リストバンドカット | ナノ


 教室の前に立ち扉を引く。
 朝の教室は賑やかで、たくさんのクラスメート達で溢れていた。教室に入って席に座り周りを見回す。何て簡単なことだろうと思うも周囲はそうは捉えていないらしく、唯を見ながら不思議そうな顔をしていた。
 たくさんの人がいるなか、自分を知っている人はほとんどいない。
 リストバンドを撫でながら「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。
 クラスにいる人間は自分に興味を失ったのか、もう見てはこないけれど、それはまるで唯という存在をなかったことにされたかのようで。
 リストバンドの下の傷が酷くうずいた。


 珍しいものを見てしまった。真田は柄にもなくそう考えてしまった。

「ねえ何そのコワイモノを見たような顔は」

 怖いもの、たしかにそれはある意味正しいかもしれない。
 目の前にはいわゆるセーラーを着た唯がありふれた学校鞄を肩に掛けて「どう?」と聞いてくる。

「学校に行っていたのか?」

「ううん、コレ中学の時の」

 もう発言のひとつひとつに驚きはしないと考えていたが、やっぱり年上だという事実には何となく衝撃を受けざるを得なかった。
 夏とはいえ時間も遅くなれば当然暗くなり街灯も輝く。
 唯は中学の制服を着て真田の前をふらふらとわざとらしく横に揺れながら歩いており、癖のある髪が街灯の明かりに照らされるたびにキラキラと光った。

「オニーサンの家は橋を渡ったあたり?」

「そうだ」

「あたしの家は橋を渡って右側の道路向こうでさ、たまにあの橋でザリガニ釣りとかしてたんだぁ」

「釣れるのか?」

 素朴な疑問に「釣れるよーコツがあるのー」と答え後ろを向きながら器用に歩くという動作を始める。

「最初に釣ったザリガニをばらして餌にすればあとはガッポガポ」

「なっとらん、前を見て歩かんか!」

「スルーされたあ…」

 悲しげな声を出しながら大人しく前を向くが、実際はそんなに気にしていないのだろう、すぐにどうでも良さそうに「そう言えばさー」と違う話をし始める。
 そうして唯の歩調に合わせながら歩くと真田も比較的緩やかな速度になり、周りが普段とはまったく違う様相を見せ始めた。
 川の水面が街灯の明かりを反射してキラキラとユラユラとしている。夜と夕方の境目たる空は橙色と藍色が混じり、何とも言えない風情を出している。足元の土が柔らかい。

「どうかした?」

 数歩ぶん先を歩いていた唯が立ち止まりとても不思議そうな顔をしている。

「いや」

 これが彼女が感じている世界か。
 普段の自分はひたすら目的に向かって突き進んでいただけだったから、まったく気付かなかった。速さを緩めることも、横を見て歩くことも怠惰がなすことだと考えていた。

「オニーサン?」

「たまには横を見るのも悪くない」

「…わけワカメー」

「正しい言葉を使え、たるんどる」

「へいへい、どーせなっとらん上にたるんでますよーだ。あっかんべー」

 あからさまな膨れっ面を見せたと思ったら、なぜか「あっかんべー」までされる。他の人間に対しては「そこへなおれ!」と言いたくなるのに、彼女に対しては「またか」としか思わないのは、完全に諦めの境地とでも言うべきか。
 しかし内心脱力している真田を気にすることなく唯は今度は「うーん」と唸り始めた。

「ねー、あたしさ、違和感ある?」

 真顔で聞かれて真田は内心戸惑う。
 違和感とはすでに高校生であろう年齢なのに、本人いわくの中学時代の制服を着ていることについてだろうか。それとも制服が似合う似合わないの問題か。
 眉間に皺を寄せて考える姿に、唯は真田が何を悩んでいるか気付いたらしく、小さな声で疑問を付け足す。

「…あ、学生としてどこにでもいそうな感じに見えますかって意味で…」

「…はやく言わんか」

「…まことに申し訳なく思った…で、どう?」

 どうか、と尋ねられてこうだ、と言えるものを探す。時間にして一、二秒、ひとつ頷いて真田は結論を述べる。

「中身を除けば、問題なかろう」

「オニーサン最近あたしに対して遠慮ないよね」

 そんなわけあるまい、と口に出そうとするが確かにそうかもしれないと思い直し、何も言わずまばたきをするに留める。
 自身の考えを晒すのが恥ずかしく思えたからだ。しかし唯はそんな真田を見て、意味もなくその場でくるりと一回転してみせるとあからさまに困った笑顔を浮かべた。
 その笑顔に真田はまたかと声を出さずに呟き、携帯を取り出すと母親に帰りが遅くなる旨を連絡した。最近彼女の機微にかなり敏感な自分も悪くはない、そう考えながら。


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