ハロウィンネタ


『夜になったら墓地に行ってはならん。墓守が出る』

『はかもり?なあにそれ』

『教会裏の墓にいる悪霊のことだ。墓に近づく者の魂を抜きとってしまう』

『え、やだ……怖い……怖いよぉっ』

『そんなに怯えなくても大丈夫。でも、この通りわかっただろう?危ないから墓には行っちゃいけないよ。さあ、今日はもう寝なさい』



◆◇◆



「カボチャの馬車」


噴水広場を我が物顔で横たわる巨大カボチャ。
これで、四匹のネズミとウマとイヌがいれば舞踏会に行く準備は万端。あとは魔法使いのおばあさんと灰でまみれた女の子を連れてくるだけ。それで魔法の言葉は確か……って、こんなところで道草を食っている場合じゃない!完全に自分の世界に入っていた!帰ってやらなきゃいけないことな山ほどあるのに!

カボチャの馬車に別れを告げ、噴水広場を駆け抜け、小川に跨る橋を渡り、無造作に草花が咲き乱れる小道を進んだ先、丘の上に佇む教会。人々に安らぎを与える拠り所であると同時に今日まで寝食を営んできた地でもある。


まだ物も話せない赤ん坊の頃、私は両親に捨てられた。木枯らし吹き始めるハロウィンの晩。冷たい石畳の階段下で眠っていた私を神父さまが見つけたらしい。

当然のことながら両親の顔なんて覚えていない。なんで両親が私を置いて行ったのかさえも。でも、神父さまは言う。それは私が女だから。女は男と違って、跡継ぎにできないから、捨てたのだろうと。その話を聞く度に思う。もしも、私が男だったら、また違った人生を送っていたんじゃないかと。

だからといって、今の生活に不満があるわけではない。
赤ん坊だった私を拾い、今日まで育ててくれた神父さまは少し厳しい方ではあるものの、全て私を思ってのことなのだから。

温情深く、慈悲深い神父さまは頭の弱い私にも分かるようにと直接この身に擦り込んで教えて下さるのだから。



あるハロウィンの晩。教会の窓ガラスを割ってしまった罰として、外に出されたことがありました。何度も何度も声が枯れるまで謝り、爪が割れるまで戸を叩きましたが、その重い戸が開かれることはなく、固く閉ざされたまま。


お腹が空いた。
寒くて凍えそう。
手が足が痛くて痛くて千切れそう。


色んな感情が混じり合い、もう何で泣いているのかわかりませんでした。泣きながら行くあてもなく歩き出した私が辿り着いたのは、教会裏の墓地。神父さまに行っては行けないと強く言われていた墓地。

どうでも良かったのです。言いつけよりも恐怖よりも、悲しみの方が大きかったのですから。誰のかわからない墓石のそばで蹲り、泣いていると、ふと誰かが近づいてくる気配がしました。

私は怖くなりました。
そのときになって、ようやく、足を踏み入れてはいけないと言われていた墓地にいることに気がついたのですから。肌と服の間をザワザワと蟻蛾が這い上がってくるような錯覚に襲われながらも、顔を上げるとそこには、背の高い影が見えました。

包帯をぐるぐると巻きつけた山高帽に袖からち僅かに覗く手首まで巻かれた包帯の腕。片方の手にはその余りと思われる包帯の束が。全身包帯だらけの男の人が月明かりを背景に立っておりました。



「おや、こんな夜更に可愛いらしいお客様が」



いつもなら逃げ出していたでしょう。
人一倍、怖がりな子供だったからなおさらです。しかし、不思議なことにちっとも恐怖を感じなかったのです。むしろその声が心地良く感じたのです。

肩をしゃくりあげ、過呼吸に近い嗚咽を上げ、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。そんな汚らしい私にもかかわらず、片膝をつき、視線を合わせ、涙を拭ってくれるその人の瞳は優しい色をしておりました。


「そんなに泣いていると目が溶けてしまいますよ」
「……!」
「ふふ、冗談です」


その人は私にいくつか話しかけてきました。どんな内容だったかはすっぽりと抜け落ち、思い出せませんが、その悍しい出で立ちとは真逆に、終始穏やかな表情を浮かべ、紳士的な方であったのはしっかりと覚えています。


指鳴らしを一つすると、パッと目の前にテーブルクロスと共にカボチャのパイが現れました。
驚いた私は思わず、「魔法使いだ」と叫びました。彼は目を細め、上品そうに笑い、私に食べるように勧めてきました。ぐうぐうと腹の虫が鳴っていたことに気がついていたのです。

狐色に焼き上がったパイ生地に網目状の蓋の隙間から顔を覗かす黄金色のカボチャ。ハロウィンに食べるカボチャのパイ。ずっとずっと食べたいと憧れていたカボチャのパイ。夢に見た代物を前に興奮気味にフォークを手に取り、食べようとしましたが、もしかしたら、この人もお腹を空かしているのではないかといった思考が頭によぎりました。

