一周年企画 | ナノ




scene 5.我慢するのを止めてもいいですか?






 エアリスと別れてから、とぼとぼと帰路を踏みしめた。夜中の住宅街は街灯も少なく、怖い。
 ふと顔を上げれば、少し先に高層マンションが見えた。月も出ていない夜にそれはあまりに自己主張の激しいものだ。
 あのマンションの7階に、私の幸せがある。いつもなら、そうなのに。


《でも、ザックスの目は私に向いてない……から》


 悲しげに言うエアリスの姿が、声が、脳裏に浮かぶも一瞬でパッと消える。
 駄目だ駄目だ、私まで悩んで暗くなったら。そう言い聞かせながら頭を横にぶんぶんと振り、よしっと気合いを入れて再び前を向いた。
 だが、帰っても一人なんだなと考えて、せっかく上げた顔を再び下げる羽目になる。何でこんな時に限って飲み会に誘うんだろうかあの上司は。そんな悪態つくだけ無駄なんだけれど。
 帰ってもクラウドはいない。いつもなら何の問題もないその事実も、今日に限っては死活問題だ。彼の存在の大きさを、まさかこんな時に再認識させられるなんて。どことなく悲しい。
 人気のない道を1人歩いているうちに、遠くに見えていた煌びやかなマンションが目の前に飛び込んできた。7階のあの部屋に彼はいない。
 待っていようかな。そう思った次の瞬間だった。
 マンションのエントランスに続く煉瓦の敷き詰められた道。外国風の外灯が並ぶその道に、いた。
 外灯に背中を預け、腕を組んで俯く彼を見た瞬間自分でも信じられないほどの速度で頭に血が上る。


「ザックス!」


 呼べば彼は顔を上げ、その目を僅かに細めて笑んだ。いつもとは全く違う、色気の滲み出た妖艶な笑み。
 まずい。
 指先が微かに震えた。


《……ザックス、私のこと嫌いになっちゃったかな……》


 駄目だ。私が、私が何とかしないと。
 駆け寄ってから一度気持ちを落ち着けて、じっと彼の碧眼を見つめた。


「エアリスから、聞いたよ」
「……何を?」
「振ったの、エアリスからじゃないんでしょ? 私に嘘、ついたんでしょ?」


 嫌いにはならないけれど、エアリスを悲しませている事実はどうしても許せなかった。エアリスもザックスも友達だ。でも、意味合いが少しだけ違う。
 同性と異性の差が、ここに出る。
 なるべく声を荒げないように言葉を発するも、逆効果なのかザックスの表情は不気味なくらい動かない。
 クラウドならよくある話だが、ザックスは違う。子供のようにコロコロと表情が変わるのはある意味彼の専売特許だ。


「なんだ、バレちまったかー」


 悪びれた様子もなくまるでかくれんぼで見つかってしまった時みたいにあっさりと、変わらない明るさでザックスはそう言ってのけた。


「何で、嘘なんか……?」
「何かよ、エアリスがライナに相談しちまったら二度と告白出来なくなるんじゃねぇかって思ってさ」
「……それ、だけ?」
「んー、他にもあっけど……」


 言い切る前に、彼は背中を預けていた外灯から離れる。


 ――嫌な予感がする。


 思った刹那の後、私の体はとてつもない力に引き寄せられた。逆らえない引力。
 そして唇に感じた、柔らかな感触。いつもと違うが、明らかに同じ行為なんだと気付く。
 クラウドじゃない男に、キスされているんだという事実に気付く。
 なのに、そんなの嫌なのに、抵抗が出来ない。ただただ恐怖感が込み上げて、涙が零れた。
 何で。
 どうして。
 嫌だ、怖い。
 涙は、止まらない。止め処なく、流れていく。


「ん?」


 突如として、ザックスが唇を離した。私はふと我に返り、一瞬で現実を飲み込む。
 刹那、自分でも何をしたか分からなかった。まるで脊髄反射のように、無意識の行動だった。
 右手が狙ったのはザックスの左頬。パシンッ、と夜の住宅街に響き渡る音。


「最低…っ!」


 手のひらの痛さからいって相当強くビンタした筈なのに、ザックスは少しびっくりした表情を浮かべただけで特に痛がりはしなかった。
 そして何事も無かったかのようにニヤリと笑む。


「そんな怒るなよな、彼氏もびっくりだぜ?」
「彼氏……?」


 グサリ。
 グサリグサリ。
 刃物のように鋭利で、氷のように冷たい何かが私の体中を刺す。先ほどまではあまりに混乱していて気付かなかったが、震えることも泣くことも許されない、規格外の殺気が向けられている。
 動かない首。動かない体。それを必死に動かして振り向いた先にいたのは、今この瞬間に一番会いたくなかった人。


「クラ、ウド……」


 感情の一切を宿さない冷たい目で、大好きな彼氏――クラウドは私を見つめていた。





 ――その瞬間ほど、消えたいと思ったことはない。


[ 6/8 ]

[*prev] [next#]

戻る












人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -