身体を動かすのがちょっとしんどいなと思ってはやめに仕事を切り上げた。部下に後を任せて廊下へ出る。部屋の引き出しに薬があったような、気がする。でもあれいつのやつだっけ。この際医務室でよく効くやつをもらってこよう。身体は丈夫なほうだと自負しているし、一晩寝れば治るだろうけど、明日は任務だから一応念には念をいれて――


「もう上がりかあ?」


…ああ、こんなときに。嫌々ながら振り返って名前を呼べば、スクアーロは銀色の髪を靡かせながら大股で近づいてきた。


「…まあ、そんなとこ。スクアーロは?」
「俺は医務室に用があってなあ」
「あー…」


みなまで言わずともわかった。さっきは見えなかったが、スクアーロの左頬からはだらだらと血が流れている。どうせまたボスにやられたんだろう。止血くらいすればいいものを、本人はたいして気にしていないらしくそのままにしている。痛くないんだろうか。まあ若気の至りで片腕を切り落としちゃうような男だから、そういった感覚には無縁でもおかしくはなかった。
ところで問題はこれからだ。


「お前はどうしたんだ。部屋こっちじゃねぇだろぉ」
「え、えーと」


わたしも医務室に用があって、と答えればさらに疑問をぶつけられるのは目に見えている。風邪薬をもらいに、とは言えない。この男は風邪も逃げていくほどの馬鹿だから、風邪を引くやつ=未熟者だと信じている。「ちょっと風邪ぎみで」なんて言おうものなら絶対笑われるにちがいないのだ。「情けない奴」とか「これだから女は」とか馬鹿にされるに決まっている。果ては明日の任務の邪魔になると思われてしまう。
ちなみに明日の任務の同行者はスクアーロだ。なんて運の悪い。

なかなか返事を返さないわたしを訝しげにスクアーロが見つめる。適当にごまかそうと口を開いた。


「…ちょっと散歩したくて」
「屋敷の中をかあ?」
「う、うん。知らない?散歩すると血行がよくなるんだって。今流行ってるんだよ」
「…そうなのか?」


もちろん全部出まかせである。が、そうだよ!!!がくがく頷くと、スクアーロは「女はそういうもん好きだよなぁ」と首を傾げた。あ、こいつ馬鹿だな。知ってたけど。たぶんスクアーロの中の女像は「化粧と流行が好きな生き物」なんだろう。扱いやすいやつでよかった。


「じゃ、じゃあそういうことで!あとはやく止血してもらいなよ!」
「おう、明日な」


Uターンして部屋へ向かうわたしは明らかにおかしかったが、スクアーロがそれ以上首を傾げることはなかった。薬、もらいそこねちゃったなあ。まああったかくしてはやく寝れば大丈夫だろう。ただの風邪だし。






風邪は引きはじめが大事、という先人の教えがある。ただの風邪、されど風邪。身体が丈夫だからと過信するとろくなことがないということだ。
つまりわたしは最初から間違った。


「7度6分……」


自分の声がぐわんぐわんと頭を揺さぶる。ちゃんとあったかくして寝たんだけど、な。やっぱり薬を飲まなかったのは大きかった。おめでとうばっちり風邪です。
ベッドの上でため息を吐く。乾燥しきったのどが痛い。手探りで引き出しから取り出した薬は埃を被っていて、手で払うと見覚えのないメーカーのロゴが微かに見えた。これを飲んだらまた別の症状が出てきそうだ。

時計を見る。あと1時間もすれば出発の時間だ。あの男の顔を想像するだけで憂鬱だが、休むわけにはいかない。重い身体をよいしょと持ち上げた。






顔色の悪さは化粧でごまかした。任務中は進んで別ルートから突入し、なるべくしゃべらない。口を開くとせきが出てしまう。変なところで勘のいい男だから、顔を合わせたらたぶん、ばれる。少々手こずったものの、敵のアジトは予定よりはやく征圧できた。ロビーに向かうとスクアーロは既にそこに居て、遅いじゃねぇかと口の端を持ち上げた。


「俺一人でも楽勝だったなあ!」
「あーはいはいそーですね」
「んだあ?その適当な返事は」
「いいでしょ別に」


さっさと帰りたかった。頭痛はどんどんひどくなる一方だし、せきを我慢するのもきつくなってきた。吐き気はないもののかなりしんどい。はやく帰って休みたい。それだけだった。
スクアーロは気分を悪くした様子もなく、じゃあ帰るかと歩きだした。大股で歩くスクアーロの背中がとんどん小さくなっていく。あれ、おかしいな。わたしもちゃんと歩いてるはずなのに――







