肩が知っていたこと


いろんなとこに誤解があるよ。

とか、まだ決めていないよ。
っていうか、あのオッサン絶対わざと言ったな。
言えない仕事のオファーもあるからそれも考えてる。
そういえば私貴方の弟におでこに可愛いキスをしてもらいました。

とにかく、今いろんな事が一気に起きているからそんなに急いで責め立てないでもらえませんか。



目の前で不穏な空気しかない目つきで見下ろしてくる杏寿郎をまっすぐ見上げる
形のいいアーモンド型の目はいくら見つめ返してもそらされることはない。

「宇髄の鎹烏がわざわざ俺に知らせに来た、君はこちらで預かった方がいい鬼殺隊士になると!」
「…確かに音柱はきました」
「寝耳に水とはこのことだ!強制療養のつもりで残してきたはずだ。いつも休まない君がしっかり休めるようにと」
「もうじゅうぶん休みました」
「名前は鬼殺隊士になりたいのか」
「……今はなんとも言えません」
「宇髄には嫁が三人いる!」
「その話今関係ありますか!?」


意を決して両手を伸ばして、グイグイ寄ってくる杏寿郎の両耳にそっと触れる。
こちらの胸元にそのまま引き寄せると、頭を抱えるようにしてくしゃくしゃと柔らかい金髪を撫ぜた。

「とりあえず、おかえりなさい。って言わせてよ」

名前の背中に回った両腕が巻きつくみたいに名前の体を抱き寄せると、胸元に顔を埋めたままの杏寿郎が大きく息を吸った。
菜種油の匂いで充満した中で、なんのロマンチズムがあるかは知らないが、顔を上げた杏寿郎は少しだけ落ち着いたようだった。

「………すまない」
「落ち着きました?」

むくりと体を起こした杏寿郎の表情は幾分か申し訳なさが汲み取れるほどには落ち着いていて、ようやく名前も胸を撫で下ろす。
少し乱れた髪の毛を背伸びをして手ぐしで整えてやると、くすぐったいように目を細める杏寿郎に思わず口角が上がった。

「その様子だと槇寿郎さんにはもう会ったのね?」
「ニ、三、話をした。随分慕われているのだな」
「槇寿郎さんのことは知らない仲ではないですから」
「しかし、名前がここにいたというのなら俺も覚えていそうなものだが…!」
「………影、薄かったんで…」

落ちた甕を拾いあげると、こぼれた油でぬるつくそれを慎重に持ち上げた。

「千寿郎さんに謝んないとね」










すまない!千寿郎!
と恐ろしくさっぱり謝った杏寿郎に、千寿郎も少し困ったような笑顔で仕方ないですね。と答えた。

「油のことは大丈夫です、それより名前さんの…」

すっかり染みのついたブラウスに二人の視線が集まり、少し恥ずかしくなる。
せっかく槇寿郎に揃えてもらった洋装だったが、何故か自分が洋装の時に限って災難に会うような気さえしてきた。
そっと隠すように手で覆うと、苦笑いする。

「本当やだ、全然ちゃんとしてなくて…」
「可愛いな。君は洋装でも変わらないな」

「………ぉ」

まじまじと間を置いて言われた言葉に、とっさに何も出てこない。
なんだかよくわからない呻き声が漏れて、恥ずかしい。
無意識に泳ぐ視線がいつまでも落ち着かなくて、我ながら気持ち悪い顔をしているのがわかる。
杏寿郎の親指が目元をなぞって、その熱い感触に思わずギュッと目を瞑った。

「凄く似合っている。俺は好きだ!」
「ひぇ……」
「試しにこっちを向いて笑ってみてくれないだろうか!大丈夫だ!一瞬で覚える!」

勝手に距離をとってくる杏寿郎に思わず両手で顔を覆う。
勘弁してほしい。
こんなに面と向かって可愛いとか、生まれてこの方言われたことがない。
悪意ゼロの好意は恐ろしいほどの破壊力でまっすぐ名前に向かってくる。

「名前?」
「私……着替えてきます!」

絞り出して廊下へ飛び出す。
自室へ向かって眉尻を下げたまま速足で自分の爪先を凝視した。

(なんであの人はそんな…そんなまっすぐ…)

嬉しい。という気持ちは溢れてくるし、近づきたいけれどこれ以上距離をつめられると心臓がもたない。
なんといっても自分にはここ10年…下手すればこのかた免疫などないのだ。

(まずは手繋ぎとかから…!)

自分の内面から湧きあってくるおかしな衝動に向き合うべく、部屋の前で深呼吸。
着物の替えはある。大丈夫だ。
恐ろしく地味な自分の私物だが菜種油風味よりずっといいはず。

もはや自室となりつつある客間の襖に手をかけると、隣の部屋の襖が静かに開く音がして、打って変わってガラリと酷く冷静な自分の目がそちらへツゥっとうつった。

「………余計な他言は無用です、いくら槇寿郎様でも」
「“槇寿郎さん”だ。お前はもう俺の弟子でもなんでもない」
「だったら尚更……放っておいてください」

じとりと見上げても相手はどこ吹く風だ。
どこへ行くつもりなのかさっさと背を向ける男にいうことはひとつだろう。

「私、杏寿郎が好きです。他に誰かなんて、想像も……」
「名前」

冷静に徹して話しているのに、視界の端で見た槇寿郎は酷く傷ついた顔をしていた。

「お前は…置いていかれたことがないから、そんなことが言えるんだ」

その表情は、前にもみたことがある。
最終選別の前、旅立つはずだった自分の前に立ったその時の………

「……酒を買ってくる」

踵を返した槇寿郎の足音が廊下へ響く。
ギュッと握った手を口元へ、静かに目をつぶれば段々気持ちが落ち着いてくるはず。
そう思って、部屋に入りしばらくじっと自分の呼吸の音だけを聞いていた。






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