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大学病院に行く日は電車に乗る分いつもより早起きになる。社会人院生として、大半を実家の歯科医院で働き、週に一度だけ大学病院で診療をしたり研究に参加する立場にあるため時雨の立場は末端といえば末端だ。
できる限り早く出勤するに越したことはない。歯科麻酔科という、顎顔面領域の外科手術や、歯科治療恐怖症患者のための鎮静術を主とするこの研究室に残ったのは、まぁいわば人が多くて残れる科がそこしかなかったからに過ぎなかった。
3つ隣の駅まで電車に乗り、そこから歩いて大学直通のバスに乗る。
通勤ラッシュからずらしたつもりだが、やはり7時ごろのこのバスは大学病院関係者と、試験の為に早起きして大学に向かう学生達でいっぱいだ。

「夕立先生おはようございます」
「あぁ…!川岸先生おはようございます!」

口腔外科教室の助教授にあたる恰幅のいい男性は、神経質そうにメガネを拭う。片手に下げた駅前の弁当屋の大きな袋から察するに、恐らく昨日も一晩中オペがあったのだろう。

「昨日も一晩中ですか?」
「全く仕方ないよ。顎の骨を取るときまでは順調だったんだがね、移植用の骨を切り出す時に若い整形医外科医の先生が手間どって結局つい30分前に終わったんだ。麻酔は武田先生が担当だったからね。今日は荒れてると思うよ」

自分の上司に当たる教授の武田が、酷く不機嫌そうにソファーに寝転んでる様を思い浮かべる。普段も決して愛想のよくない武田教授のことだ。多分おおよそ手術室以外の仕事は時雨に押し付けられることになりそうだ。
バスがゆっくりと動き始めると、川岸がそういえば…と口を開いた。

「今度ほら、麻酔科と口腔外科の学会がイタリアであるみたいだよ。前の……どこだったけ」
「カイロですか?」
「そうそう、カイロでやったのには夕立先生も行ったんでしょ?今回はどうするの?武田教授は若いのを引き連れて行くつもりだみたいだけど」
「…あー…そうですね、特に発表する準備もしてませんし、3ヶ月ぐらい先でしたよね。実家の歯科医院のこともあるし私は…」

正直に言えばあまりイタリアには行きたくない。自分のルーツの事もあるが、亡くなった祖母は母にイタリアでの話は一切しなかったそうだし、なんとなく話題に出しにくい空気で、今まで避けて来ている事もあるからだ。
川岸と取り留めのない話をしていると、やがてバスはまた大きく揺れて止まった







たいして慣れていない事をするのは難しい。昼休憩前の最後の患者の腕から静脈確保用の針を抜くと、雑談をし、体調の変化と意識の清明を確認して送り出した。
予想通り時雨程度でもできる目一杯の仕事を朝から押し付けられ、ようやく一息つけそうな今緊張で凝り固まった肩を回しながら携帯を確認すると、雪から何件か着信が来ていた。続けて個人用のラインを開くと何とかなったのでかけ直さなくていい旨と、何故か怒りマークのスタンプが貼られている。不審に思いながらも大学病院内を歩いていると、病院内の空気がざわついている事に気付いた。ふと顔を上げると、白を基調とした病院内ではやたらと目立つ例の高校生が、不機嫌そうに……しかし何かを探すように歩き回っている。
なんとなく見つかってはいけないような気がしてとっさに柱の陰に隠れてしまった。
(……なんで私は隠れてるのか…)
普通どうかしたの?と駆け寄ってやるべきなんだろうが、何故か面倒な事になる予感がして本能的に隠れてしまった

「おーい!時雨!なにしてんだ?飯食いにいかねぇのか?午後もすぐ忙しくなるだろ?」

時雨の同期の男友達が財布片手に大声で呼んでいる。
くるりと誰かが方向転換して近づいてくる足音がする。デリカシーのない友人が見てはいけないものを見てしまった。といった顔で走り去っていくのと、柱の影からヌッと現れた承太郎が時雨の頭の横に腕をついたのはほぼ同時だった。

「随分探したぜ。オイ時雨、携帯だしな」
ヒィッと思わずカツアゲされているような悲鳴が喉の奥から漏れる。ジャンプしなと言われていたら、間違いなく時雨は恐怖のあまり飛んでいただろう

「承太郎君どうしたのかな?……今日はまたなんで此方に…」
「いつも通り行ってみたらアンタじゃなかったからな。約束を破られて不快な気分だ」

携帯。とまた短く言われて、ポケットから取り出してパスワードを解除するとそれはアッサリと時雨の手から奪い取られた。

「ちょっ!?なにして!?」
「もうあの煩いアマといちいち時雨の行き先だとか予定だとか聞くのは御免だぜ。面倒だからな」

ほらよ。と携帯を帰される。
本当はなにしに来たんだとか、一応年上は敬えだとか、周りの目が凄いだとか、せめて先生と呼べだとか言いたい事がぐるぐるしているうちに承太郎はサッサと踵を返すと去っていく。
周りの視線から逃げるように、時雨も反対方向の中庭へ走った。











中庭では、入院中の子供たちが看護師に付き添われて遊んでいた。
適当にスナックの自販機でかったアルフォートを齧りボーっとベンチに座る。
あの言い方では、まるで今日自分に会えなかったからここまできたようでは無いか。
心なしか頭が重くて熱っぽいのは許容できないほどの注目を病院で浴びたせいだろうか
なにも考えないようにしながら子供達の声を聞く。どこからかフワフワ風にのって流れてきたシャボン玉の群れが光を反射している。こんな日でも天気が良くてよかった。
遠くから午後の授業を知らせる大学の鐘が聞こえてくる。私ももう戻らなければ。
ふと携帯にうつっていた着信履歴に時雨はまた考えるのを止めた。


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