hp*シリウス

お星さまが落っこちた。


寒い寒い冬の日のこと。
かじかむ指をこすり合わせる。はあっと息を吹きかければ暗闇が白く染まった。この地方の冬の夜はとにかく冷える。パジャマの上にカーディガンを羽織って屋根に登る。はだしの足をつけてぺたぺた歩くたびジーンと痛んだ。つめたい。明日あたり雪が降るかもしれない。

雪は好きだった。でも大人になってゆくうちに面倒になっていった。昔は雪が降るだけで、手放しで喜んではしゃいだものだ。耳も鼻も真っ赤で、でもそんなこと全然気にならなかった。積もった雪に足をとられて転ぶのさえ楽しくて仕方なかった。


腰を下ろすと身体に直に冷たさが伝わってくる。かじかむ指をこすり合わせ、息を吹きかければ暗闇が白く染まった。明日は雪かもしれない。見上げた空には数えきれないほどの光が瞬いている。吐き出した息が白く染まっては消えてゆく。

星のことはそれなりに知っていた。こどもの頃、耳にタコができるくらい聞かされたからいつのまにか知識がついていたのだ。あの星が北極星なのも、あそこにあるのがオリオン座だということも、もとは彼が教えてくれた。昔こうして屋根に登って、わたしの手を暖めながら楽しげに話していた少年。彼はそうやってわたしの中に足跡を残す。降り積もった雪の上を歩くように。



星が落っこちてきた。

流れ星かと思ったそれは、大きくカーブしてわたしの元へ降ってくる。声を上げる間もなくまばゆく光り、やがて人のかたちを帯びた。それはひどくなつかしい顔をしていた。鳩が豆鉄砲でも喰らったようなわたしの表情に満足げにわらった彼は、昔となんにも変わらなかった。


「シリウス…」
「よう、久しぶり」


漆黒の髪は白が混じることなく、体つきもしなやかな黒猫のよう。まぎれもなく少年時代のシリウスだ。開いた口がふさがらない。シリウスは片手を上げてウインクすると、そのままわたしの頭を軽く撫でた。ぽんぽんと、あやすように。幼い頃泣き虫だったわたしによくそうしてくれたように。隣に腰掛けたシリウスは、夜空を見上げてほうっと息を吐いた。それが白く染まることはなく、またわたしもそのことについて何も言わなかった。彼は黙ったままのわたしの方へ顔を向け、困ったように眉を寄せた。


「おい、なんか言えよ」


言えって、なにを…。早く早くと急かすシリウスはあいかわらずせっかちだった。頭を一回りさせてようやく口を開く。


「人って死んだら星になるの?」


今度はシリウスが目を丸くした。わたしはいたって真面目に聞いたのだが、予想外だったらしい。声を上げてわらいだした。シリウスのツボはよくわからない。


「お前ってあいかわらず訳わかんねーこと言うなぁ」
「だってシリウス、さっき、」
「うわ、お前、手ぇまっか!」


おおげさに驚くシリウスにつられて自分の両手を見下ろす。たしかに真っ赤だ。ずっと外にいたから冷えきってもう感覚がない。うわあ、と今さら思っているうちに、わたしの右手をシリウスの左手が覆った。ぬくもりさえわからないけれど、なんとなく暖かくなったような気がする。シリウスは悪戯が成功したときのように口元をゆるませた。


「冷てぇ。冷え症かよ、もうお前もババアだな」
「うるさいなあ。だいたい、なんでシリウスはこどもの頃の格好してるの」
「お前、こっちのが好きかと思って」


シリウスはまだニヤニヤしていて、ああ、その見透かした笑みがいやらしいったら。けれど図星だったので何も言い返せなかった。大人のシリウスが嫌いなわけじゃなくて、ただわたしは、身も心も疲れきってうす汚れていく彼が見ていられなかっただけ。大切なものが消えてゆく中で彼の瞳の輝きが失われることはなかったけれど、それでもわたしはあの頃の、誰よりも格好よくて、一等星みたいに輝いて見えたシリウスが、とても、とても好きだったのだ。


「また黙り込みやがって。なんか喋れよ」
「…ジェームズとリリーは?ルーピンは来ないの?」
「ああ、あいつらな。お前に会いたがってたけど、めんどくせぇから連れて来なかった」
「なにそれ」
「だってお前、あいつらに会ったら泣くだろ」
「………」
「なんだよ、もう泣いてんのかよ」
「………」
「ホント泣き虫」
「…うるさい」


シリウスが大きなため息をついた。隣でわたしがしゃくり上げる。昔からそうだった。わたしが泣き出すとシリウスは面倒くさそうに、でも決して放っておいたりはしなかった。そういう優しいところがわたしは大好きだった。


「しっかりしろよ。もうお前を守ってくれる奴はいないんだから」「…守ってやるって、言ったくせに」
「俺は嘘つきなんだよ」


嘘だ、とわたしは心の中で叫んだ。シリウスはちゃんとわたしのことを、わたしの生きる世界を守ってくれた。わかっているのだ。大人になってどれだけうす汚れたって、シリウスは誰よりも格好よかった。ねぇ、なんでそんなに変わってしまったの。家が嫌いで、大人が嫌いで、ジェームズたちと悪さばかりして、それでもわたしにはいつだって優しかった。雪に足をとられて転ぶわたしに手を差し延べてくれた。
寂しかったのだ、わたしは。シリウスにはわたしだけのヒーローでいてほしかったから。世界なんかのために死んでほしくなかった。シリウスが守ろうとしたのは、他でもないわたしの未来だったのに。

俯くわたしの頭をシリウスが優しく撫でる。この手だけは変わらないと思った。あの頃と、なんにも。


「なあ、何考えてんの」
「…あの頃に戻れたらいいのにって考えてた」
「あの頃?」
「ホグワーツにいた頃」
「あー…」
「楽しかったね」
「しょっちゅう泣いてたくせに」
「シリウスたちに泣かされてたんでしょ」
「どうだったかなあ」
「ばか」


なつかしいね、とわたしは小さくわらった。シリウスもわらって、ほんの少し目を伏せる。あの頃と同じ姿で、あの頃をなつかしいと言うシリウスはどこか不自然だ。


「昔のことばっかりだな、お前」
「え?」
「そんな風に振り返ってばっかりいないで、前に進めよ」


声変わりしたばかりの低い声が夜の空気をゆらす。ずっと重ねている手がさっぱり暖まらないことにわたしは気づき始めていた。あの頃のシリウスの手のぬくもりを必死に思い出そうとしたけどなかなか上手くいかなくて目頭が熱くなる。


「やっと平和になったんだぜ。今を見ろよ。お前は生きてるんだから」
「…そんなの簡単に言わないでよ」
「簡単だろ。毎晩毎晩星なんか見てないで、暖かくして早く寝ろ。風邪ひくなよ。しっかり食え。せいぜい幸せに生きて、生きて、皺くちゃのババアになったら会いに来い。俺たち全員でわらってやるから」


もう落っこちてくるのはこりごりだからな
パッと辺り一面が光に包まれて、目を開くとシリウスの姿は消えていた。夜空を見上げる。1番眩しいあの星の名前をわたしはよく知っている。最後に一度だけその名を呟いて屋根を下りた。冷えきった手足を毛布にくるみ、明日はミートパイでもつくろうかと考えながら、わたしは久しぶりにぐっすりと眠った。


過去なんてむしゃむしゃ

101227
英雄さまに提出
素敵な企画ありがとうございました

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