抱えた膝に顔を埋めて部屋の隅で蹲る。
私なんか居なくても変わりないと言わんばかりに廻る時計も、世界も、地球も。全てが憎らしくてぎゅっと握った拳に力を込めれば掌に爪が刺さったみたいで血が滴り落ちた。口の端を噛んで唇の薄い皮を噛み切る。開いた手は赤く染まっていて、まるでリストカットをした後の様で小さく笑った。
ガチャリと音がした。ドアノブを捻って扉を開け、私の許可も何も無く、無遠慮に私の部屋へと入ってきた口に煙草を咥えた彼は私のことなんか眼中にも無いのか、ガサリ、ガサリとスーパーのレジ袋の音を盛大に立てながら台所へと向かった。
確か彼は買い物へ行く前に冷蔵庫の中を見ていたから、冷蔵庫の中には何もなかったんだろう。
凡そお茶と私の薬しか無かったとか、そんなものだろう。
冷蔵庫の中へと食材を詰め込んで行く作業を黙々と続ける彼の背を睨めつけて居れば視線に気付いたのかくるりと振り返った。
私の顔を見て、その綺麗な顔を顰めて溜め息を吐いた。酷いやつ、だ。


「なに睨んでんだ」
「気のせいじゃあないの」
「んなわけあるか。睨む位なら俺の手を煩わせんな」
「勝手に家に来てやってるだけじゃあないの」
「テメェ…!」


青筋を立てて私を睨むアイツを視界から追い出して携帯電話に手を伸ばす。
最近買い替えたばかりのそれはタッチパネル式で中々使い易い。画面を撫でる様に指を動かせばそれに応えて画面も切り替わる。
カバーもストラップも何も無い携帯電話は何だか味気ない。だけど必要性を感じないのでそのままでも問題ないだろう。
冷蔵庫に食材を詰め終えたのか、彼は私の方へ体を向けて歩いて来ていた。
目の前でしゃがんで視線を合わせる様に顎を掴まれる。
されるがままにして居れば、酷く不機嫌そうな、不愉快そうな顔をして私にタバコの煙を吹きかけた。なんて底意地の悪い野郎だ。


「っ、ゲホ」
「おう、生きてっか」
「う、ゲホッ…ケホ、」
「携帯変えたのか。一丁前にタッチパネルとはな。使いこなせてんのか?」
「…さぁね」
「飯食ってねぇんだろ」
「胃が受け付けない」
「それでも食えっつっただろ」
「吐くよ」
「吐けば良いんだよ」
「…なんでまた来たの」
「また来て欲しかったんだろ?」


薄っすらと笑ってポンポンと頭を撫でる彼から視線を外して台所へと目を向けた。
ガスコンロの上には薬缶が乗っていて、火をかけていた。
近くに二つ、色違いのマグカップがあることからして多分珈琲を淹れてくれるんだろう、このお節介焼きは。
視線をまた彼に戻せば彼はまた笑って煙草を灰皿へと押し付けた。まだ長い煙草は押し付けられた事により縮められ短くなってしまった。
腕を広げておいでと微笑む彼の首に腕を回して縋る様に抱きつけばそっと背中に腕を回して私を包み込んでくれる。
なんだかんだと言いながら彼に依存している私は愚か以外の何者でも無いのだろう。
彼から抜け出して一人で生きる術を探すことを放棄した数ヶ月前から彼は毎日忙しいだろうに私の家へとやってきてはこうして私を抱き締めてくれる。
何を思ってこんな面倒な役を請け負ったのかは、私には到底知り得ないけれど一つだけ、頭の悪い私にもわかる事がある。
それは彼の腕の中はとても安心できるということである。
暖かくて逞しい彼の腕は私の精神を落ち着けてくれる為にあるのではないかと錯覚してしまう程である。
しかしそれを言えばイタリアーノで口の上手い彼の事だ、「お前の為に俺は生まれたのだから当たり前だろう?」と気障ったらしい科白と共に頬にキスでもしてくる事だろう。


