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同居人と同室者
数日前のドライブ以来、バイトの予定のない日には留三郎のアパートには誰かしら訪ねてくる機会が増えた。
伊作や長次や仙蔵は勿論のこと、留三郎と犬猿の仲である文次郎でさえ「仙蔵に無理やり連れられて」「留三郎に会いに来たんじゃない。俺はただ小平太を訪ねただけだ」などと言い訳をしながらも律儀に土産を持ってやって来てくれた。
その度に小平太が喜んだのは言わずもがな。
中でも昔の同室者であったらしい長次の来訪は多かった。
一人暮らしでつい作りすぎたという惣菜や、趣味で作ったお菓子をいつも土産にくれる。
小平太の相手もしながら、留三郎と講義の内容についての話もする。留三郎にとっても長次の存在は心地よかった。
ある日の休日、バイトを半日で終えて何をするでもなく家で小平太といると、突然玄関のインターホンが鳴った。
誰だろうと扉を開くと長次が立っていた。室内に招き入れるとこれまたいつものように「手土産だ」と大きな紙袋を渡された。
「いつも悪いな。そんなに気を遣わなくていいのに」
「いや、趣味で作っただけだから、一人で全部食べるよりも誰かに食べてもらえる方が嬉しい」
「ありがとう。小平太も喜ぶから相手してやってくれよ」
部屋に行くと丁度壁が死角で見えない位置にいた小平太が長次めがけて抱き付いた。
普通の人間ならいきなりのアタックによろめき転倒しそうだが、さすが長次というべきか。小平太のやる事なんて最初から分かっていたようで何食わぬ顔で抱き留めていた。小平太も満面の笑みで「長次、いらっしゃい!」と声をかける。
小平太のことは長次に任せようと、留三郎は長次からもらった土産を紙袋から取り出す。中には二つのタッパーにそれぞれスポンジケーキのような焼き菓子が入っていた。
はて?この菓子は紅茶が合うのか珈琲がいいのか…。
冷蔵庫を開けると早朝に小平太が作り置きをしてくれた煮出しの麦茶があったので、それを出した。
焼き菓子を適当に三人分にカットし残りを冷蔵庫に入れる。トレーにのせると長次と小平太のいる部屋に向かった。
部屋では相変わらず長次にじゃれていた小平太が留三郎の持つトレーを見て目を輝かると、途端に興味を示した。
「長次!もしかしてこれはボーロではないか?懐かしいな」
「ボーロ?」
余り聞きなれない言葉に床に座りながら留三郎が聞くと小平太の代わりに長次が教えてくれた。
「室町時代にポルトガルから輸入された南蛮菓子のことだ。日本では小麦粉やそば粉、ばれいしょでん粉をこねて焼いた菓子だけのことをいうが南蛮では菓子全般のことを”ボーロ”という。因みにこのボーロの正式名称はカスティーリャ・ボーロだ。食感がカステラによく似ているだろ」
「あ、ほんとだ」
見た目はスポンジケーキのようだが食感はカステラのようにふんわりしていて美味だった。出来るだけ当時の味に近付けたいと砂糖の替わりに黒砂糖を代用、サラダ油を使っていないのも長次なりの拘りだ。
小平太は昔を懐かしむように咀嚼する。
「ボーロなんて玉子ボーロみたいな丸くて小さい駄菓子しか知らなかった」
「現代ではボーロといえば玉子ボーロや丸防露が一般だから。当時の甘味といえばこれや団子くらいの物だった」
「ふぅん…」
今日の長次はよく喋る。確かに昔は砂糖なんて高級品だったのに現代では其処彼処の店で甘いお菓子があふれかえっている。そう考えると自分たちは随分と贅沢な時代に生まれたものだ。
そう考えながら横で幸せそうにボーロを食べる小平太を眺める。留三郎が作った料理もいつも美味しそうに食べてくれるがそれとは明らかに違う表情だ。懐かしい思い出の味なのだから当然だが、まるで一番の大好物とでも言わんばかりに。でも何故だか胸にひっかかる。
何の記憶もない俺といるよりも長次と一緒に暮らす方が小平太は幸せなんじゃないのか?
