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黄昏の時
昏という字を知っているだろうか。
昏は人の意味の『氏』であり、太陽の意味の『日』である。すなわち昏とは『人の立っている足元に日が長く映っている夕暮れ』を表した漢字なのだ。
日は昇れば必ず沈む。
それは時間の経過と同じくごく自然のこと。
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授業が終われば遅くまで友人と遊び、日が暮れると手を繋ぎ食堂へと走る。食堂へ行けばいつも母親のように優しくて強いおばちゃんが温かいごはんを用意してくれる。
僕は一年のころから不運でいつも落とし穴に落ちたり獣用の罠に引っ掛かって泣いては仲間や先輩方が助けてくれていた。本当に不運だったらこの戦国乱世、とっくにあの世へ逝っている。大切な仲間のいるこの学園にいるだけで強運なんだってことを僕は忘れたことは一度もない。
僕達がはれて四年に進級したころ、学園に一人の教育実習生がやってきた。
しばらく山田先生の実家に居候していたらしい土井半助という青年だった。
当時はまだ23歳とまだ若いのに現役の忍者を引退されたらしい。詳しい事は先生方は何も言わなかったし僕たちも聞くのに気が引けたので真相は謎のまま。
しばらくその先生は四年は組の教育実習生として迎えられた。
その日、僕は医務室で小さな一年生の怪我を処置していた。
友達と遊んでいる最中、盛大に転んで膝を擦りむいたそうだ。一緒に遊んでいた友達も心配そうにそばで見ている。
そういえばこんな風景、僕が一年だった頃にも見た気がする。
たしかみんなで鬼ごっこをしている最中に僕が転んで、留三郎が医務室まで背負ってくれたんだ。仙蔵と文次郎は一足早く医務室へ新野先生に知らせに行ってくれて、長次は黴菌が入らないよう素早く水の入った竹筒を傷口に流してくれ、小平太は医務室で僕が消毒の痛みに耐えている間、心配そうにずっと手を握ってくれていた。
懐かしい風景につい心が温かくなる。
処置を終えて「痛かっただろうによく頑張ったね」と優しく頭を撫でると一年生はさっきまでの悲しそうな顔が嘘のように笑顔で元気にお礼を言った。
そのまま友達と手をつないで医務室から退室すると、入れ替わりに土井先生が戸も閉めずに入室した。
「どうしました?」
僕が聞くと「火薬の調合で少ししくじったんだ」と軽く焼けただれた左腕を伸ばした。しばらく静かな時間が過ぎる。
ふいに必要最低限しか喋らなかった土井先生の口が開いた。
「君は子どもが好きなんだね。下級生もみんな君たち上級生を慕っている」
「それは土井先生もでしょう?下級生も僕達もまだあなたのことは殆ど分かりませんが、あなたの生徒を見る目を見れば本当は優しいんだってこと分かりますよ」
そう言うと土井先生は一瞬驚いた顔になったがすぐに寂しそうな、何かを偲ぶような表情になった。そのまま無言で治療を行う。
開け放した戸の外から夕暮れの光りが入り込む。
土井先生はその茜色の景色を見つめながら小さく、まるで独り事のように僕に言った。
「黄昏という言葉を知っているかい?」
「たそがれ?」
「黄昏の黄という漢字は広がりという意味も持つ。黄昏は『夕暮れ時の太陽の光が辺り一面に広がっている』ことを表している」
「…それが何か?」
「人生の黄昏という言葉を書いた事はないか?人生の晩年を意味している。日の暮れる一日の終わりの風景は寂しもので、人生の黄昏もまた、それと同じように哀愁を帯びているものだ」
そう寂しげに笑う土井先生が結局何を言いたかったのか、その時の僕には分からなかった。
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あれから僕たちは数々の試練を乗り越えて六年に進級し、卒業を目前に控えている。仲間との残り少ない僅かな時間も刻一刻と迫っているが誰もその話題には触れない。
そんなある日、僕は一人医務室で薬草の選別をしていると、音も無くタソガレドキ忍軍組頭の雑渡さんが現れた。
彼がここに来るのは今では慣れたので僕も大して驚かず粗茶を用意する。そしてどこからそんな情報を得たのか「就職おめでとう」と目を細めて微笑んだ。
「知っていたんですね」
「まあね。伊作くんにはタソガレドキ城に就いてほしかったけど君は拒否したんだもの。ああ、でも城医なら君にピッタリだ」
「僕は敵味方関係なく命を救いたいだけです」
「その救った命が君の旧友を狙う刺客だったら?」
「…その時は僕のやりたいようにするだけですよ」
そんな悪夢があるはずがないと心の片隅で思いながら答えた。それを知ってか知らずか雑渡さんはまた目を細めると「今はまだ『もしも』の話だが、いつか現実になるかもしれない」と言った。
「人生の黄昏という言葉を聞いたことがあるかい?」
「そういえば、以前土井先生にお聞きしました」
「そう…。人生において黄昏る時は最低ニ回あるといわれている。一つは自らの死を悟った時だ。生から死への間を彷徨う心境は、まさに黄昏そのものだろう」
「もう一つは?」
「それはまだ私の口からは言えない。だが、伊作くんならきっといつか分かる日が来るかもしれない」
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僕達が忍術学園を卒業して数年か過ぎた。僕の仲間はもう誰もこの世にいない。
みんな戦忍や城勤めの忍者隊として闇の中で活躍していたがそれも忍者の性、それぞれに忍者の最期らしい生涯を散らしたそうだ。
城医の僕は戦には直接関わらないものの己の信念のため、戦場で何人もの命を救ってしまった。
もし助けた命のどれかが仲間を殺した犯人だったら…。
そもそもみんながどの城に勤めていたのか、どの戦に参戦していたのかも分からない。
答えの見つからない罪悪感に、頭を鈍器で殴られるように辛かった。
そして僕は自分の信念に逃げるように城医を辞めた。
昔に帰りたい。
大切な仲間と笑いあった、可愛い後輩を守っていた日常とも呼べるあの頃に。
ふいに子どもが欲しくなった。
人生において黄昏る時期は最低ニ回あるという。
もう一つは愛し合った男女が一生を共に歩むかどうかを決断する時だ。結婚とは、今までの家族との生活から新しい家族との生活に変わる人生の大きな山場であり、色々と思い悩むことがあるのだ。
結婚という字の中に昏が潜んでいるのは、その証拠なのかもしれない。
明日ぼくは皆の知らない女性と結婚する。
⇒END
土井先生は何歳の時に忍術学園の教師になったんですかね。
下記は六年生の死因について。
潮江文次郎は戦忍として最前線で活躍してる最中に銃殺されて死亡。
七松小平太は同じく戦忍として活躍するも敵に捕まり毒薬の実験台にされて死亡。
立花仙蔵は仕えてる城の姫の影武者になり捕まって拷問を受けて死亡。
中在家長次は七松が亡くなったのを知って喪失して何を思ったか南蛮に密入国して行方をくらます。
食満留三郎は錫高野と敵同士の城で再会し、駆け落ちするも捕まり、錫高野と共に死亡。