夏の終わりの風はすこし冷たくて、むき出しの二の腕をつき刺していく。上になにか羽織ってくればよかったとここまで来て後悔した。颯爽と風を切るバイクのエンジン音をちょっとだけ恨めしく思う。きゅ、と腕の力を強めると、細いようで意外とがっしりした腰から温もりが伝わってくるような気がして、このひとも人なんだなあと間の抜けたことを思った。


「苦しいんだけど」


不満げな声とともにぴたりとくっつけた背中が振動する。気にせずぎゅっぎゅと力を込めれば深くため息をつかれた。いくら天下の風紀委員長さまだって、恋人をバイクから振り落としたりはしないのだ。ちょっとしたやさしさ。わたしだけの秘密。バイクの後ろの特等席。すべてがまぼろしみたいな幸せだった。


「寒くなってきたね」
「もう八月下旬だからね」
「………うん」


また夏が終わる。今年はとくべつ暑かったとテレビのお天気お姉さんが言っていたけど、わたしにはどの夏も特別暑かったように感じられる。下敷きをうちわ代わりにしてだらだらと受ける授業、役に立たない教室の扇風機、サイダーのあぶく、シュワシュワと弾けて消える 三度目の夏。


「夏が終わるね」
「うん」
「そしたら、どうなるのかな」
「秋が来るんだろ」


当たり前でしょと鼻で笑われた。うわあ、いやな反応。慣れっこだけど。ヒバリはいつもこうだ。頭がよくて、カッコよくて、強くて、わたしよりずっと大人。ヒバリは今なにを見てるんだろう。わたしにはヒバリの背中しか見えない。わたしの特等席はいつだってヒバリの後ろで、わたしはヒバリを見れないしヒバリからわたしは見えない。もし今ヒバリが消えてしまったらどうなるんだろう。サイダーのようにシュワシュワと、いなくなってしまったら。きっとわたしはこうして風を切ることもできない。


バイクのエンジン音が止んだ。ヒバリの温もりを離すのが惜しくて、でもヒバリはあっさりとバイクから下りてしまった。つめたい。しぶしぶ後につづく。歩くたびサンダルがジャリジャリ音をたてた。小さな巻き貝がたくさん転がっている。満ち潮だってこんなところまで届かないのに、どうやってここまで来たんだろう。去年の夏もそんなことを思って、ヒバリに聞いた気がする。ヒバリはなんて答えたんだっけ。思い出せない。ずんずん進んでいく彼の前方には、怖いくらいの青が広がっていた。

海だ。


「何ボーッとしてるの。早く準備して」


不機嫌そうなヒバリの声にハッとしてあわてて鞄を漁る。でっかい花火のパックがふたつ出てきた。底に安物のライターがひとつ。
わたしがビニールを破っている間に、ヒバリは何処かからバケツと流木を見つけてきていた。さすが毎年やってるだけあって仕事が速い。真ん丸の太陽が空のてっぺんからわたしたちを見下ろしている。


「準備完了です隊長!」
「何の隊長なの」


かざしたライターに花火の先端を近づける。パチパチと火薬がはぜる。わたしはこの瞬間がすきだ。なんとなくだけど、燃えるぞ、燃えるぞっていうこの一瞬がすき。次の瞬間には砂浜が色鮮やかに反射していた。赤、黄、青、緑。あっという間に火は消えて、あたらしい一本に火をつける。パチパチ。ヒバリは持ってきた流木に腰掛けながら花火をしていた。



昼の花火ってなんかいいよね。どっちが初めに言い出したのか忘れたけど、わたしたちは決まって陽が落ちるまえに花火をする。毎年、夏の終わりの、風が肌に痛い頃。ヒバリに手伝ってもらいながら宿題をなんとか片付けて、そのご褒美が海まで連れていってくれることだった。花火を買ったのはほんとうに気まぐれだったのだ。でも、ふたりきりの海辺で青い空の下やる花火はなかなかに味があって、なんかいいよねとわたしは笑った。ヒバリもまんざらでもなさそうな顔をしていた。年に一回の、海水浴にも夏祭りにも行かないわたしたちの、たったふたりだけの花火大会。ホントは水着も用意してたし浴衣も着たかったけど、わたしたちにはこれが一番合ってる気がした。ヒバリがいるならこれだけでいいやって思った。


じゃあ、ヒバリがいなくなったら。そのときわたしはどうなるんだろう。


「ねぇ」
「なに?」
「もう消えてるけど、それ」
「……あ」


ボンヤリしていたらしい。とっくに色を失った花火の残骸をバケツにつっ込み、もう一本を取り出す。考えてみたら花火って、ほんとうにあっけないよね。あっけなくて、さみしいから何度もくり返す。もしかしてすごく不毛?


「花火なんてそんなものでしょ」
「え?」
「だからいいんじゃないの」


ヒバリはさも当然のように言った。明日の天気は晴れだよ、くらいあっさりと。数が少なくなってきた花火に火をつけて、無表情ではじける火花を見つめている。
意外だった。ヒバリがそんなことを言うなんて。ヒバリは花火なんてどうだっていいんだと思ってた。火をつけてすぐ消えるだけの、無意味な時間の浪費。普段かまってやらない彼女に付き合ってやってるだけなんだと。
あっけにとられながらそう口にすると、ヒバリはちらりとこちらを見、すぐ花火に視線を戻した。


「花火なんてどうでもいいよ」
「あ…そうなの?」
「でも、この時間はきらいじゃない」
「……」
「……」
「………ヒバリ」
「なに」
「大好き」


知ってる、とヒバリは言った。その口元はほんのすこし持ち上がっているように見えた。もしかしたら、もしかしたらわたしはわたしが思っているより幸せ者なのかもしれない。ヒバリはわたしが思っているよりわたしを好きなのかもしれない。ヒバリはきっといなくならない。ヒバリはずっとこの街にいて、わたしはずっとこの大好きなひとと一緒にいられる。

でもそんなわけなくて、わたしたちはこの夏が終わったらバラバラになる。夏は終って、時間は駆け足でわたしたちを追い越していく。いっそ置いていってくれたらいいのに、目の前の背中はどんどん見えなくなって、ヒバリはわたしの知らない何処かで生きて、わたしはヒバリのいない場所で大人になっていく。あの巻き貝だっていつか大波に呑まれて消えてしまう。一瞬の花火のように、寄せては返す波のように。時間はいつだって止まらないまま、わたしたちの大事ななにかを消してゆく。シュワシュワはじけるサイダーの泡みたいに。


「ヒバリ」
「なに」
「イタリアに手紙送ってもいい?」
「……恭弥って呼ぶなら、考えてあげてもいいよ」


八月下旬の風はつめたくて、むき出しの肌をつき刺す。すこし傾いだ真ん丸の太陽がふたりを見下ろしている。怖いくらい青い海の端っこで、わたしたちの最期の夏が終ろうとしていた。



こどもたちの終り

100717
ささやかに想うさまに提出。すてきな企画に参加させていただきありがとうございました

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