なまえがうっすらと瞼を持ち上げると見覚えのない天井があった。病院のような白い壁は、彼女の部屋の荒い木目調とは似ても似つかない。目をこらすと幾何学的な模様が刻まれているので病院ではないのだろうが、しかしここはどこなのだろう。
職場へ行き、仕事をこなし、いつも通りの日常なはずだった。友人と別れ会社を出たあたりから記憶がプツンと途切れている。横になったまま何が起きたのか思いだそうとしているなかで、ふと耳に暖かい吐息がかかるのを感じた。ギョッとして起き上がり隣を見て、なまえはあやうく心臓が止まりかけた。

隣に寝ているのは、彼女の恋人であるスクアーロだった。


瞼を閉じて完全に寝ているようで、艶めいた唇からは静かな寝息が漏れている。どうなっているのか。本来彼はイタリアにいるはずで、自分がいたのは日本である。まず今いるここはどちらなのか、もしかするとどちらでもないのか。

一瞬よぎったのは、マフィア関係の事件に巻き込まれたのかも、という考えだった。突拍子もない発想だが、スクアーロがいるなら可能性はゼロではない。今までマフィアの恋人として危険な目に会いかけたことも何度かあったし、スクアーロにも危険が及ぶかもしれないことはよく言い聞かされてきた。いやでも、そんなまさか。

…と、血の気が引きかけたところで目についたのが、壁に貼られた写真だった。セロハンテープで雑に貼られたそれに写っているのは、付き合い始めたころの自分とスクアーロ。つられて周りを見回せば、シンプルでもそれなりに生活感がある部屋のなか、椅子にかけられているのはヴァリアーの黒いコートである。見覚えのある服やいつかプレゼントしたネクタイなんかが吊されていたりもした。

ほっと息をつく。なあんだ、ここは……




約1時間前に遡る。

フランスへ飛び、そこからさらに2つの国をまたぎ任務をこなしたスクアーロはさすがに体力が限界に達し、生まれてはじめて車酔いを体感し、空腹を抱えて屋敷への帰路についたところだった。最悪のコンディションに加えてこれからザンザスへの報告が待っているかと思うと憂鬱で仕方がない。無性に、日本にいる彼女の、あの気の抜けるような笑顔が見たいと思った。自分より一回りもふた回りも小さくやわらかい身体を抱きまくらにして眠りたい。そうしたらこの疲れも吹っ飛ぶに違いないが、あいにく日本との距離は遠かった。
窓に映るイルミネーションを見て、今日がクリスマスであることを思い出す。そうか、もうそんな季節か。しばらくすれば年も明ける。今年は数えるほどしか会えなかった。お互い忙しい身であるとはいえ、クリスマスも年末も一緒に過ごせない恋人というのはまずいのではないだろうか。愛想を尽かされていてもおかしくはない。それでも彼女の笑顔だけを願い、大きくため息を吐いた。




行事なんて興味がないくせに、この季節になるとヴァリアーの屋敷は打って変わったように賑やかになる。玄関の巨大なリースから始まり、応接間や食堂にツリーが置かれ、カーペットは赤と緑に染まる。これが泣く子も黙る暗殺部隊の根城かと思うと若干頭が痛むが、不思議とこうなるとベルやレヴィ、果てはザンザスまでもがどことなく上機嫌になるので彼にとっても都合がよかった。クリスマスくらいで浮かれているベルを見ると少々微笑ましい。だが、まさかここまで浮かれているとは。


「おっスクアーロ。おっかえりー」
「お帰りなさいスクちゃん。待ってたのよん」


まずあのベルがおかえり、なんて言うこと自体がおかしいのだ。しかしそれ以上におかしいのは、ベルとルッスーリアが赤い服と帽子に身を包んでいることである。なんともシュールなサンタクロース2人はニヤニヤしながらスクアーロの反応を窺っていた。彼の視線の先には大きな袋から顔を出したなまえ。日本にいるはずの、スクアーロが会いたくてたまらなかった彼女である。
ベルはよいしょと袋ごとなまえを床に転がすと、肩をゴキゴキと鳴らした。「ちょっとこいつ太ったんじゃね?」なんてぼやいているがちょっと待てなんでこいつの体重を知ってるんだ。なまえはすやすやと眠っている。久しぶりに見るその顔に胸が疼くのを感じたが、今は感傷に浸っている場合ではない。


