観察、する | ナノ
日本人にとって「新年」「お正月」「お年玉」ほど輝かしく、素晴らしいものはない。
とくにお年玉ほど子供にとって年に一度の大収穫、もとい楽しみにほかならない。ゆえに子供にとっては正月イコールお年玉はすなわち必然なのである。
「姉ちゃん、見てみ。俺また三千円」
小憎らしい目つきで不満そうに野口さんを三枚見せてくる俊也を見下ろす。音子は首を覆うマフラーを口元まで上げながら「ふうん」と言った。
「何、その反応」
「べつに。ていうか何がそんなに不満なの?」
「姉ちゃんは五千円だった」
なんだそんなことかとマフラーに覆われた口から息を吐くと、温かい息と冷たい空気がぶつかってマフラーに水分が出来る。口許周辺にあたる不快な冷たさと感触に、思わず眉を潜めた。
「…あんたも中学生になったら五千円になるよ」
「ホントかな〜、どうなるかな〜」
意味のわからない言葉を返してくる弟を無視してサクサクと足を進める。家から離れた神社が初詣をしにきた人で埋めつくされた様子を想像するだけで、疲れはピークに達するというものである。ならば体力を消費せず早々に帰宅して寝正月を決め込むのが一番。
音子は再びはあ、と息を吐いた。マフラーからこぼれた白い息がゆらゆらと消えていった。
「あ、委員長じゃん」
後ろからの声に振り向くと、見慣れたもじゃもじゃが目に入る。
「…切原も神頼みとかするんだね」
「それどういう意味だよ!」
切原はビシッという効果音が聞こえそうな勢いで指を指してくる。それを見ながらどこかに行きそうな俊也の首根っこを右手で掴んだ。どちらもせわしないことである。
「まあ落ち着きなよ。あと、あけましておめでとう」
今年もよろしく、と頭を下げれば不満そうに「おめでと」と返される。流したことを気にするなどという野暮なことはしなかった。偉い。
そのまま切原と賽銭箱へと続く列にともに並び、俊也に「ご縁があるように、使うのは五円玉にしろ」と言って五円玉を握らせた。しかし五円よりも関心は切原に向かっているらしく、興味津々の表情で彼を見上げていた。
「なーなー、切原って姉ちゃんとどういう関係?」
「はあ?クラスメートだけど」
「わあ!つまんねー」
俊也は口を尖らせてぶーぶー言い出す。
「俊也、馬鹿なこと言わないで。どつきまわすよ」
「ごめんくさーい」
「口が悪いっつーの」
暖かそうな毛糸の帽子に覆われた頭を掴んでぐりぐりと頭を回して軽く制裁を下す。わーやめれーっ!などと困ってなさそうな声を聞き流し、どこか呆然としている切原に目を向けた。
「どうかした?」
「委員長が姉ちゃんやってるの怖ぇ…」
「そう!姉ちゃん怖ぇんだ!」
「どういう意味よそれ」
さすがに切原の頭をぐりぐりするのは気が引けたから俊也の頭をぐりぐりする。それも結構な速度で。
「やーめーっ目がまわる!!」
切原ぶんの制裁も受けた結果、賽銭箱にたどり着く頃には完全に目を回し、フラフラしていた。自分がしたこととはいえ、ちょっと可哀相になる。
帰ったらきなこ餅でも作ってやろう。
「そういえば委員長は何願ったわけ?」
「商売繁盛、学力向上、無病息災」
「年寄りみてー」
切原の失礼な発言が震えながら冷えた空気に消えた。
「うるさいな、そういう切原は何を願ったの?」
空気が耳に触れて、キーンとした感覚が頭を締め付ける。だけど私と切原は同じじゃないから、きっとこの寒さに別の不快感を感じていることだろう。とは言え、今の彼はそんな様子見せることはない。
んー、と小さく生返事をしたあと、真っ直ぐに前を見ながらはっきりとした口調で言う。
「全国制覇」
あっさりと、なんでもないことのような抑揚に、思わず何だそんなことかと言いそうになった。もちろん言うほどたやすいことではないのはわかった。それでもその目が、まるで切原のテニスに対する姿勢のようで少し、身震いをしてしまう。こいつは冗談で口にしたのではないと、理解できる目。
「…常勝立海だっけ?」
「うわ、覚えてたのかよ」
「あんだけしつこく言われれば覚えるし」
冬休み入る前、期末テスト勉強中にかなり聞かされた。思い出して、くすりと笑ってしまう。
「やれるんじゃない?テニス馬鹿だから」
返事を待たずしてかなり先を歩く俊也に走って向かう。
「うわー!なんだよ来るなっ」
「失礼だな愚弟の分際で!」
「え?おい待てよ委員長、置いて行くな!」
バタバタバタとコンクリートに響く足音が、今までになく騒がしい気がした。
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