「やっちゃったな…」
私は夜の学校を目の前に立ちすくんでいた。
宿題を忘れるなんて、私は本当にバカだ。こんな暗い学校に入りたくはないが仕方がない。
私は恐る恐る校舎へ足を踏み入れた。
どこかの部活動はまだやっているらしくドアも門も開いていた。昇降口で靴を履き替えて教室へ急いだ。
「こわっ…」
静まりかえる廊下を歩くのはとても怖い。しかも電気は所々しか付いていないというこの状況。何も考えないように白線を踏みしめながら急いだ。
当然ながら幽霊なんかに会うこともなく無事に教室についた私だが、ドアを閉めたあたりで妙な音が聞こえ出した。言葉で表せない奇妙な音だった。
ど、どこかの部活のバカがやってるんだろう。
と前向きに考えて電気をつけてから机を漁った。
「う、そ」
無い、無い、無い。
プリントが、無い。
これは笑えない冗談だ。諦め切れない私は他の人の机も漁った。しかし。
「嘘でしょ・・・」
どこにもプリントは無かった。
仕方ない、忘れた事にしよう。いや、明日休もう。もう地球滅亡しろ。
酷く落ち込み暫くその場から動けなかった。
「はぁ・・・」
私は一つ溜め息を溢し、教室を後にしようとした。
そんな時、
「ヴヴヴヴヴヴ」
「ひっ」
奇妙な声がまた聞こえた。しかもだんだんと近付いて来ていた。
私は咄嗟に机の影に隠れると息を潜めてその場をやり過ごそうとした。
私のいる教室の前を通りすぎたので気が緩んでしまったのだろう、私は立ち上がった瞬間、盛大に転けた。それはもう、机を巻き沿いにして。焦ったのも束の間、廊下に響いていた声が一瞬止まり、こちらに向かっているような気がした。いや、気のせいではなく確実にこの教室に向かってきている。
私はどこに隠れようか迷った挙げ句、教壇の下に身を隠した。
ガラっ
声と共に"何か"が入ってきた。
怖い、怖い、こわい。
私は目をぎゅっと瞑った。
後ろのドアから入ってきた"何か"は多分私に気付いている。
足音が段々こちらに向かってくる。
こわいこわいこわい。
心臓がこれでもかというくらい早く動いている。
こわい。
いつの間にか声も、足音も聞こえない。
詰めていた息をそっと吐いて、私は目を開けた。
「みーつっけた」
「!キャーー!!!むっ」
私の目の前にいた誰かに驚いて叫ぶと慌ててその人は私の口を手で塞いだ。
「しーっ、オレだよオレ。徹くんだよ」
え!?
と心の中で叫んで顔をよく見ると、暗くてぼんやりとしか見えないが、噂の及川くんだった。しかし彼にいつもの笑顔はなく焦っていた。
「なんで叫ぶかなー、ちょっとヤバイかも」
「へ?」
一人で焦っている姿は何だか滑稽で少し笑ってしまった。
「笑ってる場合じゃないよ全く」
「そうだな、お前もサボってる場合じゃないよな」
及川くんはその声に顔をひきつらせた。その顔が面白くて私は我慢できずに笑った。
入ってきたのは岩泉くんで、多分及川くんが開けっぱなしにしていたドアから来たのだろう。及川くんはサボりに、岩泉くんはサボっていた及川くんを捕まえに来た所だったのだな、と解釈。
「みょうじさんってKY?」
「及川くんには言われたくないかな」
「ならみょうじ、そいつ捕まえろ!」
「うん」
「じゃあねみょうじさん!」
「待て!おい!」
及川くんは脱兎の如く走り去って行った。
「ちっ、あいつ・・・」
「ふふ、岩泉くんも大変だねあんなのがいて」
「ああ、あんなので主将だけどな」
「はは」
乾いた笑いになってしまった。
岩泉くんは苦笑するとじゃあ、と言って行こうとしたが急に振り向いて、
「気を付けて帰れよ」
と言ってから彼を追いかけていった。
そんな言葉に少しドキっとしてしまったのは、吊り橋効果だ、と赤くなった頬に言い訳をした。
