RKRN小説/長編 | ナノ
作品


 水濡れの天使

あの時、戦場に行かなければ
お前は今も生きていたのだろうか――?



残酷な悲劇は突然訪れた。

その日の授業も全て終わり、自室で委員会の仕事を進めているとふと縁側の方が騒がしいのに気付いた。
その声の中には犬猿の仲でもある留三郎の声があり、一言文句を言ってやろうと文次郎は戸を開いた。
そこには神妙な面持ちで六年は組と話を交わす仙蔵の姿があった。

文次郎と目があった途端、三人はしまった…とでも言いたげな苦々しい表情をする。
ふと仙蔵の背中に背負われている人物が、仙蔵の上着だろう布から覗く髪の色からして小平太だと気付いた。


「仙蔵、その背負ってる奴は…」

文次郎が近付き仙蔵の背で眠るびしょ濡れの小平太に手を伸ばそうとした瞬間――

「触れるなっ!!」

仙蔵が怒鳴りながら片手を振り上げ、文次郎の伸ばした手を叩いたと同時に反動で小平太を覆っていた布がスルっと床に落ちた。
鈍い音が響いて縁側が静まりかえる。

仙蔵はそのまま文次郎を見向きもせずその場を去った。

「ごめんね、文次郎。今はまだ詳しく話せないんだ。取敢えず後で作法室に来てくれないかな。話はそこで」

伊作はそう言うと布を拾い上げ、仙蔵の後を追うようにその場を後にした。

ここにはもう文次郎と留三郎しかいない。
留三郎が声をかけようと模索しているようだったが無視して自室に戻ろうとした。
戸を開けようとした瞬間、文次郎の左手を留三郎が掴んだ。
無愛想な表情で「なんだ?」と聞くと、留三郎はいつもの熱気がどこへやら少し辛そうな表情で文次郎を見つめていた。

「ごめんな。助言くらいならしてやると言いながら何も出来なくて。お前も小平太も辛かったのにな…」

「同情なんてまっぴらだ」

そう睨むと自室に入り乱暴に戸を閉めた。

外は留三郎の珍しい行いのせいか、暗雲が広がり昼間なのに異様に薄暗かった。

























あれから委員会の仕事なんて全く捗らなかった。

仙蔵の背で眠っていた小平太を思い出す。
布から覗いたあいつの顔はいつもの笑顔が嘘のように蒼白だった。
長い時間雨に打たれたように髪がびしょ濡れで、こんな真冬に濡れたら全身が震えるだろうにあいつは心臓までも止まったように微動だにしなかった。
そしてあいつの四肢は力が入らないのか人形のようにだらんとしたまま仙蔵に背負われていた。

誰か嘘だと言ってほしかった。
だが伊作も留三郎も文次郎の不安を煽るような言葉しか残さなかった。
現実には戻りたくないが、自分だけの世界に閉じこもる術も知らない。
結局、委員会の仕事はそのままに文次郎は伊作に言われた通り、作法室へ行くため腰を上げた。

























「いらっしゃい。呼びに行こうかと思ってた所なんだ」

伊作はそう言うと文次郎を作法室へと招き入れた。
部屋の中央には小平太だろう人物が眠っている。いや、正直小平太なのか分からなかった。
現にその人物の顔は白い布で覆われて綺麗に梳かした髪の色と質だけで判断したのだから。

文次郎は伊作を無視しながらもそのまま招かれるように眠る人物の傍らに屈んだ。
その人物の向かい側に伊作が静かに座り、顔を覆っていた白い布をゆっくりと取る。

「小平太、綺麗になっただろ。本当にただ眠ってるみたいに永眠(ねむ)ってる」

「………」

「仙蔵が死化粧を施したんだよ。僕は死後の処置くらいしか出来なくてさ」

「………」

「仙蔵は井戸に行ったから。暫く帰って来ないから当分此処にいて大丈夫だよ」

「………」


返事なんて出来るわけがなかった。

何を言えば良いのか、どんな言葉をかければ良いのか文次郎は分からなかった。
やっとの思いで小さく震える手を小平太の頬に添えるが、温もりも柔らかい感触も何も感じなかった。
まるで雪のかたまりを触っているようで、このまま触れていると融けてしまいそうで恐くなり、すぐに添えた手を離した。

瞳を閉じて心中で「すまん」と謝るしか出来なかった。

もうすぐ仙蔵が帰ってくるだろうと言う伊作に倣って作法室を出たが、戸の前から動けず立ち尽くしていた。
部屋の中では耳を潜めなくても伊作の優しい声が聞こえてくる。

――小平太。文次郎が来てくれて良かったね。

――君の葬儀が終わるまではまだ僕たちの傍にいてくれよ?

――天国で長次とお幸せに。



動けないで廊下に立ち尽くす文次郎の前に、井戸から帰って来た仙蔵がいた。
仙蔵は文次郎に気付くとさっきの怒声はどこへやら室内には聞こえないよう声色で口を開く。

「元はと言えば私がお前たちの疑感の原因だったのだろう?すまなかったな」

小平太に一緒に寝ようとからかったあの夜のことを言っているのだろう。
だがそんなのは理由になんてならない。
本当は文次郎本人が小平太の想いを突き離したのがそもそもの大きな原因だろう。

「いや、悪いのは俺なんだ。俺はあいつの全てを否定した、その結果がこれだ」

「文次郎。お前だけの責任ではないぞ」

「あいつは自殺なんてするような奴じゃない。俺が付き離しさえしなければあいつはあの世になんて逝かなかった。俺が小平太を殺したんだ…。おれが」

「いいかげんにしろっ!」

突然仙蔵が怒鳴ると文次郎は我に返ったように黙った。

「文次郎。お前は一人で考え過ぎだ。少し休め」

そう言うと間髪いれずに文次郎の腹を拳で殴った。
いきなりのことで油断していた文次郎は仙蔵の拳をもろに受けそのまま床に倒れた。



「仙蔵、いくらなんでもやりすぎだよ」

作法室の戸から静かに伊作が覗く。

「こうまでしなければこの馬鹿は休みなんてしない。何徹したのかは知らんが碌に頭も働かんのだろう。そんな思考回路で悩んでも答えなんて見つからんだろうに、この馬鹿者め」

そう言い捨てると仙蔵は文次郎をひこずるように抱え六年い組長屋へと歩を進めた。


























気付けば視界は暗闇だった。
徐々に瞳が慣れると見慣れた長屋の見慣れた天井が見えた。
どれだけ眠っていたのかは分からないがいつもの気だるさが軽減されている気がする。
そういえば最後に記憶があるのが、作法室の前で仙蔵に腹を殴られたまでだった気がする。
思い出して反射的に腹を押さえるがなんの痛みも感じなかった。

確かあれは昼過ぎ。そして今はこの暗がりからして真夜中なのだろう。
こんなに長い時間自分は寝ていたのかと頭痛のように頭を押さえて文次郎は衝立の向こうの同室者を見た。
同室の仙蔵は規則正しい寝息をたてていた。
長髪が自慢の仙蔵は地肌が雪のように白い。彼の心の鼓動を聞いて初めて生きていると実感する。
文次郎は仙蔵を起こさないよう細心の注意を払い、押し入れから酒瓶を取り出すと長屋の戸を開けた。

向かう先は愛してやまなかった心魂の抜け殻の元。



作法室の戸をそっと開けると其処は昼間同様、顔に白い布を被った想い人が眠っていた。
生命の気配は全くない。
文次郎は部屋に入り静かに戸を閉めると室内の傍らに置かれている蝋燭に火を灯した。
先ほどよりもはっきりと部屋の状況がうかがえる。


想い人の傍らにかがむとそっと顔を覆っていた布を外す。
名前を呼べば何事もなかったように丸い瞳を開けてくれるのではないかと思うほど、小平太は生前のように傷一つなく静かに眠っていた。
だが、さすがは仙蔵というべきか。別れた人はさらに美しくなっていた。
死んだように美しく白い肌はどこか寂しげで、文次郎の心の内まで冷えてしまうのを止められない。その様はまるで、忍冬の花が真冬の雨に打たれているようだった。

暫く眺めていたがどかっと床に胡坐を掻き、持ってきた酒瓶の蓋を開けた。




お前への愛情が千々に乱れて伝える術が見つからず、かえって無表情な顔つきで冷たい態度を取ってしまう。
別れの酒瓶を前にするが能面のように顔が強張って、うまく笑顔を作れない自分が情けない。
そんな不器用な俺の代わりに、蝋燭が一滴、また一滴と涙を流してくれていた。



「別れのときには言葉なんて見つからない…」

そう呟くと文次郎は酒瓶をぐいっと飲み干し静かに部屋を去った。

小平太だったものは顔を露わにしたまま、文次郎が勢いよく飲んだせいで飛び散ったのだろう酒の一滴が涙のように付着していた。


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ちょっと長くなったので続きの続きます。
一括にできなかったorz
難産まだまだ続くよorz


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