観察、する | ナノ
頭が痛い。
清々しい3月の陽気は身体を暖めてくれるものの、周りの空気を温風にしてくれるほどの力はないらしい。しかしそれとは関係はなく、外気にさらされているわけでもないのに身体が震える。多分、風邪だ。
「体調でも悪いのか?」
そんな音子に気付いたのか、柳は歩きながら話し掛けてきた。
3月になり一気に卒業ムードをかもし出した校舎内を、なぜかクラス委員長だからという理由で卒業式の準備に駆り出され、さらになぜかそこにいた柳と一緒に仕事を任されてしまった。
「なんでもないですよ。というより、先輩は部活に出なくてもいいんですか?」
「ああ、問題はないだろう」
「そう、ですか。…暗幕ってどのへんにあるんですかね」
「去年の海原祭で使用されたらしいからな、ゴルフ部の部室にあるという確率が高いな」
「へえ…。ああそういえば去年ってテニス部は…」
えらく話がぽんぽん飛んでしまう。沈黙に堪えられないわけでもないが、それでもなぜか喋ってしまいあげく口下手さを暴露してしまう自分が恨めしい。しかしそんな音子に気付いているのだろう、柳は静かに笑いながら、話に付き合っていた。
音子はちらりと柳を見上げる。背が高く落ち着いた雰囲気のある柳は、クラスの男子はもちろん、そのへんの大人よりも大人っぽく見える。先輩後輩という関係の切原とはほぼ真逆だ。そこでふっと、切原もいつか柳のような性格になるのだろうかと想像して、一瞬でやめた。 あまりにも気持ち悪すぎる。ありえない。
頭を軽く振って想像を振り払うと同時に、ぐらりと身体が傾きかけた。頭の痛み、が結構辛い。
「百面相、とはよく言ったものだな」
「はい?」
「何かおもしろいことでも考えていたのか?」
言われて、頭痛も吹っ飛びそうになる。仏頂面が特徴とも言われたことのある自分が、百面相をしているなど言われる日が来るとは。
「いや、たいしたことじゃないんですけど…ちょっと切原のことを」
「浅井は切原と同じクラスだったな」
「まあ、一応」
「あいつは授業中寝てばかりだろう」
「そのとおりです、よく先生に叱られてますよ」
「簡単に想像ができる」
後輩を気にかけてるのか、暗に単純な奴だとうそぶいているのかはわからないが、話してみると意外と話しやすい人だと、少し肩の力を抜く。でも緊張をほどくと頭痛と寒気がいきなりやってきた。
あいたたた。とは声には出さないけど。
「今度からは気をつけてくれ」
「ああ、悪いな」
ゴルフ部部員であろう先輩は申し訳なさそうに頭を下げた。
柳の腕にはゴルフ部が借りたままだった巨大な暗幕が一枚。音子の腕にも柳の持つものより少し短めの暗幕が2枚あった。短めとはいえ、遮光カーテンとしてかなりの重量を誇る分厚い布に、腕はすでに限界を訴えている。
「分けて持って行けば…」
「いえ…っ行け、ますっ」
言葉を遮り震える足で歩きだす。まだ何か言おうとする柳は、しかし「やれやれ」と呟いてそのまま何も言わなかった。しばらく歩いて息が切れてしまい立ち止まりそうになるが、耐える。言われた通りに分ければよかったのかもしれない、しかしその場合1枚でも重い暗幕を2回も持ち運ばなければならないなんて、ありえない。
ふー、息を吐くと思いの外熱っぽい。頭の痛みは心臓の動きとと一緒に発生する。最悪だ。
「…浅井」
話し掛けられて「はい」と声を出したら考えていたよりかすれていた。
「あれ?先輩と委員長…何やってんスか?」
あまりにも聞き慣れた声がさくさくという足音とともに近付いてくる。見てみるとテニス部のジャージらしきをものを着た切原がいた。
「少しな。練習はどうだ?」
「あー…いつも通りっスよ。先輩今日は部活は出ないんですか?」
「準備が終わったらな」
2人の会話を聞きながら暗幕を持ち直そうと腕と肩をもぞもぞと動かす。重さに肩から先の感覚が鈍くなってきてしまったからだ。胸に軽く乗せ腕を動かそうとする。しかし胸に軽く乗せた時点で自分に支えきれずに、身体が傾いてしまう。
「わ、とと…」
「浅井?」
「気にしないでください…よっとっぎゃっ!」
「ちょ、委員長!?」
ずだん!ずさささぁ、という音が聞こえた。なんだなんだ、何が起こった。なんて自分のことを他人のように感じる。けれどそこで気を失うなんて漫画のような展開はなくて、自分でも驚くくらいの勢いで目を開ける。
「大丈夫かよ、委員長!!」
切原の顔がめちゃくちゃ近くに見えた。から、思わず顔面を押してしまった。
「な、にすんだよ!!」
「近ぇよ…」
「心配したのにこの扱いありえねぇ!」
「うっさい…つうか重っ」
「落ち着け2人とも。浅井、怪我はしていないか?」
「なんとか…」
足の上に完全に乗ってしまっている暗幕を横にずらす。体力の限界を多少感じながらも立ち上がると、ぐちゃぐちゃになった暗幕を見下ろす。
「あーあ…」
「やはり一つずつ持って行ったほうが良さそうだな」
面倒臭いが、そのとおりかもしれない。
「おい、大丈夫か?」
「怪我はしてないよ」
「違ぇよ…顔色悪すぎ」
言われて身体がけだるいことに気付く。疲れではなく身体が熱を持つことからくる倦怠感だろう。でもそれとこれとは別で、自分には任された仕事がある。
落ちた暗幕を拾おうとぐらぐらする身体を叱咤して屈んだ。しかし目の前にあった暗幕は誰かの手によって持ち上げられる。
「切原?」
「帰れよ。あー…俺が持って行ってやるから…無理すんな」
自分の顔は間抜けなことになっているだろう。切原もそれはそれは面白い顔をしているのだからおあいこかもしれないけれど。
「…切原に指摘される日が来るなんて」
「んだとぉ?」
「嘘だよ。ありがとう」
心配してくれて。嬉しいような照れ臭いような。同じように思っているのかもしれない切原は「いいからさっさと帰れ!」と、無駄にデカイ声を出してさっさと行ってしまった。
「気をつけて帰るんだぞ」
「ありがとうございます」
柳の言葉に会釈をして鞄を置いてある教室に向かう。治ったら、意外と優しい彼にちゃんとお礼を言おう。重いだけの身体がほんの少し軽くなったのは、切原のおかげだ。
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