▼おはようさよならはじまる




私はどうやらまたこの世に生まれたらしい。


産声を上げた私は泣きながらでもはっきりとした意識を持っていて、暖かな母の胸に抱かれながらも薄暗い何かを抱きしめているような、そんな気分だった。
前世の記憶はろくなものを持ち合わせていなかったから、次に産まれるのならもっと違う何かに産まれたかった。バッタとか、ありとか。きっと彼等は生きる為に生活をして、生きる為に死ぬのだろうと、前世で彼等を眺めながら思ったのだ。



今世の母は、綺麗な人だった。

やっと目が見えるようになって数週間、いつも泣きながら見上げるその顔はいつもとても疲れていて、血の気がないのか青白く、今にも死にそうだったけれど、私たちを抱きしめる優しい笑顔でそれを差し引いてもとても綺麗だと思った。

いつも私と同じ時間、同じ声の大きさで泣き声を上げる赤ん坊が居る。
母が子供として抱えているのは、私だけじゃなかった。



隣を見れば生まれたての赤子。
ずんぐりとした赤子が私と同じく泣いていた。

煩わしい泣き声が部屋に響いても、誰も怒り始める人間はいない。
寧ろこの部屋にいる2人は、幸せそうに笑っている。
…さるみたいだなあ。なんだこのふにゃふにゃな生き物は。



それから少しだけわたしは目を瞑って、そして眠って、目が覚めたら目の前には大きな大きな猪がいた。

突然綺麗な母が大きな猪になったのであれば分かりやすかったのだけれど、そういうわけでもないらしい。
わたしと同じく生まれたであろう赤ん坊はいつのまにか毛もフサフサと生え、そりゃあもうフサフサと生え…って頭が猪になっている!?

なんだ、どういうことだ、少し目を瞑った間に母の代わりに猪がいて、となりのさるは頭が猪の化け物になっていた。

わたしはとにかく怖くなった、怖くなった、怖くなった…が、わたしの鼻腔を掠める獣の匂い、頭に違和感。ぺたぺたと頬を触れば、少し硬い獣のものらしき毛。…私も頭が猪になってしまったらしい。なんてこったい。


獣の母は厳しかった。
弟(と、仮称する。水浴びの時に私にはないゾウさんが付いていたので男の子だ。どうやら獣の被り物を取れば全く同じ顔をしているし、血を分けた分身である事は一目瞭然だった。でも兄と呼ぶには小さすぎる。なので、弟。)には、乳を飲ませたり暖めたり、食べ物を持ってきたりと甘い気がしたが、私のことは割と放置気味で、今思うと獣の母は私が人間、であることを本能的に理解していたのかもしれない。まあ無理矢理乳は貰ったし、無理矢理弟から飯は奪ったし、暖も勝手に取ったのだけど。

それからまたさらに少しして、私達は二足歩行ができるようになった。体に巻きつけられた布から自分の名前と弟の名前を知る。

‘嘴平名前” これがわたしの名前らしい。弟に名前を覚えさせようにも、そもそもわたしがちゃんとした人間の言葉を喋ればもしかしたらわたしだけ山から追い出されるかもしれない。それは流石に避けたいので沈黙を貫くことにした。

弟の伊之助はというと。
うーとかあーとか、可愛い声で鳴いていたのに最近では主にヴーーーッ!!!!と大きな声で叫ぶことが多くなってきた。近所の子熊の影響に違いない。アイツらすぐ喧嘩しやがる。
今日も今日とてリベンジをしに伊之助はこぐまの元へと向かった。私はちらりと側で休んでいた母さんを見て、母さんの目は、ついていっておやり、と言っているような気がした。…仕方ねえなあ全くもう、世話の焼ける弟である。




がさがさ、がさがさ。


がさがさ、がさがさ。




山の中で生活を始めてからというもの、私はやたらと耳が良い。大人数が山に入ってくる音に、子熊の元へ走っていった我が弟の安否を確認する為に走った。
あんなんでも今世での大事な弟だ。






ああ


はじまりはじまりである。






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