RKRN小説/長編 | ナノ
作品


 日常〜日影蔓に陰る頃〜

――た…。

―――いた。

遠くで誰かの声がした。
声の主は分からないが、聞いていてとても心地がよい。…私はこの声の主を知っている。
だが肝心の声の正体が思い出せない。私は聴覚に全神経を集中させていると、それは自分の名前を呼んでいることに気付いた。

「小平太!」

気が付けばここは真っ暗な自室で、寝ていた小平太を心配そうな表情で長次が見下ろしていた。
たしか昨日はいつものように寝具にもぐって眠前の言葉を交わしてそのまま寝た気がする。なのにどうして目の前の男はそんな不安な表情で自分の名前を呼んだのだろう?
疑問に思いながら起き上ろうとした小平太の体を長次は「横になっていろ」と優しく押し戻し、寝具に沈める。

「まだ夜中だろ?こんな時間にどうした…もしかして私の鼾がうるさかったか?」

すまんと言う小平太の謝罪に長次は否定の意で首を小さく左右に振った。そして小平太の頭を優しく撫でながら「呼吸が荒くてしんどそうだった。伊作に薬をもらってこようか?」と訊ねた。
そういえば、夢の中で誰かに呼ばれる前、みょうに息苦しかったように思う。そうか、あの声は長次だったんだな。

「薬はいい。それよりも喉が渇いてしようがないから、すまんが水を持ってきてくれないか?」

長次は頷くと静かに立ち上がり井戸へと向かった。
戸に手をそえる長次の背中に向かって「夜中なのにうるさくしてすまん」と謝ると、小さい声で「細かいとは気にするな」と励まされた。

あれからすぐに長次は水の入ったやかんを持って帰ってくると自室に常備している湯呑に水を注ぐ。小平太はゆっくりと身を起こし長次から湯呑を受け取ると嚥下する。自分が思った以上に口渇していたことに気付き、一気に飲み干した。
口腔内が潤うと小さく深呼吸をした。その様子を隣で静かに見守りながら長次は、小平太の枕元にやかんを置き自分の寝具にもぐりながら、小平太が寝付くまで見守っていた。





翌日――

用具委員会の仕事がないのか珍しく留三郎がバレーに誘ってくれた。
だが今の小平太はどうしてかバレーをやりたい気分ではない。折角の誘いだが断ると留三郎は「そうか、伊作が心配していたぞ?」と言った。
どうして伊作が心配するのだろう?小平太がハテナマークを頭上に飛ばしながら尋ねると「何でもない」と苦笑された。

体育委員会の仕事で体育倉庫内の在庫確認と近々使用する下級生の野外授業の下見をした。いつもは他に委員会の一環として塹壕掘りやマラソンも行うのだが、後輩達もよく頑張っているからたまには休んでも良いだろう。
そう思い解散を告げると、下級生は一斉に目を丸めて驚いた。
滝夜叉丸なんか「先輩、どこかお身体の具合が悪いのですか?」と恐々と聞いてきた。
なんだよ、私だってたまには休息が欲しいんだ。そんなにトレーニングがしたいならお前ら個人ですれば良いじゃないか。
思わず不機嫌顔で返すとそのまま自室のある長屋へと足を進めた。
歩く寸前、足元には何もないはずの地面に躓き、転びそうになった。


外も暗やみ、何もすることがなく自室でただ寝転がっていた。
長次は先刻から六年は組長屋に用があると言って出て行った。長次が帰ってきたら一緒に風呂に行こうか。そう思いながら硬い床の上でゴロゴロ寝返りをうっていると戸が開き文次郎が入ってきた。

「よぉ、文次郎どうした?こんな時間に」

「小平太一人か?長次はいないのか」

「長次に用事か?生憎だがは組の所に行ってるぞ。すぐ戻ってくると言ってたから此処で待ってるか?」

「いや、別に長次に用があるんじゃねえ」

「?」

「まだ風呂に入ってねえだろ。どうだ、これから夜間鍛錬にでもいかねえか?」

文次郎の申し出にいつもなら速攻で喜ぶ小平太だったが今日はなぜか喜べなかった。確かに思う存分体を動かしたいが、同時に夏バテのせいか体がだるくて喜べない。出来ることなら早く体を清めて眠りにつきたかった。

「すまんが今宵は鍛錬をやりたい気分じゃないんだ。また今度誘ってくれ」

小平太が残念そうな顔色で言うと途端に文次郎は「バカタレ!」と怒鳴り「自分で自覚しているならさっさと伊作に診てもらえ!」と言い残し、戸を乱暴に閉めて行った。
ただの夏バテなのにどうして文次郎は怒ったのだろう?小平太は理由が分からず戸を見つめたまま途方に暮れた。


これは果たして日常だったのだろうか。

真夜中の一件以来、小平太の枕元には長次が毎晩水の入ったやかんを置いてくれている。
寝付いてしばらくすると呼吸が苦しくなって目が覚める。そして喉の渇きを潤すために何度も水を飲みこむ。
長次を起こしてしまわないようについ気が張ってしまい、やっと寝付けても息苦しくて目が覚める。
その繰り返しで眠れぬ日々が続いた。

そんな小平太の横で寝具にもぐりながら長次は己を心配させまいと何も言わずに見守っていた。


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