RKRN小説/短編 | ナノ
作品


 幸せなときほど恐い

自主トレに誘おうといつものように無遠慮に六年ろ組長屋の扉を開いたが、部屋の主は一人しかいなかった。

「よお、長次」

「……」

部屋の主は挨拶の代わりに文次郎に視線を向け、小さく頷くとそのまま何もなかったように開いていた本に視線を戻す。
いつものことだ。
文次郎は特に気にすることなく、もう1人の主の行方を聞いた。

「長次、小平太はどうした?」

「…裏山で鍛練をすると言っていた」

長次は相変わらず本に視線を向けてはいるがちゃんと言葉を交わしてくれる。
これもいつものことだ。

「そうか。長次は鍛錬はしないのか?」

「…遠慮しておく」

では、小平太を探して二人で自主トレをしようと部屋を出る文次郎にモソモソと小さな声が呼び止めた。

「…小平太を元気付けてやってくれ」

「長次?」

振り向くと本に視線を向けていたはずの長次が文次郎を見つめる。
その表情だけで文次郎は長次が何を言いたいか理解した。

…なるほど。それで先程から頁を捲っていなかったのか。碌に本の内容なんて頭に入ってないんだろ。

わかったと一言残して文次郎は裏山へと走った。




******




いつの間にか空には月が輝いていた。
塹壕の中から覗く外の世界に小平太は小さくため息を付いた。
塹壕の中は暗闇で余計に外の月明かりが明るく感じる。
もっと掘っていたいがそろそろ帰らないと長次が心配するだろうか。
もうすぐ迎えに来てくれるだろうが、出来るならもう少し一人でいたい。
だってあいつは優しく私を抱きしめてくれるから、その温もりを感じると幸せになる。
その幸せが恐い。

幸せが頂点に達すると、かえって悲しみが湧いてくる。




また、やってしまった。

それは前日の校外実習でのことだった。
六年ろ組生徒で合戦場での両軍の情報、勝敗の行方を記録するというものだった。
戦には直接関わらないはずの実習だったが、そこに何処からか5つにも満たぬ幼子が激しさを増す合戦場へと迷い込んで来た。
それに逸早く気付いた長次が、助けようと合戦場へと駆け出した。
今にも足軽に斬られそうな子供を庇おうと、両手で子供を抱きしめる。
背中に強い衝撃を感じるだろうと胸の中の子供をぐっと強く抱きしめるがいつまで経ってもその衝撃は訪れなかった。

警戒しながら振り向くとそこはもう地獄絵図だった。
長次を斬りかかろうとしていた足軽の首は無く、血が火山の爆発のように溢れ流れていた。
程なくしてその胴体は地に倒れてしまう。その向こうには返り血を浴びて真っ赤に染まった無表情の小平太の姿があった。

合戦場の至る所から「化物だ!」「殺せ!」「あいつは人の皮を被った野獣だ!!」と怒声が響く。
合戦場とは殺し合うもの、人なんて存在しない。
みんな人の皮を被った化物なのだと頭ではそう思っていたが、目の前の小平太は人間とは思えないような真っ赤な瞳で殺気を帯びていた。
まるで肉食獣のような、本当に化物のような、獲物を逃すまいという鋭い瞳で睨みつけている。
あの瞳に自分の姿が映ったら最期だと覚悟するしか他にないだろうと思うほどの。
実際、小平太を討とうと近付き目が合った兵はみな鉛のように動けず気付いた時には血に染まり悲鳴を上げながら倒れていく。それが何十兵も続くと、やはり化物には敵わないと合戦場なのに逃げ出す者もいる。

早く小平太を止めなければ皆殺しになる。だが、この腕の中の子供を離すことも、ましてやこんな惨状を見せることなんて出来るはずがない。
ふと長次の腕の中で震えていた子供が長次の腕をガブリと噛んだ。

「つぅっ…」

思わず力を抜いてしまい、その間に腕の中の子供は逃げ出してしまう。
そのまま合戦場の外へ走ってくれれば良かったのだが、願いは虚しく子供は合戦場のど真ん中、小平太と一人の足軽の元へと走ってしまった。

「父ちゃん!」

子供の悲痛な叫び声に足軽は信じられない顔で振り向いた。その瞬間に足軽の首は真っ赤な苦無に刎ねられた。

力を無くしてその場に崩れ落ちる胴体。少し離れた所に首がゴロンと転がる。
子供は短い悲鳴を上げ、その場に立ち竦んだ。小平太のことなど眼中にないようだ。
胴体の方へ行こうか、頭の方へ行こうか迷う素振りをして胴体の方へと寄り添った。


