らの良好関係が続いているらしい事実を悟れば名前はどっと肺から息を抜きだした。
こちらの世界の自分は悲惨な目に遭ったようだが、どうやらチームが解散するまでに追い詰められたいざこざもなく今まで過ごせてきたのだろう彼らを感慨深く思いながら眺める。
流し目のように隣にも視線を向ければ、呑気な笑顔がこちらに向けられていて名前は思わずアダコを抱き締めた。
――生きてる。
首を傾げながらもニコニコと抱き締め返してきたアダコの体温、鼓動に現実を噛み締めれば、もうなんでも良いやと普段のだらしなさが顔を出し始めた。
疲れたから寝たいと怠惰な感情が浮かぶ。

「ねえ、番長ー」

「番長言うな。…なんだよー」

「これ、鳴ってる、携帯」

「あ?」

短い茶髪に気の強い吊り目を携えながら名前を番長と呼んだ女、同い年でありアダコやその他にはひぃちゃんと呼ばれている緑馬翡翠が携帯を差し出して来たことに名前は首を傾げた。
鞄の中に放置していた筈の自分の携帯をなぜ翡翠が、と考えたところでそういえば鞄は彼らとの出会い頭に道路に叩き付けてから放置していた事を思い出す。
拾って持ってきてくれたのだろうと思い離れないアダコを首に引っ付けたまま感謝を述べて携帯を受けとれば、そこに浮かんでいる名前に名前は小さく首を傾げた。

「…静雄?」

先程別れたばかりであり、自分からは滅多に連絡を寄越さない友人からの電話になんだか嫌な予感がした。

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