05 陽炎の先に [ 11/27 ]
気づいたらベッドに伏せて寝ていたようだった。微かに開いたカーテンからは既に朝陽が差し込んでいる。 握り締めたままの携帯を開けば、画面には7月25日7時10分の文字。 あ、朝食作らなきゃ。 1日の行動が脳内で再生される。夏休みだが、休みはない。朝起きたらまずは身支度のあとに朝食の準備が待っている。 睡眠不足を訴える身体に鞭を打ち、立ち上がる。ビリビリと足が痺れて一歩踏み出すのに少し時間がかかった。 ようやっと部屋を出ると、ちょうど起きたばかりであろうティーダと鉢合わせた。寝癖のついた髪をくしゃくしゃとかき乱している。
「あ、おはよう」 「ん〜…、おはよ」
いかにも今起きました、といった顔をするティーダがどこか微笑ましくてクスッと笑うと、彼は頭の上に疑問符を浮かべながら首を傾げた。
「オレの顔に何かついてるッスか?」 「ううん、ついてないよ。気にしないで」 「???」
寝起きで頭がぼーっとしているのか、いつもの勢いがない。いつもならもう少し食いついてくるのだが。 そんなことを思いながら2人でリビングを目指す。
「そういえば、随分早起きッスね。いつもこうなのか?」 「うん。朝ご飯作らなきゃいけないから…」 「朝食ならもうセシルが作ってるはずッスよ」
きょとんとした顔をして言うティーダを見て、はたと気づく。 そうだ。私はもう、お母さんの代わりをしなくてもいい場所にいるんだ。 今までは休みだろうが何だろうが、家事全般は自分の仕事だった。ディアはそういったことを不得手としていたし、他に人もいない。 なら自分がやればいい。そう言ってつい先日までずっとやり続けていたのだ。
「アンリはオレたちと同じように暮らせばいいッス。家事はティナとかセシルが担当してるからな」 「そうなんだ…。あ、でも、お手伝いはやっぱりしなきゃ駄目だよ」 「アンリは真面目ッスねぇ…」
両手を頭の後ろで組みながらため息混じりに言われてしまう。この様子だと、ティーダはお手伝いには消極的なのだろう。 リビングに近づくにつれ、美味しそうな匂いが強くなってきた。遠くの方では何かを炒めるような音もしている。 自然と早くなっていた速度のおかげか、リビングには存外早く着いた。 扉を開ければ既にスコール、ジタン、バッツ、フリオニール、ティナが席についているのが見えた。さらに奥のキッチンにはエプロン装着済みのセシルがフライパンから炒め物を皿に移している。
「あれ、オニオンは?」 「今日はもう出たよ。先生に呼ばれてるみたい」 「ふぅ〜ん」
ティーダは軽く辺りを見回し、はっとした顔をする。
「クラウドもいないッスね」 「クラウドなら、もう仕事に行ったぞ。今日は会議だから、準備があるそうだ」 「大変ッスね〜…」 「うん、本当大変そう……」
社会人に夏休みはない。暑い中スーツを身に纏い、懸命に働く。 自分もいつかはそうなるのかと考えると、ますます大変さが身に染みて分かってくる。 席に座るとほぼ同時にセシルが最後の皿を並べた。 皆が席についたことを確認すると、セシルは昨夜と同様に「いただきます」と先陣を切って言った。 玉子焼きや野菜炒めをみんなでつつきながら、各々予定を教え合う。 フリオニールとティナは受験生なので、このあと予備校に行くそうだ。来年の自分も行くのかと考えるとため息が零れる。 ジタンは友人と遊びに、バッツは課題となっているレポートの資料探し、スコールは生徒会の集まり、セシルは友達のバイトの手伝いがあるそうだ。 結果、特に予定がないのは私と部活が休みのティーダだけという状況になった。
「アンリはなんか予定はないのかい?」 「特には……。あ、でも、もし良ければお母さんのお見舞いに行きたいなと」
引っ越しが無事に済んだこと、いいスタートを切れたこと。報告する事はたくさんある。 私が申し出るとティーダが自分も行きたいと言ってきた。
……何だろ、凄く心臓がバクバクして、煩い。
何がそうさせているのかは皆目分からず、しかし、心拍数は上昇傾向にある。 ティーダの申し出に笑顔でOKを出すと、彼は窓の向こうにある太陽にも劣らない笑顔で、
「サンキューな!」
と返してきた。 それを見て、今までに無いような不思議な感覚を覚えた。 温かい、でも胸が少し苦しくなる。そんな、感覚。 忘れかけ、埋もれてさえいた“何か”が少しずつ引き出されていく。 その感覚に浸りながら、小ぶりな玉子焼きを箸でつかんだ。
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部屋の掃除などをしている間に皆は各々の用事を済ませに次々と家を出ていった。 掃除機をかけ終えた時に出ていったジタンが最後だったようで、それ以降出入りの慌ただしさが無くなった。
「ふぅ、これで一通り終わったかな」
仕上げにクッションを並べ、リビングの掃除は終わりを告げた。 と同時にティーダも廊下と玄関の掃除を終えたのか、リビングにやって来る。
「終わったの?」 「完璧ッス!」 「本当?」 「めちゃくちゃ頑張ったから大丈夫ッス!」
大雑把なティーダの言うことだからか少し不安にもなるが、ここまで言うなら信用しよう。それに、彼はあまり嘘が上手くないから、ついてたらすぐに分かる。 今の彼を見るに、本当のようだ。
「じゃあ、行こっか」
そう言うと、彼は満面の笑みを浮かべた。
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外はやはり暑かった。蒸し暑い、といった方が正しいかもしれない。
「暑い……」 「そうッスね〜…。少し店にでも入って涼むか?」
ティーダのありがたい申し出にコクリと頷いて返事をする。 ティーダは辺りを軽く見渡すと、近くのファーストフード店を指差した。ありがたいことにまだお昼前でまだ混み合っていないようだ。 早速2人で歩き出す。 ふいに隣を見るとティーダが服の襟を少し摘んでパタパタと動かしている。しかし、暑さは全く軽減されないようで変わらず「暑いな…」とため息混じりに言っていた。 その横顔が、何だかいつもよりかっこよく見えて。 ついつい見とれてしまい、照れ隠しで逆方向を見た、その時だった。
「……っ!!!」
全ての喧騒が、全ての音が、消えた。 陽炎の先、ぼんやりと見える人影。
――お兄ちゃん……!!
遠くにいるためか、どこを見ているか分からない。だが、何故だかこっちを見ている気しかしてこない。 ……怖い。 どうしよう。 嘘がバレたら家に帰らなくてはいけない。今バレたら、私だけじゃなくティーダも――。
「アンリ!」
無音の世界に終止符を打ったのはティーダの声だった。 振り向けば心配そうな顔をした彼がじっと私を見ていた。
「大丈夫ッスか?」 「……あ、だ、大丈夫」 「顔色悪いッスよ。何かあったのか――」
話ながら私の見ていた方を見たティーダの目が見開かれる。かと思えばいきなり私の手首を掴んで走り出した。 ブリッツで鍛えられた足腰が生み出すスピードはやはり速く、私は半ば引きずられるようにして走っていた。
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