道の街 | ナノ
第十三章
そこはたくさんのスケッチブックを絵の具で埋め尽くされた部屋だった。本棚には大きさも厚さもバラバラのスケッチブックと本、机には筆とペンと木炭がペン置きに立てかけてあり、その様子からかなり使い込まれているものだという事がわかる。
「ココどこだ?」
「・・・メグの部屋だ」
トニーのあまりの驚きにどうしようもない、という声にロイはぎょっ、となる。そしてメアリーの方を向くと目線で「黙ってろ」と脅された。どうやらこの事に関して文句はしてはならないらしい。仕方なくトニーを気にかけながら部屋を見回すと机に1人の女の子が座って熱心に何かを書いている。
「メグ」
随分言いなれているのがわかる調子でトニーは話しかけた。しかしメグは一切反応しない、ずっと熱心に机に向かって鉛筆を走らせているだけだ。
「話かけても聞こえないよ、だって私たちはこの部屋を眺めているだけだもん」
事も無げにそう言うとトニーはもうこれしきのことでは驚かないのだろう、へえ、と言った。
実に胆の据わった奴だ、ロイはそう考えながら周りにある本棚に触ろうとするが、音もなくすり抜けた。足を動かしても木製の床独特の足音が響くような感覚がしない。まったくもってどういう原理なのか謎だ。
しかしそこに扉をノックする音が響く。一応それが音であるということは聴覚として体感出来た。
『メグ』
扉を開いたのは彼女の母親だろう、さっきトニーの記憶の中でその顔を見た。メグは母親の言葉に顔を上げて「なあに?」と聞いた。メグの母親は呆れたように溜息を吐くとドアノブに手をかけたまま話始める。
『またトニーに描いてるの?もう、描いてる暇があるなら早くまとめなさい』
『イヤ』
メグはきっぱりとそう言うとこれ以上話はない、というふうに顔を母親から背け、再び机へと向かって鉛筆を走らせる。すこし離れた位置なのでよく見えないが紙に絵を描いているということだけはわかった。
『あのね、決めたのはあんたなのよ?いまさら我侭言わないで』
『だってトニーに・・・っ』
『自分でまとめないならお母さんがまとめるからね』
今度は母親のほうが話しを打ち切り静かに扉を閉めた。部屋に沈黙が落ちて、メグは鉛筆を離すと机の上で腕を交差させ顔を俯かせた。
トニーは何で自分の名前が出たのかわからずに目の前の光景に見入る。そうしてしばらくしているとメグが小さく呟き始めた。ロイは今にも泣きそうなトニーを見ながらメグの言葉に耳を傾けた。
『わかってもらってないもん』
よくは聞こえないが、断片的に聞こえる言葉は涙声だ。
『知ってほしいんだもん・・・』
何を、と考える前に再び視界が傾き、再び暗い裏路地のような場所に立っていた。どうやら迷い道に帰ってきたらしい。
ロイはメアリーを見て、トニーを見た。メアリーはガラス玉のような目ではなく、いつもの目でトニーを見つめており、トニーは俯いてじっと地面を見詰めていた。
そんな2人を交互に見ながらロイはどうにも居辛い雰囲気を感じ視線を上へと上げた。
視界を占める色の全てが無彩色なのに、上には不思議と空があるのがわかった。最近では色付きの写真が出回っているのでそれに見慣れたロイにとって、その光景は家にある祖父母が写っている白黒写真みたいに古くすこし冷たい不気味なもののように思えた。
「あいつ、明後日首都に行くんだ」
静かな空気に囁くような声。トニーの声は泣き声とまではいかないが、少し鼻声に近い。
「だから、おれに手紙なんて書いてる暇あるわけないんだよ、だってあんなに部屋だって散らかしたままでさ、あれじゃあ首都に行けないじゃん」
なんでだよぉ、と言うと鼻水をすすった。
ロイは首を捻った。最初トニーはメグに行ってほしくないから迷い道を探しているのだと思っていた。だが今のトニーはまるでメグが行かないことがありえないという風な物言いをしている。
どうしようもない矛盾だ。