「なんで…こいつがいるんだぁ…?」
「任務に駆り出されっぱなしのカワイソーなセンパイに、俺からのクリスマスプレゼント」
「あ゛ぁ!?どういうことだぁ!」


だっからぁ、と両手をひらひらさせながら金髪のサンタクロースは言った。


「スクアーロは知らなかっただろうけど、俺とオカマ昨日まで日本で仕事だったんだよ。俺はさっさと帰るつもりだったんだけどさ、他の奴らにお土産買おうってオカマが言うから、クリスマスプレゼントってことで色々買ってきたわけ。で、スクアーロにはコレ」


マジ王子やっさしー、感謝しろよなと誇らしげなベル。クリスマスで相当浮かれているようだ。ルッスーリアはルッスーリアで「いいアイデアでしょ?」なんて抜かしている。


「…じゃあなんでこいつは寝てんだよ」
「催眠ガス使って眠らせたから」
「ただの誘拐だろぉ!」
「まあまあスクちゃん。どうせならなまえちゃんにもサプライズにした方が面白…感動的でしょう?あと1時間もしたら目が覚めると思うわ」


こいつら…!スクアーロは眩暈を覚えたが、まあ正直プレゼントとしては最高のチョイスだったと言わざるを得ない。今回に限ってはベルを褒めてやりたいくらいだ。調子に乗るので絶対にしないが。疲れた身体に鞭打ってなまえを抱え上げる。部屋へ向かうスクアーロの背中に、ルッスーリアが楽しげに声をかけた。


「夕飯前には来るのよ〜。今日はとっておきのクリスマスディナーなんだから!」


どいつもこいつも浮かれやがって、と心の中で毒づいたスクアーロは、自分の足どりがやけに軽くなっていることに気づいて舌打ちした。





目が覚めてまず天井が見えた。おそらくベッドまでたどり着いて力尽きたのだろう。せっかくなら抱きしめて寝ればよかったと、キョロキョロ辺りを窺う彼女の後ろ姿を視界に捉えながら思う。細い背中に手を伸ばし、そっと触れると肩が大きく跳ねた。


「わ、…びっくりした。起きてたの?」
「今起きた」


寝起き特有の掠れた声になまえは眉を下げて苦笑し、再び部屋をぐるりと見渡した。


「ねぇ、もしかしてここ、スクアーロの部屋?」
「あぁ」
「初めて来ちゃった」
「そうだなぁ」
「でも来た記憶がないんだけど…」
「………」


職場を出たところまでは覚えてるんだけど、と首を傾げるなまえ。そこでベルとルッスーリアに襲われたのだろう。どう説明したらいいのか。散々悩んでついに出た答えはなんとも間抜けなものだった。


「…クリスマスプレゼント…」
「は?」
「クリスマスだからなぁ、サンタが届けに来たんだ」
「……まだ寝ぼけてるの?」


背中に触れていた手を腹部に回しぐいと引き寄せれば、身体ごと倒れ込んできた。変な声を上げるなまえに笑いが漏れる。どうやら詳しい説明をする気がないらしいと察したなまえは、肩をすくめ銀色の髪に指を絡ませた。


「イタリアに来るのも初めて。外の景色、どんな感じかな」
「この辺りは森しかねぇよ」
「ヴェネツィアの運河見るの、夢だったんだよね」
「遠いからなぁ、1日かかるぜぇ」
「連れてってよー。…あ、そういえばわたしいつまでここにいるの?」
「……お前、仕事は?」
「仕事?今日で仕事納めだけど」
「そうかぁ…」


しみじみと息を吐いたそのとき、大きな音を立ててドアが開いた。緑の髪をした奇抜なサンタクロースが顔を出す。


「もうスクちゃん、いつまでのんびりしてるのよ!ご飯が冷めちゃうじゃない!」
「あの、ルッスーリアさん、その格好…」
「なまえちゃんも!早く来なさいね〜!」


最後にウインクを残してルッスーリアは引っ込んだ。しばらくの沈黙の後、スクアーロが身体を起こす。


「…行くかぁ。これ以上遅れるとうるせぇからなぁ」
「ご飯?」
「クリスマスディナーだとよ」
「わ!楽しみ!」


勢いよく立ち上がったなまえの笑顔に、スクアーロはほんの僅かに眉を上げ、そして同じように笑った。


「このまま年も越すかぁ」
「えっ?何?なにか言った?」


なんでもねぇよと返すスクアーロは、屋敷中を包む赤と緑のコントラストに眩しげに目を細めた。


ジャムマリア
101225

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