「あ…っ」
胸のひっかかりの原因に気付いて思わず声を出してしまった。小平太と長次がどうした?といわんばかりの表情で留三郎を見る。
「いや、何でもない。本当にこのボーロはおいしいな」
当たり障りのない言葉を並べ、笑いながらその場を無難にのりきった。
******
長次が帰宅し、夕食を終え就寝までの時間を小平太と過ごす。
今日の小平太は珍しく自分から昔の話をしてくる。今までは過去について興味もあり相槌をうちながら聞いていたが、今日の話に出てくるのは長次の名前ばかり。
そりゃそうだろう。小平太が話しているのは室町時代に食べた思い出の料理や菓子の話題なのだから。だが、余りにも長次の名前を連呼するので留三郎はイライラしていた。
なんとなく付けっぱなしのテレビに視線を向けると世間で流行のドラマが流れていた。小平太は留三郎と話している最中にも時折テレビ横のヒマワリを眺める。
どうしてそんなに笑っていられるのか分からない。
「くだらねぇ…」
気付けば口にしていた。小平太が珍しいものを見るように不思議そうに留三郎を見つめる。その表情が余計にくだらない。
「長次長次ってお前の話は長次ばかりだな。どうせお前は長次との思い出で頭ん中いっぱいなんだろ」
こんな所にいないでさっさと長次の家に居候すれば良いじゃないか。あの男なら喜んで迎え入れるだろ、なあ?
自分の気持ちに気付いた時には既に口がすべっていた。
しまった…と我に返りながら小平太を見ると、硬直したまま瞳を見開いて留三郎を見つめている。
「あ、いや、小平太…悪い。そういうつもりじゃなかったんだ」
「…ごめん」
「お前が悪いわけじゃない、お前を傷付けるつもりなんてなかったんだ…」
「……ごめん」
小平太は項垂れるように視線を落とし、何を言ってもごめん…と謝るだけだった。
静寂の時間が流れる。テレビは付いてるはずなのに、自分の家はこんなに静かだっただろうか?
言い訳も空しく小平太との気まずい時間が流れる。
今の状況から抜け出したくて留三郎は「すまねえ」と一言謝ると逃げるように浴室に向かった。洗髪をしながらつい先ほどの事で頭がいっぱいになる。
自分はなんて事を言ってしまったのだろう…
醜い嫉妬心で小平太を傷付けてしまった。
俺が風呂にいる間に家を抜け出さないよう「家から出るな」という思いを込めてベランダへ続く唯一の窓と玄関扉の施錠をしてきた。
だが、もし愛想を尽かされてこの家を出てしまったら…。いくら現代を学んだといっても所詮は過去の人間。本来ならばこの時代に存在するはずがない。
一人で生きていくにしても戸籍がなければ当然働けない。今の時代にあるのかも分からない深い山奥で静かに生きるくらいしかあいつにはないんだ。
もしくは幽霊になってまた独りになるしか…。
そう考えた途端に熱いシャワーを浴びているにも関わらず身震いがした。急いで浴室を出て簡単に寝間着に着替え、部屋に戻ると小平太はヒマワリを見つめていた。
安心してほっと溜息をつくと、小平太は溜息の意味を勘違いしたようで留三郎に背を向けて項垂れる。
俺はなんて不器用なんだろ…。
弁解してまた誤解をされたら厄介だ。そう思うとなぜか全てが億劫になった。
留三郎は部屋の電気を消しながら「もう寝よう」と言うと半端無理やりに小平太を抱き上げて一緒にベッドへともぐった。自分が寝ている時に逃げ出さないように小平太を壁寄りにして抱きしめる。
しばらくはそうしていたが小平太が大して抵抗しなかったので安心して力を緩めると、留三郎に背を向ける形で寝返りをうった。今度は逃がさないように背中越しに小平太を抱きしめた。
留三郎が眠りに落ちる瞬間、小さな声で「もう、終わりなんだな」と小平太の呟く声が聞こえた。ような気がした。
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