爆発音と共に霞んだ視界が晴れてくると、まず青く澄んだ空が映った。咳込みつつ視線を降下させてゆけば、低い等身とひらめくワンピースのすそ。口を閉じることすら忘れたかのような唖然とした顔の少女は、次の瞬間大きく息を吸った。叫ばれる!咄嗟に少女の口を塞ぐ。安心したのもつかの間、コンマ一秒後響いたのは俺自身の絶叫だった。それでも必死に堪えた甲斐があったというべきか、人の駆け付ける気配はない。ひりひりと痛む右手を労るように見、少女を憎々しげに見。噛み付いた少女はどこか得意げに胸を張ってみせた。なんてガキだ…と、次なる手段を講じられたのもそこまで。俺の思考から本能、全ての器官が運動を停止した。呼吸すら止まった。ようやく酸素を吸ったのは、少女が口を開いてからだった。


「あなたはだれ?」


声を聞いた。耳に反響するそれすら、俺の感覚を鈍らせる。高い声だ。黙ったままどころかぴくりともしない俺を不思議そうに見上げると、不意にすたすたと歩み寄ってきた。詰まる距離に反応すらできない俺の右手をそっと持ち上げ、一回り小さな手でさすりはじめる。


「いたい?ごめんね、もっとやさしく噛めばよかったのよね」


ごめんなさい、と眉を下げる。カラカラの喉を唾で潤し、絞り出した声のなんとまあ情けないものか。大丈夫、だあ。言葉を発したことに安心したのか、少女が笑う。花のように。俺の心臓は再び静止した。パッと子供独特の体温が離れていくと、右手は急に寒くなった。少女が駆けるたびに白いワンピースが波打つ。花壇の縁に腰を下ろす様は、花弁に降り立ったモンシロチョウを思い起こさせた。


「お屋敷のひと?」


お屋敷?改めて自分のいる空間を見渡すと、どうやら中庭らしいことが窺える。赤みがかった壁には無数の蔦が縦横無尽に伝い、柔らかい地面からは色とりどりの花が、所々に埋められた花壇など気にもせず顔を出していた。中央の噴水が空気を潤し、さらにその中央では小さなマリア像が慈愛に満ちた瞳で微笑んでいる。真上から暖かい日光が降り注ぐそこは さながら小ぶりの楽園と比喩しても過言ではなかった。それともここは天国の一角なのだろうか。それを否定するだけの根拠を俺はひとつとして持っていないのだから、やはり楽園なのかもしれなかった。だとすればこの少女は俗にいう天使か。白いワンピースは神の衣のようである。
「…ここは、あの世かあ?」


俺の間の抜けた問いに、天使は目を丸くした後くすくすと笑った。「そんなわけないでしょ、わたしは生きてるもの。それともあなたは幽霊なの?」楽園説を否定された俺はどこかホッとする。と同時にホッとした自分自身を後悔した。この少女は生きている。俺も生きている。それは当然のことであったが、しかし俺にとって残酷な事実であったのだ。


「ここはボンゴレのお屋敷よ。奥の端っこの方だけど」


ボンゴレ…ここは本部だったのか。どのくらい奥のどのくらい端だか把握できないが、俺の記憶にはなかった。否、忘れているのだ。遠い記憶の奥の端に、この中庭の記憶もあるはずなのだ。覚えていないほど小さなものだったのか、時と共に薄れていったのか、忘れてしまった俺には皆目見当もつかない。確かなのは降り注ぐ日光くらいのものだった。ここはすべてが朧げだ。白い少女の輪郭も、咲き誇る花の薫りも。胸が締め付けられるほどに。


「お前、こんなところで何してるんだあ?」


辺りを見回す俺を興味深げに観察していた少女があのね!と身を乗り出した。立ち上がったすぐ後ろに何かが置かれている。四角形の缶のようだ。近づいてよく見れば、見慣れた高級菓子の模様が刻んであった。隣にはスコップの入ったおもちゃのバケツ。おやつの時間にしてはちぐはぐの組み合わせだ。俺の隣にしゃがみ込んだ少女が缶のフタを開け俺に差し出す。中身は手紙だった。シンプルな白い封筒、切手は貼っていない。裏っ返してみると、拙い文字で宛名が見て取れた。「未来の…」俺が口に出して読もうとした途端、怒声と共に手紙を取り上げられる。少女は顔を赤くさせて手紙を丁寧に缶に戻した。勝手に読んではいけなかったらしい。


「ひみつの手紙なの!あなたにはおしえてあげないわ」


怒った口調とは裏腹に、その瞳はきらきらと輝いている。これから悪戯をするかのような、初めての秘め事という未知への好奇心と背徳感。ワクワクとかドキドキとかそんなオーラが滲み出ていた。俺が黙ったままでいると、思った反応でなかったらしくつまらなかそうに口を尖らせた。


「…しょうがないわね、すこしだけ見せてあげる。わたしのたからもの」


見たいなんて一言も言っていないが、得意げな少女に水を差す気にはならなかった。少女が白い封筒から取りだしたのは、きらきらひかるガラスの指輪。子供用のおもちゃにしては大きめに作られたそれは、少女の親指でもぶかぶかである。「きれいでしょう?」「あぁ、綺麗だなぁ」指輪をくるくる回転させながら、少女がにこにこ笑う。一緒にくるくる回りだす。きらきら、にこにこ。目が回ったのかゆっくりと動きを止めると、今度はしゃがんでスコップを握った。柔らかい地面を少しずつ掘っていく。暖かい風が吹き抜け、少女の亜麻色の髪をさらさら揺らした。ほんのすこし乱れてしまったのを直してやる。かがんだまま、ありがとうとくぐもった声が聞こえた。ありがとう。俺も言う。風が楽園を走ってゆく。少女が振り向いたとき、そこには誰もいなかった。