「小平太っ!!」

その子供に対しても苦無を奮おうとする小平太を長次が強く抱きしめる。
頬の古傷に響くのも気にせずとっさに出来る限りの大声で叫ぶ。この時ばかりは長次の普段の小さい声も小平太には届かない。

「これ以上殺すなっ。俺は大丈夫だからっ」

全身で拒んでいた小平太の力が消えていく。代わりに全身がガクガクと震えて自力で立てなくなり、長次に縋るように身を預けた。

そこにはもう長次と小平太、真っ赤に染まった遺体の山と小さな子供しかいなかった。

子供のことも心配だったが、長次は何よりも腕の中の親友が心配でならなかった。
すると他のクラスメイトが駆け寄って子供を保護しようとするがが子供は父親の元から離れないまま威嚇する。
当たり前だ。小平太も長次もクラスメイトも皆同じ深緑の忍び装束を着ている。仲間と思われて警戒されて当然だ。
親の敵に保護されるなんて小さな子供だとて屈辱でしかないだろう。

それならば見知らぬ命よりも腕の中の命を守る方が大切だ。
そう結論付けると長次は小平太を自分の背中で背負い、その場をゆっくりと後にした。
背中から時折綴り泣くような声がした。






それから帰還したのが今日の朝。
帰って早々皆で湯浴みをするが、小平太は部屋から出なかった。
人一倍血に染まった身体は見る側も見られる側も気を使うだろうと思った長次が熱い桶を二つ部屋まで運んだ。

長次の気遣いに何度救われただろう…。

それから二人無言で身体を拭く。
すぐに真っ赤に染まった小平太の桶をそっと確認すると長次が使っていた桶をすっと譲った。
小平太が身体を何度も拭いてる間に血に染まった装束を洗うために長次が部屋を出た。

暫くすると伊作を連れて長次が帰って来た。


「合戦場の実習で少し怪我をした。酷くはなかったから先に身体を清めてもらった。診てやってくれないか?」

「うん分かった。それにしてもいつもはどんなに酷い怪我でも治療させてくれない小平太がちゃんと待ってるなんて珍しいね」

そう言うと伊作は持っていた救急箱を開け、中から消毒液やガーゼを取り出す。
「少し沁みるよ」と言いながら消毒液をガーゼに沁み込ませて傷口に当てる。
痛かったが顔を僅かに顰めるだけで我慢した。大人しくしていればこの保健委員長はいつだって優しいのだ。
その後も極力傷口を刺激しないように丁寧に処置をしてくれた。
最後の傷の処置が終わると「また夜に診に来るから。お大事に」と優しい笑顔で部屋を出て行った。

部屋には長次と小平太だけになった。
実習で今朝帰って来たばかりで、本日のろ組の授業は休みだった。
明日まで授業はない。昼まで一眠りしようと布団を一組だけ敷いて2人抱きしめ合うように寝た。


隣から声にならない寝息が聞こえる。
実習が終わってからも長次はずっと小平太の面倒を見てくれていた。それもあって余計に疲れたのだろう。
かくいう小平太も疲れてはいるのだが変に目が冴えて眠れなかった。
昨晩の実習の光景が目から離れない。
あの時は長次を守りたいという一心で誰彼構わず苦無を振り回していた。

苦無で斬る人肉の感触、自分を見て怯える兵の絶望的な瞳、身体中に飛び散る生温かい他人の血。
あの時は無我夢中でなんとも思わなかったが、思い出すと生々しい感触の痕に吐き気まで込み上げてくる。

そして長次が守ろうとしていた子供の命まで奪おうとしていた。

最悪だ。
いくら殺気に満ちていたとはいえ、罪もない子供まで殺そうとした。
あの時、長次が抱きしめてくれなかったら殺していたに違いない。

これからこの先、あの子はどうなってしまうのだろう?
父親以外に家族はいるのだろうか?あのままずっと父親の遺体から離れずにいるのだろうか?それなら危ないな。血や肉の匂いに誘われて山から狼や山犬といった獣が下りてくる。そうなれば遺体と一緒に獣に喰い殺されてしまう。
もし仮に生きていたとしても、あの子は死ぬまで一生私を怨み続けるのだろう。大切な人の命を奪ったのだから当たり前だ。
今日殺した兵一人一人にも両親や恋人や子供がいたのだろう。私は一体どれだけの人に怨まれるのだろう。
もし、今日のことが学園の後輩に知られたら?
学園にも少なからず戦災孤児がいる。そういえば長次が所属している委員の後輩にも孤児がいたっけ。そいつに嫌われたら私はどうすればいいのだろう…。
嫌われたくないが、自分は充分怨まれるようなことをしてきた。
私はどうなってもいいが、親友の長次と恋人の文次郎の幸せだけは奪われたくないなぁ…。

