罪人ごっこと夢想


霧に包まれた不気味な街を歩きながら、名前はついさっきアンを送り出した空港での出来事を思い出していた。


「いいじゃない。別にアンがいたって。私が守ってあげるわ、それにこの子賢いもの。私が教えればやばいと思ったら逃げる位ならできるわよ、ねぇ」
「そうだよ!私名前から離れないから!ねぇだからお願い!!私もエジプトに連れて行って!」
「ダメだ。アン。君はもう香港に帰るんじゃ」


飛行場まで連れてこられてそれでも引かなかった2人の意見を、ジョセフはバッサリと切り捨てた。
目の前には既に燃料を積んだ飛行機がアンを乗せるのを今か今かと待っている。
相変わらず妙なところで頑固。融通の利かないジジイだ。


「ねぇ、アン。世界を見て了見を広げたいんでしょ?まだぜーんぜん世界を見たとは言えないと思うわ、ここで家に帰らないほうがゆくゆくはアンの為になるんじゃないかしら」
「名前……もしもの事があっては了見を広げる……だとか、それどころではない」
「いいじゃない。死んだら死んだでその時は自己責任よ。死んで初めて気付く世界の広さもあるのかもよ。その位の覚悟無しに一緒に来たい。なぁんて言ってるわけないじゃない。ねぇアン」


歌うようにそう言って上機嫌にアンのほうを見れば、彼女はこちらを見上げて少し青い顔をしていた。
なんだその目は。私は何か、間違った事でも言った?

何時ものクセで気にくわないと片眉をあげた名前の表情の変化に誰よりも素早く気づいたジョセフは名前を見て盛大にため息をついてからアンと視線を合わせて続ける。


「アン……君のご両親もきっと心配しておるぞ」


そう言ったジョセフの目をじっと見つめた彼女は、あんなに名前の提供する楽しいエジプトまでスリリングな旅の誘惑も何処へやら、すっかり神妙な顔をしてからゆっくりと頷いた。
面白くない。家族が心配するから。なぁんて理由で自分の生きたい道を諦めるなんてナンセンスだ。
それからあっさりと飛行機に乗った彼女はみんなに見送られながら香港へ発った。
下手すれば初恋なんだろう承太郎の事も諦めて彼女は帰るのだ。2度と会えないのに、家族なんかがいるところへ戻る為に。











霧に眠る不気味な程静かな街の中を走り宿につく。
目の前を歩く小さな老婆は時折ポルナレフやジョセフのくだらないジョークにコロコロ笑ったりする。
その空っぽの笑い声が頭にくる。
顔を隠すように巻いたスカーフを手持ち無沙汰にいじりながら、ついさっき見つけた男の奇妙な死体の事よりも、アンの事を思い出してイラついている自分は油断できない状況への集中力が欠けてきている。
想像よりも小綺麗な宿に通され、意外にも広々としたエントランスの天井を見ながらすっぽり顔を覆っていたスカーフを取った。
間に合わせで買ったサングラスは重くて耳が痛い。これも部屋に行ったらサッサと取ってしまおう
すっかり機嫌の良くなったポルナレフがはしゃぐ声に小さく息を吐いた。
承太郎達が順番に部屋へ案内される中、一人最後に残された名前の手を、老婆は恭しく大げさな所作で握った。


「なんと……!美しいお嬢さんじゃ……この婆、永く生きてきましたが貴女様程美しい女に会ったことはありませぬ」
「それは………どうも」


カッと目を開いた老婆はワナワナと震えながら、サングラスを取って、この婆にもっとお顔を見せていただけないでしょうか。囁くように言う。
その大仰な振る舞いに違和感しかない。
カチャリと重たいサングラスを取って老婆の目の高さに合わせる様にしゃがんでしまえば、名前の紅い目を食い入る様に見つめた老婆はまた、嗚呼。だとかうう。だとか意味のない感嘆の言葉を零しながら拝む様にして名前の金髪を手にとって撫ぜた。


「……金髪の女性は、この辺りでは珍しいですものね」
「それは……もう!しかしながら貴女様のお姿は完璧ですじゃ、きっとそれはそれは高貴な血筋の方なんでしょう……ささ、婆についてきて下さいませ。お嬢さんには取って置きの部屋があるんですじゃ」


目の前を歩く小さな老婆の脳天を眺めながら、案内されるまま二階に上がり、随分と奥の個室へ通される。
その部屋は、この宿屋の外観からは凡そ想像できないほど美しい大理石の床に、インドを超えてから久しく見ていなかった白いピカピカの猫脚のバスタブ。
大きなベットには新品同様の真っ白なシーツがシワなく用意されている。
寧ろ砂だらけの自分の方が浮いてしまう程の清潔な宿屋。なんて。
どうぞ女性一人で大層苦労されているでしょう……。ごゆっくり。
そう言って老婆はしずしずと部屋から出て行く。
こんな怪しい部屋で一人で眠れる筈もない。
荷物を開く事もなく、サングラスをベットの上に投げると足にスタンドを出現させたままカツカツと靴音を鳴らして廊下を歩く。今すぐ階段を降りれば丁度老婆の死角にまわれるだろう。
そこで脳天をひと蹴りしてしまえば終了だ。
もしもスタンド使いだったとすれば予めリスクを排除できるし、もし違ったとしても別に一晩の宿に面倒を見る人間など不要だ。
どうせこんな死の万延する街でいつか死ぬ老婆に同情する余地はない。
なにより自分にこの行為の正当性を確信させるのは………


「おい名前。何処に行くんじゃ」


いつの間に後ろにいたのか。
その声に足を止めてスッと振り向くと、不信感を剥き出しにしたジョセフが立っている。
一階からはポルナレフの陽気な声が微かに聞こえ、自分の企みがアッサリ潰えた事を悟った。
義手の硬い掌が名前の二の腕を掴んで、近くの部屋に放り込まれる。
後手にドアを閉められて、ジョセフと正面から対峙する。
そういえば、こういうのは最初の夜以来の気がする。
放り込まれた部屋はやはり粗末な物で、自分に対する扱いのわかりやすい差に思わず口角が上がる。


「名前……ナニをしようとしていた?」
「……あの婆さんは私をうっとり見上げてたわ。まさに信者って感じ……言いたいことわかるでしょ?」
「………お前を見ていると敵なのか?」


進まない会話に苛ついてくる。
最善を尽くそうとしている自分に、どうしてこうも邪魔が入るのか。
ジョセフの目が鋭く光って、不味いと思って体を反らすと同時に勢い良く飛び出した隠者の紫が名前のいた場所に伸びていく。
スルリと方向転換したその荊の切っ先から避ける様に後ろに飛ぶと、トン。と誰かの体に背中がぶつかる感触。
それから太い腕が胸の下から名前の体を羽交い締めにした。


「ちょっと……!やだ!離してよ!」
「名前!大人しくするんじゃ…!」
「あぁっ…!?もう!!」


顔を後ろに向けて睨め付ける様に見ると、ジョセフは再び隠者の紫を出して名前の腕に絡みつかせる。
ここのところこうして拘束されてばかりだ。
まるで犯罪者の様に引き回される。


「どうして何時もこうなの!!私は努力してるわ!いつだってリスクを抑えるために最短の一歩を選ぼうとしてるじゃない!」
「今の……お前のやり方では、誰も救えない…!」
「何ですって……!」


スッと隠者の紫が消える。
2人至近距離で向かい合って立つ。良い歳の筈なのに自分より遥かに高い背丈に気圧される事が無くなったのはいつからだろう。
祖父の真っ直ぐな瞳とにらみ合う。
そこに映る赤い目の自分が悲しい。
いつだって自分は、このグリーンを覗き込んではそこに映る自分の色に落胆する。
今だってそうだ。


「お言葉だけどね……お祖父様。貴方達本当に母さんを助ける気があるの…!私にはある…だから手段を選ばない!人間をやめてでも母さんを助けたいと思ってるわ…!!」
「……止めろ。名前」
「やり方がどうか……なんてくだらない事よ!!私は耐えてる!こんなクソみたいに正攻法でくだらないやり方にも、アンタの望んでる仲良し家族ごっこだってそれなりに付き合ってやってるじゃない!!」


堰を切ったように言葉が口をついて止まらない。こぼれ落ちていく言葉に脳内で今までの感情がごちゃまぜになって整理ができない。
祖父の顔を見るといつだって思い出さずにはいられないのだ。真実を知ったあの日の喪失感と、長い時間をかけて麻痺させた筈の言いようのない悲しみを。


「アンタがそもそも私を不満に思ってる理由を教えてあげる!!汚物が家族の中に紛れてるのが許せないんでしょう!私が全部おかしくさせるものね!ずっとずっと昔から私を放り出したかった癖に今更聖人ぶるのは止めてよ!」


振り上げた右手を、祖父の左手が掴んで止める。帽子の影で、彼の表情は伺い知れない。


「どうして何も言わないの……?ねぇ。お望み通りずっと遠くで身の丈にあったクズ以下の生活を送っててあげたじゃない!悪人の子供らしく世界の端っこで息をしててやってたでしょ……!私は耐えてきた…!家を出てアンタの望んでる幸せな家族を実現してやったわ!」
「名前ッ…!!」


怒鳴り声に近い制止の声が名前の止まらない言葉の波を遮った。
ひくり、と行き場を失った二酸化炭素が肺に戻ってそれからドクンドクンと心臓が激しく脈打つ。


「………言いたい事はそれで全部か」
「私だって、アンタ達と一緒にいたくなんかない……。承太郎が可笑しくなったのだって私の所為だ!」
「名前。承太郎は関係ない。儂とお前の話をしよう……名前!」


軽く錯乱する自分を落ち付けようとする祖父の言葉は逆効果だ。関係ないと言われた事でよりリアルに思い出してしまう。
自分と承太郎の、あの悍ましいあの……!
掴まれた右手がぐっと引き寄せられて、あの胸板に自分の顔が当たる。
背中にしっかりと回された左腕がガッチリと自分を固定していた。


「名前もういい……わかった。お前は小さい時からいつだって自慢の孫になろうとしてくれていたよ………そんな事。儂だってわかっていた…はずだった」


お前と承太郎の間に何があったのかは聞かない。そう小さな声で呟くようにして言った祖父はやはり、何かに勘付いていたのだろうか。
イヤだイヤだと身を捩るようにしてジョセフから離れようとする名前をさらに強く引き寄せる。それが愛情のこもったハグだという事に気づかない彼女は、きっと今自分自身が泣いている事にも気付いていない。


「名前…。お前を素直に迎えられなかったのはワシが弱かったからだ。お前はもっと家族に護られるべきだったのに、私達はお前に家族を護らせてしまった……」


名前が家族を愛している事くらい、わかっていた筈だった。
彼女が家を出た理由だってきっと、自分は本当は感じていた筈だそれでも。連れ戻そうとすればすぐに戻せた彼女を不良娘にして放っておいた自分は、彼女の傷だらけの決意に甘え家族から放り出した。
興奮した名前の背に回した掌に波紋を集中させる。落ち着かせるようにわずかに流しながらベットに体を横たえさせると、
名前の瞼がゆっくりと落ちていく。
その瞼の下の紅い瞳を想いながら、ジョセフはこの旅の中で彼女に隠したもう一つの目的を思い出して、小さく唇を噛んだ。






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