――…身体が揺れるのを感じた。身じろぎしようとして、上半身を締め付けているベルトに気づく。ああ、車の中だ。電波の悪いラジオからは今週の天気予報が流れている。わたし、どうしたんだっけ。うっすら瞼を持ち上げれば、フロントガラスに雨が打ち付けているのが見えた。


「起きたかあ」
「…すく、げほっげほっ」


口を開いたとたんせきが止まらなくなった。げほげほと咳込むわたしを横目で見つつ、スクアーロがハンドルを回す。


「大丈夫かあ?」
「けほっ…うん。へいき」
「平気な奴がぶっ倒れるわけねえだろぉがあ!!」
「い゛っ!?」


とつぜんの怒声に頭が悲鳴を上げた。声でかいよばか!と訴えることすらできず頭を押さえる。スクアーロはハッとして、気まずそうに目を逸らした。


「…わりい」
「い、いや、いいよ。…わたし、倒れたんだ」
「おう。入口んとこでいきなりな。残党が居たかと思ってヒヤヒヤしたぜぇ」


今度はやや抑えた声でスクアーロは言った。真っ赤な顔に紫色の唇で倒れたわたしを見て、毒でも打たれたのかと思ったらしい。まあそりゃあびっくりしますよね…

なんとなく現状を把握したところで車が急停止した。前のめりになりつつ辺りを見回せば、全国チェーンのコンビニエンスストアの看板が目に入る。え、ここ?あわてて隣の運転席を見れば、スクアーロはベルトをさっそく外している。


「スクアーロ、ここ…」
「ちょっと待ってろぉ」


ばさ、と音がして目の前が真っ暗になった。身体ごと覆い隠したそれはほんの数秒前までスクアーロが着ていたコートで、まだ体温が残ってあたたかい。え、と戸惑うわたしに「動くなよぉ」とまるで脅すみたいな言葉を掛けてスクアーロは車の扉を閉めた。ばたん。静寂。あれ、いつの間にラジオ消したんだっけ?そういえばさっき、わたしが頭を押さえて大声を嫌がったときに、。



フロントガラスを雨が叩く。ぼつぼつ。エンジンを掛けっぱなしの車内はあったかくて、寒いわけでもないのに。サイドミラーにコンビニへ小走りで駆け込む後ろ姿が見えた。外のほうがよっぽど寒いのに、わざわざ上着脱ぐこと、なかったのに。わたしの身体まるごと覆ってしまうコートは大きくて、あたたかい。


「…はあ」


これだから嫌だった。天然で単細胞で馬鹿で、ふだん気を回したりなんかしないくせに。あの男の中で女は「化粧と流行が好きなよわい生き物」だから、守ってやらなきゃなんて思ってるにちがいない。そういうところばっかりイタリア男なんだから、こまる。嫌いじゃないから、いやになる。露出した足から直にぬくもりが伝わって、ああなんか涙でてきた。思ったより精神的に参ってしまってるらしい。



パシャパシャ水が跳ねる音が近づいてきて、ばたん、と扉が開いた。前髪から雨粒をたらしたスクアーロがぎょっとする。


「う゛お゛ぉい、お前、な、なんで泣いてんだあ!」
「…なんでもな、げほ、うるさいスクアーロ、げほごほっ」
「ああもう喋んじゃねぇ!!おら、これでも食ってろ」


ずいっと差し出されたのはほかほかの肉まん。一緒に渡されたビニール袋には、風邪薬と栄養ドリンク。


「さっさと帰んぞぉ」


照れたそぶりも見せずアクセルを踏むこの男は、たぶん何も考えてないんだろうなあ。この天然馬鹿め。肉まんをひとくち頬張るとあたたかさが広がって、目の奥が熱くなった。勘弁してよ、女はこういうやさしさによわいんだから。いっそ今むしょうに泣きそうなのも、隣の馬鹿がやけにかっこよく見えるのも、みんな風邪じゃなくてお前のせいだと泣き叫んでやろうか。どうせこの鈍感には伝わらないだろうけど。


110213
title by arnica

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