短編 | ナノ
夢使いのウタ
私は夢を見るときの浮遊感が大嫌いだ。
ゆらゆらと、水の中を漂いながら光を見るような眩しさが眼光を突くたびに苦しいとも悲しいとも取れない感覚が付きまとい首を絞めてくる。
その光を見ながら深く深く潜っていくと、途端に景色が現れて全ての感覚がリアルに戻ってくる。そしてたくさんの夢を見て、たくさんの選定を下す。
私は夢が嫌いだ。
キラキラと光っていたりドロドロしてたり、かと思えばいきなりぐらりと来るような光景を目の当たりにする。
これは私の夢ではない、なぜなら私は寝ていないから。
これは他人の夢だ。
幸せと不幸せを見極め、時に搾取し、時に与える。
それが私の仕事で「夢使い」の役割。「神」に幸せな夢を献上することだけが使命。
そう思っていた。
アーはぼんやりと崖に腰掛けていた。
青い空に白い雲が静かに泳ぐ、その風景だけがいまのアーにとっての癒しであり拠り所であり唯一信じられるものだった。
「何を見てるんだい」
心に溶け込むような心地よい声がそんな憩いのひと時を壊すように尋ねてくる。
自然に自分を同化させるように身を委ねていたアーは仏頂面を後ろへと向けた。
「何も、強いていうなら空」
「見てるんじゃないか」
くすりと笑いながら手に持つリュートの弦を一本弾く、それに次いで今度は高めの音が出るようにチューニングされた弦を一本。そして徐々にメロディーを奏でそれを風に流すように弾き始める。耳に心地よい音色が広がっていくのがわかった。
空を見ていたときと同様にぼんやりと後ろを振り返ると座って肩につかない程度の金髪を揺らして微笑みながら弦楽器を扱う青年とも少年とも取れない男が1人。
自分が想像していた通りの光景にアーはうざったそうに目をすがめて再び空を見た。
喋らしたら面倒くさい男だが演奏の腕には一目置いているのだから、ここは話しかけず黙って弾かせておくのが自分のためだろう。
穏やかなメロディが耳の横を掠めていく、心に浸透していくそれは空を見つめる心には染み込んでこない。
青い空と白い雲、気持ちの良い風と素晴らしい音楽。
この状況に自分は何を求めているのだろう。
「ラン」
「ん?」
どう考えても掠れていた声を無視するかのような勢いの言葉に、ああこいつは私の心がわかっているのだろうと思う。彼の役割を思えばそれが自然だろうし、憤るほどのことでもない。
だが湧き上がる妙な苛立ちだけはどうしようもなく、それを無視したままアーは言葉を続ける。
「私は何を求めているんだろう」
できれば聞こえていてほしくない、無視してほしい。でも答えてほしい。
ない交ぜの本心を語らずに呟くとランは「んー」と考える素振りを見せつつ楽器を演奏し続ける。
「君は失望した、その『過去』が辛いから空を見上げる、でもその空の先には君が失望した『神』がいる、『空』にいくら安寧を求めてもその『空』さえも君を裏切り失望させるかもしれない」
さらさら紡ぐ言葉のひとつひとつがかけたパズルのピースのようにぱちりぱちりと自分の中の何かにはまっていく。
「『空』は『夢』を見ない、だから君は安心できる、搾取しなくても与えなくても済むから、でもこの先に居座る『神』がもしもその『空』を作っているとしたら・・・」
ポロンポロンと悲しげな音色が耳朶を打つ。苛立ちも悲しみも感じないかわりに言葉が心を突き刺し、無情とも言える本心がさらけ出されていく。
そこでふっ、とリュートの音色が消え、すぐに砂利を踏みしめるような音が聞こえた。
振り返ると立ち上がり砂を払うランの姿が見える。目が合うと相変わらずの微笑みを浮かべながら楽器を背に背負った。
「続きは?」
聞くと「また今度」と返して手を差し出してくる。しかしその手を取らずにあえて自分の手を砂で汚し立ち上がると無言でランの背中をどつく。
ぐっ、と詰まったような声を出すと恨みがましそうな目で見てくるランにはアーは「ふんっ」と鼻を鳴らし先へ進んだ。
ランは自分の本心を理解することができない。しかし他人の本心なら手を取るようにわかる「詩歌い」だ。
だからこそ彼の言う言葉は静かでまるで大嫌いな浮遊感に似ていて、それゆえに真実だった。
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