*10年後


「ねぇ、ベル、もう降ろしていいよ、歩けるから」


返事はない。目の前で金色の髪がさらさらと揺れる。ティアラが月明かりでキラリと光る。深い森の中でわたしたちを導くものなんて何一つなく、この闇の中をわたしたちはずっと歩き続けている。


「ベル、」


いや、違う、歩いているのは、歩き続けているのはベルだ。わたしはただ彼の背中に身を任せているだけなのだ。ベルはもうずっとこうして休むことなくわたしを背負って森の中を進んでいる。トントンと肩を叩いて抗議しても返事は返ってこない。金色の髪がさらさらと揺れている。

背負われた経験などなかった。抱きしめてくれる両親すらいなかったわたしは幼い頃からベルのお城で働いていて、何も持っていなかったわたしの唯一の誇りといえばまだ小さい王子様の世話係を任されていることだった。疲れたと言われれば背負い、泣かれれば抱きしめた。双子の王子様を見分けるのはわたしだけの特技だった。どんな暗闇であっても、わたしはどちらがベルなのかを見抜くことができた。


「…ねぇ、疲れたでしょ、わたしは平気だから」


どこかで梟がホウホウと泣いた。ガサガサと音を立てて姿の見えぬ森の住人たちがうごめいている。彼らにとってこの闇は心地の好い揺り篭なのだ。さきほどよりベルの足取りが遅くなっていることにわたしは気がついていた。

あの城を、わたしが半生を捧げ、彼が生まれ育ったあの城を抜け出したのもこんな夜だった。暗闇に何度も足をとられそうになりながらわたしは走った。誰ひとり残っていないあの場所から、追っ手など、来るはずがないのに。わたしは背中に感じる温もりだけをひしと感じて走り続けた。ふたりとも血だらけだった。その血が昨日まで普通に会話していた人間のものだと考えると恐ろしかった。追っ手など来るはずもなかったけれど、わたしはただひたすらに逃げていた。ベルは、笑っていた気がする。愉しそうに何か喋り掛けてきた気がするけれどよく覚えていない。そのうち寝てしまった王子様を抱きしめて、一睡もせず朝を待った。


「ベル、疲れてるでしょ、足は何ともないから、歩かせて」


包帯を真っ赤にしてずいぶんな出まかせだと思ったけれど、前を向くベルには見えないから都合がいい。そんなに難しい任務でもなかったのに、足を撃たれるなんてヴァリアー失格だ。ベルのサポート役として来たはずが逆にこうやってベルに迷惑掛けてしまっている。ベルひとりだったなら、簡単に脱出できたにちがいない。追っ手だって楽に撒けるか、始末できるはずだ。何をやってるんだ、わたしは。役立たずじゃないか。涙が出そうになった。


「ベル、ごめん、わたしのことは置いてっていいから。ベルだけでも逃げて」


シュ、と空を斬る音がして、頬に鋭い痛みが走った。たらりと血が零れる。いつの間にナイフを投げたのか、ベルの右腕はすでにわたしの膝の裏を抱え直していた。気づけば鳥の鳴き声も草木が揺れる音も消え、辺りは静寂に包まれてる。


「…あのさあ」


不機嫌な声音が空気を震わせた。昔からこの声を聞かない日などなかったのに、その低さに驚いた。


「ムカつくんだけど。いつまでも保護者気取りで、心配ばっかしてさ。俺のこといくつだと思ってんの?アンタよりよっぽど背も高いし、強いし、男だし。ガキ扱いすんのとか、マジ腹立つ。今だって足痛えの我慢して気つかって、何様なわけ?俺が怪我の具合もわかんねえような馬鹿だと思ってんの。だいたいアンタ昔から心配性だし口うるさいし、すぐ泣くし、そういうとこすげえイライラする。言っとくけど俺全然疲れてねーし、アンタ馬鹿みたいに軽いし、このくらいで俺の体力尽きるとか思ってるのかよ殺すぞ。降ろせって言われても絶対降ろさねーから、アンタは黙って俺にしがみついてればいいんだよ、愚図」


波のように鼓膜を揺らす声に潜んだ穏やかさと、目の前の背中の広さに、わたしはようやく気がついた。
涙が出そうだ。



透明な嘘を
つかまえて


110109

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -