観察、する | ナノ
「何やってんだよ」
こっちが聞きたい。憮然とした表情で横を見ると、ガムを噛んでぷくーっと膨らませるテニス部レギュラー部員、丸井ブン太の姿があった。ただ膨らんだ風船があまりにも巨大なため、顔が上手く確認できないので髪で判断したけれど。
「仁王先輩に連れて来られたんですけど…」
「なんだそりゃ」
膨らませた風船を破裂させることなく、器用にするすると縮小させて呟く。
「私に立海大附属のテニスを見せるとか何とか…」
音子は丸井を見ながら「意味、わかりますか?」と尋ねる。しかし相手は想像どおり「わかるわけねーだろぃ」と言った。
「ま、仁王の考えることなんて俺らにはわかんねーよ」
「そんなもんですか」
「そんなもんだ。まあ見てればいいんじゃね?」
適当に言うと、やっぱりフェンスの中に入って行ってしまう。見学者扱いにしてもこの放置具合はありえない。
仕方なく再びコートの中を見ると、先程とは違い切原とジャッカルが軽く打ち合っているのがよく見えた。たしかラリーというやつか、たまにラケットの握り方を変えたり調子を確認するような様子に一人納得する。
しばらく続けると今度はジャッカルと柳が入れ変わるが、切原はそのままだ。
何かを話してラケットをくるりと回す。そして切原がボールを持って一番後ろの線まで下がった。そこで、切原の目が変わったのが見えた。鋭くなったと言うべきか、光りが強くなったように見えた。見定めるように柳を見つめたかと思うと、ボールを高くまで上げて、打つ。
「はやっ…!」
真っ直ぐ伸びた線のように、ボールは相手コートの端へと向かう。しかし地面につく前に、柳が返すし、切原も負けじと打ち返す。一球一球に力がしっかり入っているのがわかる。ただの力ではない、狙うという力だ。運動に興味のない音子にもわかるほどのパワーが、そこにはある。
「うわあ」
すごい、なんて簡単な言葉でまとめるなどあまりにも野暮かもしれない。そう思わせるほどボールの動きと、それを打つ二人の顔。柳は普段の静かな雰囲気はそのままに、どこか活力が漲ったものを身につけるような感じがする。しかし切原は普段から元気なイメージはあるが、そんなものどころじゃない。
「…水を得た魚みたい」
まさにコート上が領土です、みたいな。しかし残念なことに、音子はルールがまったくわからず、急に「ゲームセット!」と聞こえてもさっぱり意味がわからなかた。そのため切原と柳がネットに歩み寄ったのを見て、やっと終わったのだということがわかった。
「…はあ」
一息吐いて、フェンスにもたれ掛かる。ルールはわからない、道具も、何もかも。けれどそれらをすっ飛ばして、テニスは心をわくわくさせるものだということを知った気がした。
「どうだったかの」
「うわ!」
「ベタな驚き方だな」
振り向けばなぜかニヤニヤと笑う仁王と丸井がいた。二人はラケットを持ってはいるものの、あまり運動したという感じはしない。
「どう、て。何がですか?」
「テニスだよテニス」
「はあ…」
「ピンポイントで言えば、おまんのクラスメートのテニスじゃがの」
「…恩田ですか?」
「ちげぇし!赤也だよ!」
「あかや…ああ、切原ですか」
赤也って誰だ、とか。4月の私は切原に名前を忘れられて嫌な思いをしたくせに、5月の私は切原の名前を忘れてる。ダメじゃん。しかしいつの間にかフェンスから出てきた仁王が頭をぐりぐりとしてきたことで思考が一旦中断してしまう。
「安心せいブンちゃん、浅井は赤也しか見とらんかった」
「ぶっ」
「マジか…よく見てんな仁王」
まったくだ。というよりも何故テニスコートに連れて来られたのかがわからない。釈然としないとはまさにこのことであろう。
切原関連なのはわかったとして、なんで私に見せる必要性があるのか。二人から視線を逸らしてコートを見れば、バッチリと切原と視線が合う。
気まずさから横に目線を逸らしたら少しムッとされ、肩を怒らせたようにこっちに歩いてきた。
「なんで浅井がいるんだよ」
ちょっと機嫌が悪そうに刺々しい言葉で、責めるように言う。
「それは仁王先輩に聞いて」
ただし私はそんなものには怯まない。なめるな、だてに六ヶ月近く仲良くしてないぞ。
「プリッ」
ニヤーと笑う仁王を、予想通り苦虫を潰した表情で見上げる。けれど普段の切原らしくない表情ですぐにキッと睨む。しかし仁王は「おーおー怖いのぉ」などと言ってするりとその場から離れていった。
「なにアレ」
「わかんね。つーか丸井先輩はなんでいるんスか?」
「あ?俺?」
切原は疑問の矛先を変える。けれど先程までの刺々しさはない、仁王の奇抜な気ままさに毒気を抜かれたとでも言うべきか。丸井はまず「俺もよくわかんねーけど」と言葉を濁した。
「仁王はいつも以上に切原がやる気を出すんじゃないかとか言ってた」
「はあ?!」
「んで浅井には切原のイイトコ見せるとか」
「はあ?」
わけがわからない。そしてその言葉の行き着く先の意味は一つしかないのをわかっているのだろうか。
「ま、俺は面白そうだから加わっただけだかんな」
そう言って丸井はそそくさと逃げるようにその場を離れた。残されたのは二人だけ。気まずいにもほどがある。そしてそのまま時間にして十秒。
「…で?」
「…何が?」
「どうだった?俺のテニス」
ちょっと照れながら堂々と聞いてくるあたりが切原である。音子はちょいちょいと手招きしてフェンスから出るように促す。そして「なんだよ」なんて言いながら出てきた切原の頭を、勢いよく掻き混ぜた。
「ぎゃー!何すんだー!!」
「ムツゴロー式いい子いい子。よーしよしよし」
必死に逃げ出そうとする切原を逃がすものかと押さえ付けるように撫で回し、一応セットしているのであろう黒髪は寝癖のようにぐしゃぐしゃになった。
「すごかった、意外と格好いいとこあるじゃん」
こっそりと呟いてみる。するとピタリと動きを止めて、その体制のまま微動だにしなくなった。
「切原?」
訝しんで声をかける。
「柳先輩より?」
何だその疑問は。思い返して「そだね…」と勿体振る。
「総合で切原の勝ち…かな」
素直に言うのが恥ずかしいので遠回しに結論を言う。するといきなり顔を上げられて思わずバランスを崩しかける。見ると切原は満足そうに笑っていた。
「んじゃまあ、いいや。許す」
何がいいんだかがわからない。でも嬉しいのか恥ずかしいのか、それらがごちゃまぜになった笑顔を見せられるとこっちも嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。しかも新しいことに気付いてしまった。
「なんか切原可愛い」
「な…は!?」
今度は真っ赤になる。ぐしゃぐしゃの髪も可愛く見える理由のひとつかもしれない。
「はは、切原かわいー」
これは一番の発見で、一番好きな表情かもしれない。ただ少し心臓に悪いからあまりからかわないようにしよう、と心に決めた。
このすぐ後に真田先輩に怒鳴られて、私が逃げ出して、次の日に切原に殴られたのは別の話。
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