▼ありがとうおとうとよ
「おぉい、子供がいるぞぉ」
「こげな面被って、どこの子さ?」
「面を取ってみればわかるかもしれん」
おねえちゃん。ピンチ。
近所の子熊のところに行ったはずの伊之助はどこか別の場所へ行ったらしく、探している途中に夢中になり音が近づいて来ていたのにも関わらず無視していたら山に入ってきた狩人たちに呆気なく捕まり、わたしは今ぷらん、と男の手によってつまみ上げられている。
ちょっとやめてよ!!母さんに人間の匂いだってばれて山から追い出されたらどう責任とってくれんの!?!?
猪の頭を取ろうとする男にイヤイヤとせめてもの抵抗だ。足という足を動かして、手という手を動かす。ばたばたばたばたばたばた。くらえ!なまえちゃんのジタバタ攻撃だ!!!!どうだ!!ちっちゃい子のジタバタはとにかくかわいいだろう!かわいいだけだけどな!!
「おっこら、暴れんじゃねえよ!」
いや暴れるよばかじゃないの!
わたしは生憎と伊之助のような猪突猛進バカじゃない。
なので、喧嘩なんてめったにしないし、むしろ熊に殴りかかるなんて恐ろしいこと出来るはずがない。非力。そう。わたしは野生の割に非力なのだ。
すばしっこさが売りだったんだけどそれも大人に比べれば別に大したことはないし、母さんがわたしに冷たいのってもしかして伊之助とのポテンシャルの差…?とか最近思ったりする。
ジタジタと暴れるのにも疲れて、ふーふー、と肩で息をしながら、ぷらん、と摘まれたまま、男が頭の面を取ろうともう一つの手を伸ばした時。
「ヴゥヴァァァアァァァァァ!!!!!」
「なっ、なんだぁ!?」
大きな猪突猛進バカの声が聞こえた。…来るのが遅いのよ!!
とんでもないスピードで彼はやって来た。
そしてわたしを摘んでいた男に飛び膝蹴りを食らわせると、同じ大きさの私を担いでさっさとすごいスピードで逃げた。
後ろでは、猟師の皆さんがぽかん、と口を開けていらっしゃった。
うちらもののけ、もうこないでね。
そんな思いを込めて、あっかんべーをお見舞いしてやった。
「おいテメエ!!なに人間に食われそうになってんだ!!」
…伊之助が喋った。
あのあーうーぅううううう!!!!としか喋らなかった、鳴かなかった伊之助がいつのまにか喋った。どういうこっちゃ。
ぷんすかと分かりやすく怒りながら伊之助はわたしの頭をグーで殴る。いたい。
「いのすけ、なんであんたしゃべれんの。そんなにりゅうちょうに」
「りゅうちょうってなんだ!!テメェ馬鹿にしてんのか!!呼び捨てにするな!俺はお前の兄で山の王で、偉いんだぞ!!ちゃんとにいちゃんと呼べ!!」
「いやだよ、いのすけはおとうとだよ」
「おとうとってなんだ!!!テメェ馬鹿にしてんのか!!!」
伊之助は言葉は喋れるけどどうやらオツムは弱めらしい。それにしてもわたしも生まれて初めて喋る割には、なかなかにうまく喋れるものだ。舌ったらずではあるがきちんとした日本語を喋っている。感動である。
伊之助は助けてやったんだから今日から俺はもっとえらいんだ!!などと、とても傲慢なことを言っている。でもわたしがお姉ちゃんであることは絶対に譲るつもりはない。
「いのすけ、どこでことばをおぼえたの?」
「あ?山降りたとこのヤツが喋ってたんだよ。メシ食えるぞ、お前も今から行くか?」
話を深く聞いていれば、どうやら最近伊之助は山の麓の民家にお世話になっていたらしい。
ご飯っていうか、エサみたいなものな気はするけど。
とりあえず伊之助はこうして生きているし、当面の間はそっと様子を見ようと思う。
伊之助はそれからというものやたらとその民家に私を誘ったが、流石にこのご時世、伊之助のような力もないわたしは猪汁にされてしまう可能性が高いので、伊之助とおじいちゃんの戯れを眺めるのみに留めておきたい。あ、おかき貰ってる。いいなあ、あれだけ欲しい。
それにしても最近、山狩りが増えた気がする。
夏が終わり、秋だ。
山の恵みを盗んでいく輩どもは私たちのことなんて御構い無しに山の仲間を次々に仕留めて美味しくいただいてやがる。冬も近い、蓄えがないと死んでしまうから、彼らはそうせざるを得ないのだとかわかっていても腹が立つ。
たまたま山狩りを見つけた伊之助はなんだあいつらぶっ殺してやる!!と叫んで武器も持たず突撃しようとするけど、いつも頑張って止めている。誰かに褒めて欲しいが誰も褒めてくれない。悲しい。
主に縄を使って、木に括り付ける作業だ。ヤツを素手で止められるわけがない。
流石に刀には勝てないよ…と言ったらどこからか持ってきた刀をぶんぶんと振り回し、その辺にある木を切ったり山の中を延々と走り回ったりして、山狩りに勝つために鍛錬を始めた。
我が弟ながら単純だ。
そんな日々を繰り返して、私たちがそこそこの大きさになった、ある日のことだった。
「伊之助、刀振り回してるとこ悪いんだけど、ちょっとやばいかもしれない」
「あ?なにがだよ」
「母さんがいないんだ」
母さんがねぐらから消えた。
最近少しずつ老いが確実に近付いてきていた母さん。母さんが拾ってくれたから今の私たちがあるし、今生きている。
その恩は一生をかけても返しきれないほど大きい。
…まあ、母さんわたしには厳しいけど!
伊之助は振り回していた刀をピタリと止めて、猪突猛進!!!と叫んで山の中のもっと深いところへ走り去っていった。
わたしも走る。耳を澄ませば、山狩りの足音がたくさん聞こえた。
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