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秋空の敗北

 夏から秋に変わる頃になると朝と晩の冷え込みが厳しくなる。
 事務および接客および、ごくまれに営業のような仕事をこなす身としてはスーツが好ましい。とは思ってはいる。

「でも最近、夏用のスーツか冬用のスーツか悩んでるんです」

「私は夏用のスーツの下に長袖のカッターシャツを着ることを勧めるわ」

 勤務する探偵事務所の先輩で経理を担当するいっちゃんはあきれた顔でそう言うと再びパソコンに向かって数字を打つ。
 この数字のひとつひとつがこの事務所を牛耳る証なのだと思うと冷や汗ものだ。
 ヅラはため息を吐いて窓の外を見ると、空は完全な秋空になっていた。

「先輩見てください、いわし雲ですよ」

「何言ってるの、さば雲でしょ」

 切り返されて悩む。
 どう違うんだろう、わからない。
 ぼんやりと雲と睨むように見ていると、事務所の入り口から「こんちわー」と元気な高い声が響いた。この子供特有の高い声の持ち主で平然と無関係な会社に入ってくるのは、一人しかいない。

「貴様かー!」

「なんだよヅラ」

 大声に動じず平然とした様子の武彦はのんびりと事務所内の応接用の机に向かって歩く。まるでここが自宅であるかのような態度だ。

「ここは会社、わかる?か、い、しゃ!仕事場なの!」

「さっきまでぼーんやり空見てたやつが何を偉そうに」

「休憩してたの!!」

「給料泥棒してたの間違いだろ」

 いっそ辛辣とも取れる武彦の言葉にいっちゃんは「そのとおり」と頷いた。
 先輩に裏切られたショックにより、ヅラは肩を盛大に落とす。
 冷たい、心が。
 頭を垂れていると、武彦はのんきに「元気だせよ」と言う。

「な、生意気な…っ」

「なんだよ、焼き芋持ってきてやったのに。いらないの?」

 ちらりと袋を傾けると、湯気が出て紫色をした美味しそうな塊が見える。

「や、焼き芋っ」

「ヅラ、あんたいやしいわよ」

「せ、せんぱい!?」

 ヅラは信じられないものを見るような目でいっちゃんを見た。
 ま、まさかいっちゃん先輩までそんなことを…っ。
 しかしそんなヅラを無視して、いっちゃんは机から離れると武彦の持つ焼き芋をしげしげと見る。

「あら美味しそう」

「今年初の焼き芋なんです」

「いいの?もらっても」

「かまいませんよ」

 大人顔負けの敬語で話す武彦だが、ちらりとヅラ見ると「はっ」と見下すように笑った。

「あんた…っ」

「はいヅラ、やるよ」

 文句を言う前にぽいっと新聞紙で包んだ焼き芋を渡されてヅラは押し黙る。
 こいつ食べ物で釣るとはなんと卑怯な…っ。
 しかしもらった手前文句は言えず小さく「ありがと」と言って新聞をくるりと回して剥がす。紫の、しかも湯気の立つほかほかの焼き芋が姿を現し、ヅラは生唾を飲んだ。
 そして勢いよく、かぶりつく。

「はふ…っあふ…ふまー」

「武彦君扱いが玄人ねぇ」

「こいつがちょろいんですよ」

「ふがっ!?」

 バカにしたような物言いにヅラは焼き芋を頬張りながらツンッと横を向く。

「ふんっ私、ほんとは焼き魚が食べたかったんだからっ」

「ちょっとヅラ、行儀が悪いわよ」

「なんで魚?」

 不思議そうな顔をする武彦にヅラはちょっとした優越感を覚える。
 そしてすばやく窓の外を指さした。

「いわし雲があるから」

「あんた食い意地悪すぎ。ていうかあれはさば雲だって」

 指摘されて「どっちでもいいんです!」と返す。問題はそこではないのだ。
 しかし武彦は納得がいかないような顔をして唸る。

「あのさ」

「なに」

「あれうろこ雲だろ?」

「はぁ?何言ってんの?」

「いや、よく見てみ」

 武彦は応接用の机から離れて窓に近づいた。

「いわし雲は鰯の大群に見えるもので、さば雲は鯖の背中の模様の波みたいなの。アレ、どっちにも見えないだろ?丸っこいし。ああいう魚の鱗みたいなのはうろこ雲なんだよ」

 見事な説明を披露した武彦は「理解した?」とヅラの顔を見上げる。何も言えず固まるヅラに対し、いっちゃんは「さすが武彦君、博識ね」と小学生に似合わぬ知識を称賛した。

「ほらヅラ、理解した?」

 にんまり笑う武彦の笑顔の生意気なこと。
 ヅラは焼き芋を両手で握りしめるとかたーく決意した。
 コイツ、いつか泣かしちゃる…っ!



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前に書いた探偵事務所の話。
探偵なんて出てきてないけど。

最近寒くなってきたのと、空にいわし雲が出ていたんで書いた。
武彦君、君は本当に小学生かい…?


2011/10/02 sss
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