「メグは知ってほしいって言ってる、ねえ、何を知ってほしいんだと思う?」
「知らない」
「嘘、本当は知ってるくせに」
素早くて鋭い切り込みにトニーは顔を上げてメアリーを見た。メアリーはトニーと向かいあうように立つと詰問するような口調で喋り始める。
「毎日手紙、もらってるんでしょ、それを見た?」
「当然だろ!でもあいつ文字とかないんだ!絵と押し花だけで、何か、おれがみじめじゃん!!」
「何がみじめなの?もっと真剣に見た?絵と押し花の意味、考えた?」
「・・・」
メアリーの言葉に先ほどより暗い顔をしてトニーは俯いた。打ちのめされたという言葉が正しいのかもしれない表情をしている。
さらに喋ろうとメアリーは口をゆっくりと開く。しかしロイはメアリーの肩に手を置き、その行為を止めさせた。
メアリーはきょとんとロイを見上げて、ゆっくりと身体を横にずらす。どうやら話してOKという合図らしい。
「トニー、お前はメグに行って欲しいの?それとも行って欲しくないの?どっちなわけ」
俯いたトニーと同じような視線になるように背をかがめて問いかけると、ゆるゆると顔を上げたトニーの視線としっかりと合った。できるだけきつくならないように心がけながらロイはトニーに問いかけ続ける。
「さっき言ったよね『あれじゃあ首都に行けない』って。何かそれって行くべきだって思ってるようなもんだろ?」
「・・・っ」
「お前最初、行ってほしくないって心の中で言ってたから、俺はそうなんだって思ってた、なあ、本当はどっちなんだ?」
「おれ・・・」
くしゃくしゃに顔をゆがめてトニーは本格的に泣き始めた。今度は俯かずに顔を上げたままだから彼の顔がよく見える。泣き声と一緒に何かを言おうと必死になり、しかし言葉にならないのかしゃくり声しか聞こえない。
メアリーはトニーの背中を静かに撫でており、その動きに反応するようにトニーも確実に落ち着きを取り戻していく。
「メグはずっと絵が描きたいって言ってて、上手くなりたいって、ずっと、だから本当は俺も、うれしかった」
小さなしゃくりが混じった言葉にメアリーは「うん」と言った。ロイはじっとトニーを見つけ続ける。
「でもそれって、メグがいなくなるってことと一緒だって知って、すげぇショックだったから・・・だからあんなこと言って・・・ほんとはっ」
「・・・」
「ううぅ」
「・・・言いたくなかった?」
メアリーが肩を擦りながらそう呟くとトニーはこくん、と小さく頷いた。小柄なメアリーより幾分も小さい身体で必死に耐えていたのだろう、そしてまだ出会って短いがトニーの不器用な性格は見て取れた。
本心を言えない、伝える言葉も方法も素直に表せない。だから「迷い道」を探して「別れたくない、そして自分の思いを知ってほしい」という願いを叶えようとした。
「知ってほしいんだよね、君が考えてることを」
今度は今までにないくらい素直に頷く。その様子にメアリーは笑みをこぼした。
「じゃあメグのことも知ってあげようよ、まだ間に合うでしょ?」
「間に合うかな?」
「間に合う」
メアリーとロイの声が重なった。2人は顔を見合わせて少し不満そうとも、嫌がっているようにも見える表情をしている。
トニーは2人を交互に見て笑い、大きな声で「よっしゃー!」と叫んだ。
「ありがとな!おれ、今すぐメグにおれのこと話してくる!」
時間がないと焦るように駆け出して、黒い路地から出て行く。その勢いはまるで暴風のようだ。ロイはその様子を見ながら頭を小さく掻いた。
「大丈夫?あいつ」
「あそこまでわかったんだもん、だいじょーぶでしょ」
メアリーはふふん、と鼻を鳴らしトニーが去って行った方向とは逆の道へと足を向けた。
「さ、私達も帰ろーか」
「そうだなぁ・・・今何時だろ」
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