今の温もりが恐くなって長次から離れようと身を動かしたら、いつの間に起きたのだろう?逆に強く抱きしめられてしまった。

「…何処か痛むか?」

「ううん。どこも痛くない」

「…そうか」

そう言うと長次は腕の力を抜いてくれた。そのまま耳元で「細かいことは気にするな」と励ましてくれた。


昼まで寝るつもりが気付けば夕方まで寝入ってしまっていた。
お互いに寝ぼけ眼(まなこ)で視線を交わし「おはよう」と言葉を交わす。
夕食まではまだ充分時間がある。

「夕食まで少し鍛錬をしてくる」

「…一緒に付き合おうか」

「あぁ…ごめん。暫く一人になりたいんだ…」

「……。そうか、気を付けて行けよ」

「うん。ありがとう」

長次が少し不満気な顔を見せたが気付かないふりをして部屋を出た。
そして裏山で塹壕を掘り続け今に至る。

掘り続けてどれくらい経っただろう?
大好きな塹壕を掘っていたら少しは気が紛れるだろうかと思ったが、余計に悲しみと不安が募るばかりだった。
塹壕の中は暗闇で余計に外の月明かりが明るく感じる。
そろそろ帰らないと長次が心配するだろうか。
もうすぐ迎えに来てくれるだろうが、出来るならもう少し一人でいたい。

幸せが頂点に達すると、かえって胸の内に悲しみが湧いてくる。
皆の傍で元気で笑っていられる時間は、後どのくらい残っているだろう。
やがて来る別れの死をどう受け止めたらいいのだろう。

気付けば視界が万華鏡のように歪んでいた。
瞬きをすると一滴の滴が落ち、自分が泣いていたことに気付く。

「バカだなぁ。泣くことなんて子供の頃に諦めたはずなのに…」

まるで他人事のようにそっけなく呟いた。ふいに背中越しに何かの気配を感じた。

「小平太?」

「文次郎か」

興味なさげに文次郎に視線を向けると、驚いたように目を丸くして此方を凝視している。

「すまんな。こんな無様な顔を見せてしまって。生憎今の私はいつものように笑ってられんのだ。もう少ししたら帰るから、先に帰ってくれ」

「バカタレ…」

視界の中の文次郎が近付いてくると思った途端、文次郎の胸元にすっぽり収まるように抱きしめられた。
背中越しに赤子をあやすように文次郎の手が優しく揺れていて心地よかった。

「こんな暗い所で独りで泣いてんじゃねえよ。辛い時は俺か長次の側で泣け。胸でも背中でもなんでも貸してやっから自分一人で抱え込むのはやめろ。お前はそんなの似合わねえんだからとっとと泣いてすっきりして、細かいことなんざ気にしないで笑ってりゃ良いんだよ。な?」

文次郎はずるい。
人の温もりに包まれるのが恐くて恐くてしようがないのにそんな言葉を言われたら、縋らずにはいられないじゃないか。

「頂点を極めてしまえば、後は下るしかないんだ。忍びといえど人間である以上、永遠に生き続けることなんて出来ない。苦労して手に入れた強大な権力も、温かい日常も、全部生きている間だけの借り物にすぎない。私は失うことが恐怖でしかないんだ」

背中越しの文次郎の手が力強く抱いて少し痛かった。

「それがどうした。いいか?未来は過去にも未来にもない、今追うものだろ。そんな先の事を今からうだうだ考えんじゃねえ。人間は希望がなきゃ生きていけない生き物なんだから15やそこらのガキが幸せの頂点を決めつけてんじゃねえよ。例え全部失ったとしても俺だけはお前の側から離れない。何度死のうが生まれ変わる限り永遠にだ。これだけは覚えておけよ」

「文次郎は忘れさせてくれなさそうだ」

「当り前だ。つか泣きながら笑ってんじゃねえよ」

乱暴ながら文次郎の袖で涙を拭ってくれた。
少し痛かったがこれも文次郎なりの不器用な優しさなのだ。
他人にも自分にも厳しくて人を慰めるのが苦手な癖して、精一杯の愛情をくれる。
そんな恋人の存在に小平太はまた幸せの絶頂を感じて悲しくなった。

「そういえば今日の晩飯はヒジキが出るそうだ。お前にやるよ」

「本当?文次郎大好きだっ」










「小平太、怪我の具合はどう?」

「いさっくんの治療のお陰で全然痛くないよ。有難う!」

「…文次郎。小平太が世話になった」

「いや、俺は何もしてねえよ」



⇒END

見ようによっては長こへにも見えなくはない。
いつものことながら書いていく内によく分かんない話になってしまいましたorz


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