自分だけがご馳走になるのも億劫だとフォークで一切れのパイを取り分け、差し出すと、彼はちょっと驚いた顔を見せた後、自分にくれるのかと尋ねてきました。
こくりと頷けば、嬉しそうに笑った後、「お言葉に甘えて」と私の手を取ろうとした途端、穏やかだった表情を歪めました。雲に隠れていた月が顔を出し、爪が割れ、傷だらけの手が露わになったのです。

月光に照らされたみすぼらしい自分の手を恥じ、引っ込めようとすれば、それよりも先に彼の大きな手が小さな私の手を包みました。すると、爪が割れ、ささくれだらけだった手がみるみるうちに治っていきました。またしても魔法使いだと思いました。

先ほどとは打って変わり、淡々とした表情のまま今度は私の右頬に手を添えると、これまた不思議なことに、罰としてひっぱ叩かれた右頬に帯びていた熱や痺れが引いていったのです。
次から次へと目の前で繰り広げられる非日常な現象に何も言えずにいると、彼はその怪我は誰に負わされたものかと尋ねてきました。

私は黙りました。もしも、誰かに怪我のことを聞かれたら絶対に答えてはいけないと神父さまに教えられていたのです。
絶対に言うものか。そう心に強く決めていたのに、不思議なことにその人の瞳を見ていると、無性に真実を話さなければならない気がしたのです。どうしようもない義務感に襲われ、ついに口にしてしまいました。

ボロボロと言葉を流していくのと比例していくように神父さまから受けた厳しい躾の記憶が鮮明に蘇っていきました。
その時は痛み以外何も感じなかったのに、悲しみやら辛みやら苦しみやらが涙と共に一気に溢れてきたのです。

彼は俯いたまま私を抱き寄せると、我が子をあやすかのように手慣れた様子で頭を撫でてくれました。出会ったばかりのはずなのに何故か心地よく、自然と心が安らいだのです。この人には全てを委ねていいと。

俯くその人の顔を覗き上げると、帽子の影からヌッと浮かび上がる瞳は怪しく、鋭く光っており、とても生きている人間のものとは思えませんでした。

そもそも何でこんな時間にこんなところにいるのだろうとその時になってようやく疑問に思っていると、月が雲に隠れ、辺りは一気に暗くなりました。恰も、そのときを待っていたかのように暗闇の中、彼は頭の後ろに手を添えると、額にそっと口づけをしたのです。

もちろん驚きました。しかし、それよりも眠気の方がうんと強かった。これまでに経験したことのないふわふわと心地の良い眠気には勝つことができず、そのまま。
微睡みに揺れる視界の中、何かを言っているようでしたが、辺りがだんだんとフェードアウトしていき、気がついた時には朝になっており、中庭で飼っている鶏が朝のラッパを吹かしておりました。

重たい身体を上げ、辺りを見渡しましたが、彼の姿はどこにもなく、代わりに切り分けたカボチャのパイが残っておりました。それは昨日の出来事が現実であったことを物語っているようで、私は、ああ、夢じゃなかったんだと確信しました。そして不思議なことに、寒空の下、堅いベンチで眠っていたのにもかかわらず、少しも喉が痛むことも、体が痛むこともありませんでした。


カボチャのパイを抱えたまま、墓地の門をくぐり、教会の扉の前でぼうっと突っ立っていると、扉が開き、中から神父さまが出てきました。

唖然とした表情の神父さまでしたが、私の腕の中にあるカボチャのパイを見るなり、瞬く間に厳しい顔になり、近くの家から盗んだのではないかと問い詰めてきました。
私は首を振り、男の人がくれたと素直に伝えました。しかし、神父さまには信じてもらえず、嘘つきの罰として今度は左頬を打たれそうになりました。

宙に振り上げられた手に目を瞑りました。が、不思議なことにいつまで経っても衝撃が訪れません。恐る恐る瞼を開くと、そこには腕を振り上げたまま、恰幅の良い身体をふるふると小刻みに震わせ、血色の良い顔を真っ青にした神父さまがいたのです。


「い、忌々しい……。なんと悍しい。ああ、まだ彷徨っているなんて……。主よ、主よ……!どうか我を……」


と震える声で虚空に向かって、十字を切り、お祈りの言葉を唱え始めました。


その日以来、神父さまが怖いことをしてくることはありませんでした。

掃除を怠けた罰だと言って、祭具に使う蝋燭から滴り落ちた蝋を私の腕に垂らそうとしたときもそうでした。泣き喚く私の腕を押さえ、蝋燭を傾けた突如、またしてもぶるぶると震え始めたのです。そして、苦汁を口にしたかのように歯を食いしばり、舌打ちをすると、何も言わずに自分の部屋へと戻っていたのを今でも覚えています。


墓場で出会った彼が一体何者だったのかは今だにわかりません。ですが、私はこう思うのです。
彼はきっと、神父さまが言っていた“墓守の亡霊”なのではないかと。