「スィニョリーナ、何を考えてる?」
「どうやって、生きて行こうかな、と」
「…そうか」


口からでまかせ。何処か現実味を帯びた嘘を吐けばするりと背中に回された腕が離れて無造作に身体を引き離される。
じっと私の目を見つめて、彼が口を開いた途端薬缶が甲高い音を立てて湯の沸騰を告げた。
チッ、と舌打ちをして台所へと戻った彼を見送って私は座り直した。
少しして、白と黒の色違いのマグカップを持って戻ってきた彼は私に白いマグカップを手渡して隣に座った。
こくりとミルクと砂糖の入った珈琲を一口飲む。口の中に何とも言えない苦味と香りが広がった。
隣に片膝を立てて座っている彼のマグカップの中は真っ黒ですぐにブラックコーヒーだと分かった。
思わず顔を顰めてまたミルクと砂糖の入った珈琲を飲む。
そんな私が面白かったのか、彼はくつくつと喉を鳴らして笑ってマグカップをガラス張りのテーブルの上に置いた。
同じ様にテーブルにマグカップを置けば彼は私の手を柔く繋ぎ、手の甲を撫でる様に指を滑らせる。
さっき血が出た方の手だけれど、もう血は止まっているのか彼の手が赤く染まる事は無かった。
ちらりと視線だけをそちらにやれば、繋いだ手を見つめて優しく笑う彼の顔が見えて、なんだか気まずくて視線を戻した。


「プロシュート、」
「なんだ?」
「…私、そろそろ貴方に依存するの辞める」
「…」
「このままずっと貴方に依存して面倒見られてヒモ生活も、まぁ…確かに悪くはないよ。寧ろ楽だし、素敵」
「…そうか」
「でも、だけどこのままじゃあ私、私…」


ー腐っちゃう、


ポツリと呟けばぎゅっと繋いだ手に力を込められた。傷が開いたのか彼の手が少しずつ赤く染まる。
骨ばっていてごつごつした彼の手は血で濡れても綺麗だった。
長い指が私の短い指と絡まる。
掌は少し痛かったけれど、どうでも良かった。


「…プロシュート」
「…なんだ、名前」
「都合が良いって、言うかもしれないけど…甘ちゃんだって言うかもしれないけど、私、プロシュートと離れたくないよ」
「……」
「私はプロシュートに拾われて一緒に暮らしてる。これからは一人で生きる術を探して、ここから出て暮らす。けど、プロシュートが居ないのは、嫌だ」
「…随分と熱い告白だな」
「そうだね。でも離れたくなんかないよ。当たり前でしょ。私のこと甘やかしてくれるの、貴方だけだからね。離れたくない。」
「とんだ甘ちゃんだな…スィニョリーニじゃあなくて、マンモーナか?」
「そうかもね。でも良いよ。マンモーニでも甘ちゃんでも屑でもゴミでもなんでもいいけどプロシュートと離れたくないから。離れてあげないから」
「そうかよ」
「そうだよ」


そこまで言って、繋いだ手に向けていた目線をあげて彼の顔をしっかりと見つめる。少し居心地悪そうな顔をしているけど関係ない。私は自分の気持ちに正直に生きる。だから離れたくない。離れてやるもんか。
繋いだ手にぎゅう、と力を込めて口を開いた。さっきペロリと舐めた唇はもう、乾いていた。


「プロシュートだって私に依存してるんでしょう」
「……」
「その手首。ねぇ私に依存してから減ったでしょう」
「…っ、」
「相変わらず夜は眠れてない見たいだけど。ねぇプロシュート。ベランダも必要な時にしか行かなくなったよね」
「お、れはっ…」
「認めなよ。認めてよ。認めて、それで、愛せばいいじゃない。それが自分だって、否定するから苦しいんだよ」
「おれ、俺は…」
「プロシュートも、私も、どうせ病気なんだから。」
「……」
「鬱病でも統合失調症でもなんでもいいじゃない。ねぇ、プロシュート」


プロシュート。
名前を呼べば視線を彷徨わせるプロシュートの腕を引いて頭を抱える様に抱き締めてやれば今度は彼が縋る様に私の背に腕を回した。
くすりと笑って頭を撫でてやれば私の名前を呼んで泣きそうになっている。私も彼も、もう既に何もかもを失っているのだ。怖いものなんて無いはずなのに、どうしてこうも怯えるのだろう。
プロシュート。
再び名前を呼べば殊更顔を歪ませて目尻から涙が零れ落ちた。
冷えた珈琲もそのままに彼の額に優しくキスを落とせば彼は笑って、それから泣いた。


啼きながら呼吸して

嗤いながら息を止めた




最初の方は小夜子(歌:初音ミク、曲:みきとP)をイメージしました。途中からどっか行きました。
結局は二人とも病気でした。
タイトルは舌様より
130521
 

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