01 嘘をやめる日 [ 4/27 ]
夏の日差しはとりわけ痛い。夏服になって、肌の露出が増えた今は尚更の話。 蝉の鳴き声が騒々しく響き、道の向こうには蜃気楼さえ見える7月は下旬。学校も今日が終業式で、皆明日からの休みに心弾ませていた。
「そう、そんなことがあったの」 「うん。それでね――」
通い慣れた病院の一室、一番窓側のそこで語る。学校の話、友達の話…。毎日話すのに話題は尽きることを知らない。 買ってきた百合の花を生けながら、今日あった話を出来るだけ楽しくお母さんに伝えた。花を生け終わってお母さんを見たら、笑顔を浮かべていた。
「――アンリは毎日楽しく過ごしてるのね」 「あ、あったりまえだよ!みんなすごく良い人だし」
一瞬、ドキッとした。 毎日楽しく過ごしている。確かにそうとも言えるけど、この言葉だと語弊が生じる。
正確には“学校では”毎日楽しく過ごしている、と言うべきなんだと思う。
じゃあ、家では楽しくないのか。そう聞かれたら…イエスとしか言えない。 だって家には……。
「アンリ?」 「あ、えっと、何?」 「何?じゃなくて。大丈夫? 今ぼーっとしてたけど」 「大丈夫だよ! ちょっと疲れてるだけだと思うし」
必死に誤魔化す為の作り笑いを浮かべる。頬がひきつっているような感じがたまらなく不快で。 何でこんなしょうもない嘘をついているのか。いっそ、全部話してしまえばいいんじゃないか。 何度考えた事だろう。 でも、それで私が楽になったとしても…聞いたお母さんはどうなる?
《お母さんはお父さんと付き合ってた頃から心配性でな》 《そーなの?》 《ああ。お父さんが車運転するときでも、いっつも「シートベルトつけてね」とか「信号無視は絶対駄目ですからね」とか言ってなぁ…。まるで保護者だよ》 《お父さん、運転の仕方乱暴だから言われるんじゃないの?》 《う…、いいとこを突くなぁ、アンリは。でも、お母さんが心配性なのは本当だぞ》
だから、お母さんを心配させるようなことだけは絶対しちゃダメだ。
死んだお父さんが言っていたように、お母さんは筋金入りの心配性だ。だから、もし私が今本当の事を言ったら…。 きっと、いや、絶対心配して夜も眠れなくなる。昔もそういう事があったから予測はつく。 だから何が何でも隠そうと決めた。自分にもお母さんにも嘘をついて、隠し通そうと。
「――アンリ、」 「何? お母さん」 「ひとつ、聞きたいことがあるの」
何を改まって…と思ったが、お母さんの丁寧な物言いを考えると別に不思議な話じゃない。 いいよ、の意を込めて首を縦に振ると、お母さんは一度小さく息を吐いて、言った。
「あなた、何か隠してる?」
唐突だった。唐突すぎて、言ってる意味がよく分からなくなった。 話すときも何するときも細心の注意を払ったはず。なるべく悟られないように、振る舞ったはず。
「ど、どうして?」
その問いはお母さんにだけではなく、この状況にも向けられていた。完璧ではないけど、なるべく完璧に近い振る舞いを心掛けていた。にもかかわらず、今この状況を迎えている。
「今までずっと、あなたは毎日私のところにお見舞いに来てくれたわね。とても嬉しかったわ。毎日見れないと思っていた娘の顔が見れるんだもの」 「……」 「でも、毎日顔が見れるからこそ見えてきたものもあった。楽しそうに話す顔の裏にあるものとか…ね」
ああ、そうか。お母さんは見えてたんだ。私の作り笑いの裏にある現実が。
「きっとその見えたものが、あなたの隠し事なんだろうなって思ったの。機会を見て話そうとは思っていたんだけどね」 「お母さ――」 「もう一度、聞くわ。あなた、何を隠しているの?」
駄目だ。直感が告げた。私の負けだ。何もかも、お母さんにはお見通しなんだ。 嘘を、やめる日が来たんだ。 ここまで来たらもう、話すしかない。ここで嘘をついてもきっと、お母さんを悲しませるだけなんだと思う。隠すより、言ってしまった方が良いんだと思う。
「お母さん、あのね…」
目が見れなくて、下を向く。制服のスカートの端をぎゅっと掴んで、溢れてくる何かを堪えながらゆっくりと真実を語った。 お母さんが入院してから、お兄ちゃんがおかしくなってしまったこと。 そのせいで、好きだった人に告白出来なかったこと。 男子の友達と話しているとこを見ては、その男子を脅していたこと。 挙げ句の果てに、学校まで監視に来たこと。 全部話した。包み隠さず、真実をありのままに語った。 お母さんはただただ静かに聞いてくれた。ちらっと顔を見てみたら、何か考えているような顔をしているだけで、思い詰めてはいなかった。そこにちょっと安心する。
「アンリは三年間ずっと、それに耐えてきたの?」
話し終え、顔を上げてから言われた言葉はそれだった。
「うん…まあ、そうだね…」 「……」 「お母さん?」
考え込むその姿からは次何を言われるか予測がつかない。 沈黙が流れる。
「――アンリ」 「な、何?」 「あのね…」
お母さんの発言に私は、ただただ耳を疑った。
7月は下旬。蝉も鳴く夏。 私は、逃げることを許された。
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