彼女の口から死が溢れる 及川
女子に言い寄られている彼氏を見て、誰がいい気分をするのだろう。
今になってもしかしてあれは罰ゲームだったのかなと錯覚する。それか、ただ単にお遊び程度のことなのだろうか。
月並みな言葉だけれど、彼にとっては遊びでも、私にとっては初めて本気で好きになった大切な人だった。
「なまえ」
「なに、徹」
「今日、先帰ってて」
「…うん。わかった」
「じゃあ。気をつけて帰ってね」
「うん。バイバイ」
最近一緒に帰ってくれない。
友達曰く、知らないオネーサンと一緒に帰っているんだそう。
あーあ。
溜め息が溢れ、机に突っ伏す。隣にいた松川が何か言いたげな顔をしたが、何も言わなかった。
彼のそういう所が好き。
必要以上に詮索しないし、言わない所が。
ガラっとドアが開いた。
いかにも怒ってますという雰囲気をかもしだしている足音。
私は狸寝入りを始めた。
「…おいみょうじ」
「………」
「みょうじ!」
大声を出されびくっとする。
あー、ばれた。
そっと体を起こしておこりんぼさんを見る。
「…なに?」
「……お前、このままでいいのかよ」
「なんのこと?」
「とぼけんな。及川のことだよ」
「あー、あれね」
知ってるよ。実際見たし。でも、それでも私は及川のことが好きだから。そんな及川のことを好きになっちゃったから、仕様が無いんだよ。
締め括りににっこりと笑った。
今の私は上手く笑えているだろうか。岩泉はぐっと顔をしかめて私の手を取った。
「っ、ちょっと」
「…いくぞ」
「何処に?」
「及川のところだよ!」
「!やだ!!」
私は彼の手を振りほどいた。
思ったより大きい声が出て自分でも驚いた。
「…行きたくない」
「なんでだよ!及川の隣の女に」
「何も言えない!」
言ってしまつてからはっとした。
私は今、何を言おうとした。
「…それ、どういう意味だよ」
「……何でもない。先帰るから」
「おい、みょうじ!」
教室から走り去る。
彼らは追い掛けて来なかった。
息が切れる、切れる。
校門まで走って、息を整えた。
私は彼に何も言えない。
正直、彼が怖い。心の底から怖いと思う。だから何も言えない。側にいる人のことも、部活のことも。遊ぼうとか、好きだよとか、何かを問うことすらも許されない。
だから時々不安になる。
彼は本当に私のことが好きなのだろうかと。不安になって、ドン底までいって、もうダメだと思うと彼がやってくる。
そして私に愛を囁きかける。
馬鹿な私はその言葉で幸せになる。
でも、その時だけ。
後で怖くなる。もしかして彼は私が彼から離れられないようにしているのではないかと。
私が別れようと思っているとき、決まって彼は現れる。
そして例のように愛を囁く。
落として、上げて、落とす。
彼は、こんな人だったのか。
落胆はしない、後悔もしない。
ただ、一つ新しいことを知って嬉しいな。
いつか私は彼から捨てられるだろう。
その時、私は何を思うか。
恐怖以外の何も思わないだろう。
彼が側にいない恐怖。
それだけ。