南沢さんなんか大っ嫌い。
ああそうかよ、じゃあ大っ嫌いなら別れてやる。

まるで台本でも読んでいるみたいにあっさりと言われた感情の籠っていない『別れてやる』という言葉。それから南沢さんは溜め息を吐いてこちらに背中を向けると行ってしまった。その段々遠ざかっていく背中を、俺はただ呆然と見ていることしか出来なかった。それが確か、五日ぐらい前のことだった。


喧嘩での言い合いの途中、俺の軽い気持ちで発した大嫌いという五文字が、まるで積み木でも崩すように俺と南沢さんの恋人という関係をあっという間に壊してしまった。それがあまりにもあっさりしていたから、最初は南沢さんの悪い冗談だと思った。きっとその日の夜に冗談だってメールか電話がくるんだと思ってた。結局こなかったから、きっと次の日には普通に戻ってる筈。そういう期待を持って学校に行ったけど、違った。学校で会っても無視されるし、昼休みになったらいつも来てくれるのに来てくれない。

(もしかして、本当に)

そこでようやく俺は、取り返しのつかないことをしてしまったんだと気付いた。でも気付いたところで俺に出来ることは何も無いわけで。只の先輩と後輩に戻ってしまったことをただ悔やんで自分を責めることしか出来なかった。所詮自分は南沢さんがいなければこんなもの。大好きなサッカーも満足に出来なければ、朝起きて南沢さんに会う為に行く学校も意味が無くなるし、隣に居てくれないと呼吸をすることすらも辛い。
今もほら、グラウンドに響くのは俺一人だけの足音で、暖かい太陽が照らす地面にうつる影もひとつだけ。どうしてアンタは隣に居ないんだよ、どうして別れるなんて言うんだよ、どうしてどうして。

「…南沢くん」

どきりとした。足を止めて校舎の影にそっとしゃがんで隠れる。少し校舎の死角になっていて、見付かりにくい所に二人の男女が立っていた。手前にいる女のほうは背中だから誰かは見えないけど、奥の男のほうはすぐにわかった。
南沢さんだ。南沢さんは一生懸命にぼそぼそと告白(多分)をする女子の声に耳を傾けていた。暫くして言い終わったのか、女子の声が聞こえなくなる。俺はどきどきした。多分、告白した彼女と同じぐらいどきどきしてると思う。いやそれ以上かもしれない。怖い。南沢さんが何て言うのか、聞きたいけど怖い。もし付き合うことになったらどうしよう。そんなの嫌だ。南沢さんは俺の恋人、なのに。

「ごめん」

南沢さんの三文字がようやく長かった沈黙を破った。ごめん、ということは断ったということだろう。「どうして…」と女子の今にも消えてしまいそうな声が聞こえる。

「俺付き合ってる奴いるからさぁ。悪いな」
「っ…、」

ばたばたばたと遠くに駆けていく音がした。多分女子が走って行った音だろう。俺も早くここから逃げないと駄目なのに、足が動かない。頭の中で「付き合ってる奴いるから」の言葉が何度もリピート再生される。ショックだった。だってもう南沢さんに付き合ってる恋人がいるなんて。別れてまだたったの五日なのに、彼女とかってこんなに早く出来るもんなのかな。じゃあもう誤解といても今更って笑われるだけじゃん。
そうやって一人でぶつぶつと考えていたから、いつの間にかあの人が目の前にいたことに気付けなかった。

「…おい」
「ッ!」
「何してんだお前」

びくっと体が飛び跳ねた。それはもう、口から心臓が出たかもってくらい。そこには明らかに不機嫌オーラ丸出しの南沢さんが俺を見下ろしていた。「聞いてたのか」と発せられた言葉にはチクチクとした棘があった。嘘は吐けない雰囲気だったから素直にごめんなさいと言うと、はぁと大袈裟な溜め息を吐かれてしまった。

「まあいいや…ところで何か用でもあったのか?」
「うぇ、あ。み…南沢さんって、もう恋人いるんですね」

もう、という所を少しだけ強調して言った。果たしてこの事に気付いたのか知らないけど、南沢さんは薄い笑いを浮かべて「まぁな」と髪を流して、さも当たり前そうに笑った。そんなの見飽きた筈の顔なのに、なんだかとても久々に感じられた。少し、緊張する。

「…その人可愛いですか?」
「可愛いよ」

即答かよ。付き合ってた頃はいっつも俺のこと可愛い可愛い言ってた癖に、人間って心が変わるのが早いなあ。なんだっけ、梅の花の匂いは昔のまま変わらないってのに?ああほんとむかつくったらない。

「じゃあ」
「何、お前そんなこと聞きに来た訳?なら俺もう帰るわ」
「や、待…っ」

くるりと翻された背中。なんだかこれを逃したら二度と南沢さんと会えなくなるような気がした。…待って、行かないで。気付いた時には、南沢さんの背中にすがりついていた。

「…もう、あの時言った大嫌いは嘘でしたって言っても、手遅れなんですか?」

涙がぼろぼろと溢れ出す。涙声で多分何言ってんのかわかんないだろうけど、それでも俺は言うのをやめなかった。

「い、今でも、俺はまだ南沢さんのことが大好きなんですって言っても、もう、手遅れ…」
「倉間」

俺の言葉を遮ったのは、優しい南沢さんの俺の名前を呼ぶ声だった。それからついでに頭にも、ぽんぽんと大好きな手が降りてくる。一体どうしたのかわからなくて、一度体を離して顔を上げるとそこには困ったように笑う南沢さんがいた。

「ごめん、意地悪しすぎた」
「へ?」
「…別れようって言ったのは冗談だし、付き合ってるって言ったのもお前のことだから」
「冗談…うそ、」
「ほんと」

頭がくらくらした。足元もなんだか覚束なくて、側の壁に寄りかかる。ぜんぶ冗談で、ぜんぶ嘘。嬉しいんだか、腹が立っているのかよくわからない感情が渦を巻いてぐちゃぐちゃになった。一度この感情を整理したくて目蓋を閉じる。その時に溜まっていた涙が流れて、それを南沢さんは些か乱暴に拭った。

「泣くなよ」
「…うっさい」
「あんまり可愛いと襲うぞ」

聞き慣れない低い声にどきりとした。逃がさないようにか、顔の横に両手をつかれる。ニヤニヤと目を細めて笑うその奥では欲の炎がぎらぎらと光っていた。もう逃げられないことくらいわかってたから、あえて開き直ってやることにする。

「すきにすれば、」

俯いたアスファルトにやけくそに吐き捨ててやった。









title:夕凪

なかち様へ『喧嘩する南倉』素敵リクエストありがとうございました。…喧嘩というか別れましたね、すみません。最初はもっとあほみたいな軽い喧嘩にするつもりだったのに、何故こんな重い感じに…おかしいですね。それと梅の花の匂いは、紀貫之のやつです。
こんなものでよかったら貰って頂けたら嬉しいです。はい…。

(なかち様のみフリー)

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