なまえはとてもマイペースな女の子だ。まず出無精だし、買い物に行けば必ずなにか買い忘れる。でも引き返そうとはしない。足りないものがあっても気にしないから、ワンルームの部屋はだんだん物寂しくなってくる。見るに見かねて大量の物資を運んでくる俺を見て、なまえはへらりとわらうのだ。「ディノ、ありがと、」って、ほんと、俺がいなかったらお前死んでるよ。空のティッシュボックスの中身を補充しながら言えば、うんうん頷きながら手土産のケーキをもう食べはじめている。わかってんのかなあ。心配になるけど、幸せそうに甘いケーキを頬張るなまえを見てるとまあいいやって思う。俺もダメな彼氏だよなあ




キャバッローネの屋敷はいつもにまして賑やかだった。俺が顔を出せば歓声やらシャンパンのコルクやらが舞い上がり、顔を出す前に大勢で押しかけてきては次々と祝いの言葉を述べていく。まだ昼だっていうのにどいつもこいつも顔を真っ赤にして、まるで自分のことのように喜んでいる。俺は生まれたときからファミリーのやつらに囲まれて生きてきたから、他の、たとえばジャッポーネにいる弟分たちのような一般家庭のことはわからない。だけどきっと、こういうのを 家族 っていうんじゃねーのかなって思う。


「俺はしあわせ者だ」


誰にも聞こえないように呟いたつもりだったのに、隣のロマーリオが背中をばしばし叩いてきた。どこかで取っ組み合いが始まっている。ワイングラスをぶつけ合う音があちこちから聞こえる。俺はしあわせ者だ。こんなに家族がいるんだから。





喧騒のなかこっそり裏口から外へ出た。もうすぐパーティーだっていうのに張本人の俺がいないことに気づいたら、あとで盛大なお叱りを受けるにちがいない。まあその辺はたぶん、ロマーリオがうまくやってくれるだろう。とにかく顔が見たかった。


普段ファミリーが利用しないような民間の食料品店は、なまえと付き合いだしてからたびたび通うようになった。いつも安いティッシュやセールの冷凍食品やらを買ってる俺は、一人暮らしの学生かなにかに勘違いされているようで、顔見知りのレジのおばちゃんと軽く世間話をしたりする。俺がマフィアのボスって知ったら卒倒されるだろうな。

なまえの部屋にあるもの、ないものはだいたい覚えている。もともと記憶力はいいほうだ。相性がいいんだと言ったのは誰だったかな、たぶんなまえ本人だ。都合がいいというか、まあ、相性がいいに越したことはないんだけど。
棚の位置もほとんど把握してしまっているから、欲しいものはすぐに見つかった。単三電池のパックに売れ残った今年のカレンダー。なまえの部屋のはまだ去年のやつで、それも10月からめくられていない。ついでに壁掛け時計と目覚ましの電池まで切れて、現在なまえの部屋には時間がわかるものがないのだ。本人は「ケータイあるからいい」なんて平気そうにしてたが、時計もカレンダーも止まったままの部屋は正直ぞっとする。時間が進んでないみたいじゃないか。なまえはただでさえ動かないのに。

レジに持って行くと、レジのおばちゃんは呆れ顔で「いくらなんでも、もう2月だよ」と言うので、苦笑いするしかない。





そろそろやつら、俺がいないのに気づく頃だろうか。酔っ払ってるからたいしたことはできないだろう。見つかる前にと夕焼けの道を急ぐ。でも本当はゆっくり歩きたい自分がいて、馬鹿馬鹿しくなった。ちょっとでも時間を稼ごうとしたって、なまえが今日この日に気づくとは思えない。なんたってカレンダーも時計も使えないのだ。ケータイに俺の誕生日が入ってるわけでもない。俺が着くほんの一秒前でいい、気づいてくれねーかなあ。頼みます神さま。今日が何の日か、あのにっぶい彼女に教えてやってください。





凍りついたアパートの階段を手すりに掴まりながら上っていく。上り終わったところで手袋を見れば、白かったそれは赤茶けたサビで台なしになってしまっていた。これ高かったんだけどな。ビニール袋を抱え直してベルを鳴らそうとして、一瞬ためらって、結局鳴らした。期待はしないこと。いくら言い聞かせたって、しないなんてできないわけだ。
反応はなかった。いないのかと心配になりかけたところで、薄いドアの向こうからぱたぱたと足音がする。ガチャンとドアが開いた。なまえが顔を出す。


「鍵掛けろよっていつも言ってるのに」
「あ、わすれてた」


ついうっかり、なんて信用できないにもほどがある。ついうっかり強盗に襲われたらどうするんだよ。もちろんそうならないために、俺が街の治安を守ってるわけだけど。なまえは俺を招き入れると、ルームブーツのかかとをつぶしたままカーペットに上がり冷蔵庫を物色し始めた。重ねられたクッションをひとつ取って座り、ビニール袋をその辺に置いて上着を脱ぐ。無視しきれない脱力感があった。まあそうだよな、なまえだもんな。わかってたよ。

あいかわらずカレンダーは10月のままで、時計の音はしなかった。レースのカーテンのすき間からはちらほらと雪が見えている。降ってきたようだ。朝のニュースによると、今夜は相当冷えるらしい。やつらはしゃぎすぎて風邪なんて引かなきゃいいけど。ぼうっと外の景色を見ていた俺の目の前を、なまえの手がひらひらと舞う。


「ディーノ?どうしたの?」
「ああ、雪が降ってきたなと思ってさ」
「あ、ほんとだ」


今夜は冷えるから、ちゃんとあったかくして寝ろよ。窓の外を眺める横顔にそう言おうと思って、視線を向けたとたん時間が止まった。時計の音すらしないこの部屋で、俺の視線はまっすぐテーブルの上のホールケーキに注がれている。


「なまえ…これ」
「ん?あ、そうだはやく食べよ。朝ごはん食べてないからお腹へってたんだよね」


差し出されたフォークをぎこちない手つきで受けとった。朝ごはん食べてないって、今夕方だぞ。何時に起きたんだよ。まさかなにも食べてないのか?なにも食べてないのにいきなりホールケーキを半分食べるつもりなのか?それにこれ、わざわざ買いに行ったのか。


「ろうそく買うのわすれちゃって。ごめんね」
「いや、構わないけど…」
「じゃあはやく食べちゃってよ。ディーノが先に食べないとわたしも食べれないよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」


ほらはやく、と急かされて、傷ひとつないケーキにフォークをぐさりと刺す。口に入れた瞬間になまえが あっ と声を上げた。「わすれてた。誕生日おめでとう」
いや、先に言おうぜ。ああなんか俺今なら死んでもいいくらいしあわせだわ。今夜冷えるってなまえに言う必要なくなったな。俺があっためればいいんだし。なあ俺、ほんとしあわせ者だよ。今ごろ屋敷は大騒ぎかもしれないけど、まあその辺はロマーリオがうまくやるだろう、たぶん。



冬の果報者


110204

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