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想像以上の盛り上がりを見せ始めた矢先、微かに音楽が聞こえた。聞き慣れた、あの人からの着信音。 出たくない。でも、出なければ酷い仕打ちが待っている。 出なくては、出なくては……。 皆に一言言ってから席を離れ、ソファーに放ってあった携帯に手を伸ばす。 画面に表示されているのは紛れもなく、彼の名前。 携帯を握りしめ、ダイニングを出る。みんなの声が聞かれようものなら……考えるだけでもゾッとした。
「……もしもし」 『アンリ……』
寂しげに名を呼ばれる。が、同情なんてしない。むしろ、その寂しさがいつどんな形で跳ね返るか怖くて仕方なかった。 電話の相手、それは私の恐怖の対象。
「お兄ちゃん……」 『アンリ、元気にしてるか? 親戚のみんなとはうまくやってる?』 「うん、うまくやってる。お手伝いとか忙しくて大変だけど、みんな優しいから……」
嘘と本当を織り交ぜながら、必死で真実を覆い隠す。家を出る前についた嘘を、必死で本当なのだと信じ込ませる。 神様、お願いします。どうか嘘だとバレませんように……。
『……アンリ、出発前に俺とした約束覚えてるか?』 「あ、うん……」
約束――“男とは決して関わらないこと”。
『守ってるか?』 「守ってるよ。お兄ちゃんとした約束だもの、破る訳ないじゃない」 『本当に……?』 「うん、本と――」 「アンリ〜、何してるッスか?」
背後からかかった声に、ドキリとする。慌てて携帯のマイクを手で覆って、声の主であるティーダに静かにするようジェスチャーした。 ティーダはハッとしてからすぐに扉を閉め、退散する。 マイクから手を離し、恐る恐る耳元に持っていく。
「も、もしもし?」 『……今の、誰だ? どっかで聞いたことある声だったんだけど』
先ほどとは打って変わった、低い声が私を威圧する。 息が乱れそうになるのを抑えながら一生懸命嘘を考えた。
「今のは〜…お隣さんだよ。今日遊びに来てるんだ。聞き覚えあるのもきっと、昔会ったりしてるからかも」
声が震えそうになる。だが、震えたら最後。ディアに嘘がばれ、恐怖することすらもままならない“お仕置き”が先に待ち構えている。 そうしたらもう、二度と外には出られなくなるだろう。
『そうか。だが、お隣さんだろうが約束は変わらない。あいつと話は?』 「して…ないよ」 『いい子だ。男はいつ何をするか分からない。本当はずっとお兄ちゃんが見守っててやりたいけど、そうもいかないから……。だから、約束は絶対守るんだ。いいな?』 「うん、分かったよ…」 『いい子だ。じゃあ、俺バイト戻るから。また連絡するよ』
そう言ってディアは電話を切った。 プツンと音が鳴った瞬間、その場に崩れ落ちるように座り込む。とんでもない緊張感で変な汗をかいているのがすぐわかった。 また連絡する、か。 近い未来また話さなくてはならない、嘘をつかなくてはならないと思うとため息がこぼれた。 ディアの束縛から逃げるためにここに来たのに、こうやって彼は縛ってくる。今も、これからも。 知らず知らずのうちに乱れた息を整えてから部屋に戻るといきなりティーダがやってきて、
「ごめんっ!」
と頭を下げた。 急に謝られて目をぱちくりさせていると、フリオニールが簡潔に説明してくれた。 どうやらあの後ティーダは電話の相手がディアであることを理解したらしい。元々ディアがどんな奴かくらいは薄々知っていたみたいで、だからか自分がしてしまったことに酷く罪悪感を抱いているそうだ。
「本当オレ、アンリのこと考えないでバカなことした……。ごめん」 「全然大丈夫だよ。確かに一瞬ひやっとしたけど、うまく誤魔化せたから平気」
言って、夕食の続きを促す。 ティーダはまだ謝り足りないのだろうが渋々席につく。それを皮切りに皆が再び夕食を食べ始めた。 食べながらふと電話の内容を思い出す。
――約束は絶対守るんだ。いいな?
まるで全て分かりきっていて、あえて再確認させられたような言い方だった。今ここにいる時点で自分は既に約束を破っている。それを諫めるかのような。 約束という名の束縛から逃げるためにここに来たが、やはりもしもの時を考えると怖い。
でも、自分の人生を生きるって誓った。だから、頑張らないと。 恐怖を振り払うように自分にそう念じはするが、フォークを持つ手は意志に反して震えていた。
星瞬く夏の夜。 私の逃げ道に、影が差した。
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