結局プリントは無かったので帰ろうと机を元の位置に戻して、ドアを閉めて・・・、ハッとした。
どうして教室の電気が消えているの。
教室の電気は自動で消える訳ない。
もしかしたら及川くんが電気を消したのか、と思ったがすぐ消えた。電気を消す音なんか、聞こえなかった。
ちょっと、まじで、やめて。
私はバレー部が活動しているであろう第一体育館に走りだした。
「それで来たのか」
「怖がっちゃってかわいいー」
体育館について先生に許可をもらって岩泉くんに訳を話した。
すると及川くんが近付いてきて肩に手を置かれたのにイラっときて、手を振り払って岩泉くんの手を握った。そして思いきり頭を下げた。
「お願い!今日だけでいいから、一緒に帰らせて下さい!!」
私の声は体育館中に響き渡った。
そして体育館の音が全て消えた。本当に。
「・・・」
何の反応も示してくれなかったので、恐る恐る顔を伺うと。
「へ?」
顔が真っ赤に染まっていた。
私、何か変な事言っただろうか、とオロオロしていると。
「岩ちゃん、よかったね」
及川くんが満面の笑みで言った。
すると周り人たちも良かった良かったと口々に言った。
は?
「いやみょうじさん。実はさっきまで」
「黙れクソ川」
「はい」
へ?
いまいち話が掴めなくて何が何だかわからなくなってきた頃。
「あーみょうじ」
「あ、はい」
「いいぞ」
「・・・え?」
「だから!一緒に帰っても、いいぞ」
一呼吸置いて。
「やった!!ありがとう岩泉くん!」
彼の手をぶんぶん振って喜びをアピールした。
これで帰るのも怖くなくなる!
「じゃあみょうじさん、ここで見学でもしてったら?」
「いいよ、外で待ってる」
「お化けが出たら?」
「喜んで見学させて頂きます」
及川くんの言い方ににイラっとした。凄く。
何はともあれ一緒帰る人が見つかったので安心、安心。
私は側にいた一年生に言われてベンチに腰を降ろした。
「ありがとね、一緒に帰ってくれて」
「別に。家近いし」
部活が終わった頃には辺りはすっかり暗くなっていた。私は岩泉くんの隣を歩きずらくて少し後ろを歩いていた。
「・・・」
「・・・隣、歩けよ」
「いいの?」
「後ろだと、いるのかわかんねえし」
「ありがとう」
彼の隣に早足で行くと、彼の歩く速さが少し遅くなった気がした。そんな些細な事に気付いてしまって、私の頬は熱を持った。
「・・・」
「・・・あ、あのさ!」
「おう」
「えっと・・・さっき話してたことって、何?」
沈黙に耐えきれず何か言わなくちゃ、と出てきた言葉はこれだった。
私のバカ!
案の定、岩泉くんは困っていた。
「えっ、と」
「ゴメン!言いずらいよねやっぱり−」
「いや、言う」
「え!?」
岩泉くんは足を止めてこちらに身体を向けた。
目があった。何故だか彼の瞳から目が離せなくなった。
微かに熱を持った、彼の瞳。
「さっき話してたのは、みょうじのこと」
「わ、私!?」
「ああ。それでな」
岩泉くんはゆっくり深呼吸すると言葉を紡いだ。
「みょうじ、オレと付き合ってくれないか」
「!!!」
頬が熱くなっていく。
どうして?と疑問ばかり浮かぶ。
私なんかじゃ釣り合わないよ。
「みょうじがいいんだ。みょうじじゃなきゃ、ダメなんだ」
彼は私の腕を掴んだ。彼の手は私の頬よりも熱くて心拍数が上がっていく。
「みょうじ・・・」
「わた、しは・・・」
優しい、優しい彼。厳しい事を言うけどそれが本心ではないことを、私は知っている。本当は心配してくれている、優しい人。そんな彼を目で追っていたのはいつからだろう。
私は掴まれていない方の手で彼の手を握った。彼は息を飲んだ。
「わたしも、すき」
暑い暑い夜の事だった。