「…スクアーロ」
「よう」


よう、とぎこちなく応える山本武は、いまだ俺の顔を見て目を瞬かせている。口を開いてみるものの、言葉が紡がれることはなかった。ぱくぱく繰り返すこいつに付き合っている暇すら惜しく、俺はさっさと屋敷に入っていった。山本武がハッとして思い出したように後ろをついて来る。


「久しぶり、だな」
「ああ」
「どうしたんだ?突然」
「野暮用だぁ。お前は関係ねぇ」


すっぱり切り捨ててもこいつは立ち去ろうとしない。どうせ俺が良からぬ企みを持っているとでも危惧しているのだろう。馬鹿な奴。復讐も報復もザンザスの専売特許であって、そのザンザスが牙を剥かない限り俺がこの平和を壊すことなど無意味でしかない。ここは静かだ。最恐と恐れられるマフィアボンゴレの名が聞いて呆れるような、穏やかな陽射しに包まれた屋敷である。今も、遠い昔から。


「中庭は何処だあ?」
「中庭?」
「ここの奥の端の方に、中庭があるはずだ。噴水がある…」
「…ああ、そういやそんなのあったっけか」
「案内しろぉ」


まるで意図が読めないといった表情の山本武を先に歩かせる。見慣れた本部の造りが、奥に進むにつれ新鮮だったり懐かしかったりと変わってゆく。しかしどうにも、フラッシュバックするのはたった1ヶ月前のワンシーンだけだった。あの日も晴れていた。眩しいくらいの太陽に、俺はすべて焼かれたのだ。「午前中、ランボがそっち行ったんだぜ」「会った」「あいつすげーびびってたかんな、大丈夫だったか?」大丈夫なんて言葉あのガキには存在しねぇだろう。ザンザスに見下ろされたくれぇでバズーカぶっ放すようなチキン野郎だからなあ。俺が煙から姿を現したときのあいつの顔といったら!まあ今日だけは見逃してやる。むしろ感謝しないこともねぇがむかつくので言わないでおくか。



「…着いたぜ」


答えず、顔をまっすぐ上げた。そこに広がっている(と形容するのも躊躇うほど小さかったが)楽園は、随分と荒れ果てていた。草木は方々に伸び、名も知らぬ背丈の高い花々が自由奔放に咲き乱れ、中央にぽつんと残された噴水は本来の役目を忘れたように佇んでいる。ペンキの剥げたマリアだけが、俺に微笑みかけていた。それでもここは美しい。差し込む陽の暖かさが変わることはなく、駆け足の風も柔らかい空気も変わらない。ああ、俺はやはり此処に来たことがあったのだ。掠れた記憶は不確かであったが、過去の俺は此処で、此処にいる彼女を瞳に映したのだ。
一歩、また一歩と歩み寄り、俺は膝をついた。モンシロチョウが飛んでいた。そのまま屈む俺の行動を怪訝そうに、けれど柱に背をもたせ見守る山本武。スコップでも取ってくるかという提案は沈黙が一蹴する。この手でなければならないと、俺は分かっていた。
こつん、指先に当たる硬い感触に息を飲む。そっと、丁寧に土を掻き分けそれを持ち上げた。姿を現した箱はもう随分劣化していて、先日潰れた菓子ブランドのロゴを判別することはできない。脆い蓋を外す。予想を裏切らずに顔を出した封筒はあまりに白くて目に痛い。宛名を読む必要はなかった。数時間前に俺の瞳に焼き付けられている。背後の山本武に手渡すとその瞳が大きく揺れた。気づかないふりで便箋を開き、奇跡的に虫食いのなかった文面に目を通す。読みにくい字だと笑う。引き攣る口からは枯れた音しかこぼれない。後ろから名前を呼ばれ、不意に何かが俺の手にころんと落ちた。

指輪だった。
軽くて小さい不格好なガラスの指輪。例えば例の高級菓子についていたシールを50枚集めると貰える玩具のような。あんなもん50も集めるなんて、馬鹿か。今度こそ笑いがこぼれた。みっともないそれが嗚咽に変わるのに時間はかからない。白い便箋が滲む。幼い字が滲む。視界がブレる。


あいつが消えた一ヶ月のこと。俺は死んだように墓前から動かなかった。強制的に屋敷に連れ返されても俺は抜け殻だった。過労が原因だったらしい。無理をさせた自分の責任だと、あのお人よしな沢田綱吉が土下座しに来た頃には既に2週間が過ぎていたが、俺はまともに取り合わず復帰した任務に打ち込んだ。信じられなかったが信じるしかなかった。信じたくなかった。いつだってそれが現実というものだと、血にまみれればまみれるほど俺はむかつくくらい理解した。あのくそ女、死に装束がウェディングドレスなんて空気読まなすぎだろぉ。


「なあスクアーロ」
「…」
「俺さ、お前の結婚式のとき、そんなでっかくて派手な指輪合わないのなって言ったろ」
「ああ」
「あれ嘘だから気にすんなよ」
「…ああ」

「だけどさ、」
「お前やっぱりそっちのが似合うぜ」


と静かに山本武が声を震わす。揃うことのなかったゴテゴテの指輪を抜き取ると、小指にしかはまらない小さな指輪をきつく押し込んだ。ああくそ、痛い。目も小指も心臓も、「未来のだんなさまへ、まだ小さなわたしより」




never

091113

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