観察、する | ナノ
音子は固唾を飲んで見守っていた。手がじっとりと湿っていて少し不快な感じがしたけれど、ぎゅっと握ってなかったことにする。そのくらい集中していたかった。
切原は以前見たように目が真っ赤で、いつもの彼ではないように見えた。相手は切原に膝を狙われてからは動きが悪い。
続く試合に、心臓がバクバクする。飛び交うボールを目で追うだけでクラリと目眩で倒れてしまいそうだ。
俊也は小さな声で「切原がんばれ」と応援する。赤目になった切原に驚きはしたものの、それでも勝ってほしいと祈っているのだ。しかし対戦校側にいるから大きな声で応援できない様子に、今すぐにでも反対側に行こうと言うが、小さな身体でそれを拒否する。移動してるあいだに試合すごいことになるかもしれないから、と。
切原の放つ鋭いボールを、相手は同じ技で返す。すでに中学生や常人、常識の域を外れた試合に会場が盛り上がる。
正直に言って非常な方法を使う切原は酷いのかもしれない。それでもテニスが好きな切原を音子は知っている。
「切原がんばれ」
声を抑えず普通より少し大きめの声で言う。それが聞えたのか前にいた人達が何人か振り返る。しかし次の瞬間、勝負は決まってしまった。
試合が終わって、会場にはまだ酔いしれるような空気が満ちていた。音子と俊也は互いに何も喋らずに出口に向かう。
「切原たち負けたね」
「うん、でもすごかった」
「ん、すごかった。ていうか人間技じゃなかった」
「たしかに」
「姉ちゃん、あのさ」
「んー」
「俺、テニスやる」
足が止まりそうになるが、あえて動かす。何となく言うのではなかろうかと考えていたので目が飛び出るほど驚きはしなかったが。
「…まさか人間ビックリ離れ技したいからとか言わないでよ、頼むから」
「うわっ!何その目!?むかつくっ!つか違うから!」
「はいはい、じゃー母さんに言いなよ」
ひらひらと手を振って飛び掛かろうとする俊也を追い払う。そこで鞄の中の携帯が振動していることに気付いた。取り出して確認すると、メールは2通ある。
「…母さんが白菜と油揚げと牛のひき肉買って帰れって」
「うわ…またか」
面倒臭そうに進む俊也にあまり先に進まないよう注意し、もう一通のメールを確認した。切原からだった。内容は一言、「来てたなら言え」である。気付いていたのか、気付いた誰かに聞いたのか。何と返そうかと軽く思案して、一言だけ打って送信する。携帯を閉じて前を見ると俊也は自販機の前に立ち何か選んでいた。喉が渇いたのだろう。
迷子にさせないうちに追い付こうと足の速度を速めると、同じタイミングで再び携帯が振動する。もう返信が返ってきたのかと思い開くと、メールではなく電話だったからぎょっとしてしまう。慌てて受話ボタンを押して「もしもし」と言った。
『浅井?』
「…浅井の番号に掛けたなら浅井だよ」
呆れたように返事を返すと途端に怒ったような雰囲気が電話の向こうから伝わる。
『何で来ること言わなかったんだよ』
どうやらご立腹らしい。
『あとさっきのメールとか!何だよ「見てただけだよ」とか、意味わかんねーっつの!』
「言わなくってもいっかなーって、悪いことしてないじゃん。あ、試合お疲れ」
『そーじゃなくて!』
「んじゃ、どうよ?」
『…負けたの見られた』
吹き出しそうになった。どうしようもないところで可愛いことを言う奴である。
「見たよ、全部。完敗ごくろうさま」
『なんだと!?』
「でもまた強くなれるでしょ?…って俊也!買うならペットボトルにしろ!どうせ全部飲めないんだから!!」
ぴしゃりと俊也に指示してまた電話に集中した。しかし反応がない。「おーい、切原ー」と呼ぶと、ようやく電話の向こうから何かが当たるような音が響く。
『…おい!』
「んー?」
『いきなりデカイ声出すなよ!ビビるだろうが!!』
「あ、ごめん」
『…次は勝つ』
「次って?」
『全国大会。次は対戦する奴ら全員ぶっ潰す』
相変わらず乱暴なことだ。やれやれと頭を振り「ま、節度は大切に」と言う。目の前にはベンチに座ってぐいぐいカルピスを飲む俊也の姿。
「そうだ、あのね、俊也がテニスするってさ」
『はあ?』
「あんたと先輩たちの試合を見て言い出した。ねえ、意外と負け試合でも悪いことばかりじゃないんじゃない?」
誰かの気持ちを動かすだなんて、まるで偉人だね。なんて言うと「うるせー」と返される。負け試合という言葉に腹を立てたのか、照れたのかはわからないが、とりあえず笑っておいた。それから今日手術だったテニス部の部長の幸村のこと、全国大会のことなどを話して通話を切ろうとした。
『また見に来いよ、次は勝つからな!』
自信ではなく、決意を感じさせる声に「気が向いたらね」と言うと電話を切った。
「俊也ー帰るよー」
「はーい」
こういう時だけ素直な弟に切原の姿を重ねてみて、すぐに掻き消した。テニス好きなところは構わないが、凶暴性はいらないかもしれない。
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