06 笑顔の練習 [ 12/27 ]
エースとして活躍する彼の速度は、万年帰宅部の私には少し速すぎた。 がむしゃらに走っていたかと思いきや、気づいたらお母さんのいる病院に着いていた。
「はぁ……はぁっ……、どうにか……逃げれたッスね……」 「うん……な、何とか、ね……はぁ……っ…」
病院の入り口にある芝生に2人してへたり込む。病院に来た人達がちらちらこちらを見るが、それを気にする気力すらも無くただ息を整える。 蒸し暑い中走ったせいで汗が酷い。髪の毛も服も背中や首筋にくっついて気持ち悪い。 隣に座るティーダも額に汗を浮かべ、息を整えていた。
「ごめんな……」 「えっ?」
しばらく沈黙が続いたあとに、ティーダが静かにそう言った。いつもの元気が形(なり)を隠した、落ち着いた声だった。
「オレ……どうしていいかよく分かんなくてさ。ただ、逃げなきゃって思ったんだ」 「……」 「気づいたら、走ってた。アンリのこと考えないで無我夢中に走って、きっと無理させたと思う」
ごめんな、と謝罪する彼を見て目元がじわっと熱くなった。 どうしてティーダが謝るのか、理解が出来なくて。謝られたことで、彼の優しさに触れてしまって。 むしろ私が悪いのに、彼はただただ“無理させた”という理由だけでこんなにも申し訳無さそうに謝ってきた。 初めてだった。 振り回されて、こうして謝られたこと。
「大丈夫だよ。おかげで、助かったから」 「アンリ……」 「むしろ私が謝らなきゃ。ごめんね…」 「アンリは何も悪くないッス!」
ティーダが励ましてくれるのに、涙が零れそうになってもう我慢できない。 私が悪いと公言してもなお彼は、悪くないと言ってくれる。私が悪いと思う理由に比べたら彼の理由は大したことないのに、自分が悪いと言う。
「アンリ、泣いてる?」 「えっ、あ、泣いてなんかないよ……」
顔を覗き込まれて、慌てて逆方向を向く。
「嘘、下手ッスね」 「……嘘じゃないよ」 「隠してる時点で嘘ッス」
得意げに言うティーダに負け、ゆっくり彼の顔を見る。
「あっ……」 「わっ……」
彼が思ったより近くにいてドキッとしてしまう。 ティーダもびっくりしたのか、少し距離をとる。その顔は今まで見たことないような、新しい表情を浮かべていた。 しばらくまた沈黙が続いた。 私は私で心臓を落ち着けていたし、ティーダはティーダでまた何か考えている。
「ねぇ、ティーダ」 「ん?」 「ここにいてもあれだし、先にお見舞い済ませてもいい?」
実際、逃げていたんだと思う。何から?と訊かれても答えられないが。 そんな真意を知らずにティーダは快諾してくれ、2人は立ち上がる。
「なあ、アンリ」 「何?」 「まさかそんな暗い顔で会いに行く気だったり、しないよな?」
言葉に困る。鏡もないし、自分が今どんな顔をしているかなんて見られないが、さっきのことを考えると何となく予測はつく。 と。
「よし、じゃあアレやろう!」 「アレ?」
急な提案とアレについての疑問に首を傾げる。
「うん。昔近所の子が教えてくれたんだけどさ、こうやってどうしても笑顔になれないときは“笑顔の練習”をすればいいんだって」 「笑顔の、練習……?」
ティーダは大きく頷くと、周りを見てから奥の茂みを指差した。あそこに行こう、という意味らしい。 病院の入り口から離れたせいか人気が少ない所だった。
「ここなら、大丈夫ッスね」
言うやいなやティーダはいきなり腰に手を当てて、大声を上げて笑い出した。わざとらしいような、ちょっと不自然な笑い方だ。
「本当はニカッてするだけらしいけど、こっちの方が吹っ切れるから」 「そうなの?」 「オレ理論だけど」
悪戯に笑うティーダを見る。この練習のおかげで、こんな素敵な笑顔が出来るようになったのかな。 私もティーダを見習って腰に手を当てる。
「わぁははははっ!!」 「おっ、なかなかやるッスね〜」
じゃあオレも、とティーダはまた腰に手を当て笑い出す。 それに負けじと私も。 さらに負けじとティーダも。 さらにさらに負けじと――。 そうしているうちに何だかおかしくなってきて、自然とお腹を抱えて大笑いしていた。
「はははっ、何これ凄いね!」 「あははっ、そうだろ?」
楽しくておかしくて、2人で芝生に転げながら笑い続けた。 それからしばし笑ってからようやく落ち着いてきて、ひいひい言いながら立つ。腹筋のあたりが痛いが、そうも言ってられない。 来た道を戻り、病院の入り口を目指す。
「ありがとう」 「え?」 「ティーダのおかげで、笑ってお母さんに会えるから」 「別にオレは大したことしてないッスよ。ただ伝授しただけ」 「それだけでも、ありがとう」
照れくさそうに目線を空へと泳がせた彼を見て、何かがじわりじわりと心に染み渡っていく。 甘くて優しい、何か。 ティーダを見る度にそれは現れ、ディアを見る度にそれは冷たい余韻を残していなくなる。 何だろう、何だろう。 考えながら、病院の中へと入っていった。
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病室に入ると、お母さんが読んでいた本を近くの棚に置き、ふわりと笑顔を浮かべた。顔色もよく、元気そうだ。
「お母さん、体調の方はどう?」 「凄く良いわよ。外を駆け回れそうなくらいね」
茶目っ気たっぷりに言うところを見るに、本当にそれくらい元気なのだろう。 持ってきた見舞い物や他の人からのそれを整理していると、話題は連れてきたティーダの話に移っていった。
「アンリから話は聞いています。ブリッツボール部のエースで、とっても上手いんだとか」 「まだまだッスよ。もっと強くならないと」 「素晴らしい向上心ですね。あなたならきっと、最高のエースになれますよ」
赤くなった頬を掻きながらお母さんと話すティーダを見て、自然と笑みがこぼれる。 可愛らしいなと思うと同時に、あの甘い何かがじわっとまた染み渡る。 気にしないようにして作業を続けていると、お母さんが私の名を呼んだ。
「申し訳ないんだけど、近くの店で髪留めを買ってきてもらえないかしら?」 「髪留め? それならこの前家から持ってきたはずだよ」 「検査の時に落としたみたいなの。お願いしても、大丈夫?」 「別に、いいけど……」
お母さんはとても髪が長く、髪留めが無いと色々不便だ。 お金は出す、ということである程度のお金を受け取り、病室を出ようとする。
「あ、じゃあオレも……」 「ティーダくん、ちょっといい?」
ついてこようとしたティーダがお母さんに呼び止められ、足を止めた。
「いいよ、私一人で平気だから」
またディアに会うとも限らない。ティーダを巻き込むわけにもいかないから、むしろ一人の方がいい。 そう言うとティーダは渋々私を見送ってくれ、私は病室を後にした。
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