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走る。
練習で疲れていたがそんなものは関係ない。ひたすら足を動かして目的地へと向かう。
関東大会が終わって全国に出場できることが決まって少しだけ息抜きできるかと思えば、今度は厳しい練習メニューが待っていた。しかも高等部に進学した先輩たちまでもがやってきてメニューにあれこれ口だしされ、さらに試合形式の練習。
彼らとて暇ではないのに、気にかけてもらえるのは嬉しい。けれどそれに気を取られて大事なことを忘れていた。
ある先輩いわく「バカじゃねぇの?」
またある先輩いわく「ついに破局じゃの」
さらにある先輩いわく「じゃあ今日は走って行かないとね」
である。三人目の先輩は練習時間を伸ばしたうえの発言である、正直白々しいことこの上ない。
「くっそーっ」
呟いてポケットの中身をを手触りで確認する。
確実に入ってるコレをはやく渡したくてたまらないのに、足が重いのはしばらくまともに話していないからか。
けど、はやく会いたい。
切原はさらに速度をあげた。
音子は鍋の火を切って食器棚から皿を二枚取り出した。
「…また多めに作っちゃったし」
ビーフシチューは時間が経てば美味しくなるか否か。…三日が限度だな…。
ため息を吐いて皿を台の上に置く。
ピンポーン
と、軽い音がした。一階は店で、二階は自宅の浅井家にとってチャイムはあってないようなもので滅多に鳴らす人間はいない。しかも夕食時に。
「俊也出てよ」
「今忙しいし」
真剣な声と一緒にガチャガチャとコントローラーを操作する音が聞こえる。「愚弟が…」と呟いて自宅用の玄関に向かい、少し重いドアを開けた。
「…わかめ?」
「ちっげぇえよっ!!」
「冗談だし」
鋭い切り返しが繰り出されるのを軽くいなすと、目の前に立つ切原をちゃんと見る。
走って来たのだろう、制服は乱れ、息はかなり上がっている。自慢の髪にも若干の乱れが伺えた。
「どうしたの?こんな時間に」
「いや、あの………ごめん」
「何が?」
謝られる意味がわからずに首を傾げていると、切原は赤い顔をさらに赤くして何かを突き出してきた。
受け取って開けるか開けないか悩んでいたらひたすら見つけてくる切原と視線が合う。
開けろってか。
玄関から出てドアを閉めると、手に持った青い小さな袋を閉じていたセロハンテープを剥がした。
「…わ」
思わず声が出た。
入っていたのは黄色い小さな花が連なる形でデザインされたブレスレットだった。
「こないだ誕生日だったから…」
聞き取りにくい小さな言葉が身体中に染みる。
悔しいことに、嬉しかった。
「意外…覚えてたか」
「んなっ」
「ありがとう」
大切にする、とまで素直に言えないけど。きっと伝わっているだろう、だって切原が嬉しそうに笑ったから。
「単純…だなぁ」
「はあ?」
「私が」
「わっかんねぇ…」
「わかんなくていいんだって」
不安になるのも、不安を消したのも切原だ。私は多分、自分が思っていたほど冷めてない。
「ま、いいや。つか腹減ったんだけど」
「食べてく?」
「マジで?!何々?」
「ビーフシチュー」
「やりぃっ」
ガッツポーズを取ると慣れた様子で玄関を開けて「おっじゃましまーす」と中に入っていく。
いつもの光景だな。
音子はそっとブレスレットを撫でた。
君は私の精神安定剤