いつも通りのワック並盛駅前支店。いつも通りのあたしはいつも通り塾で渡された宿題を適当にこなしていた。
テーブルの隅に追いやられている空のカップも、この時間にはいつも通り。テーブルを拭き終えたスクアーロは大きな欠伸をひとつ。ときどきあたしのテキストを覗き込んでは、スペルミスやら和訳のポイントをくれる。なんとも言えない、慣れた空間だった。秒針が時を刻む音だけが響く。

カチ、コチ、カチ、コチ。

スクアーロの視線がふとあたしの頭上に移った。ちらり、あたしも時計を見れば、案の定安っぽい時計は12時5分を刺している。

もう時間か。そろそろ帰らないと、お母さんが先に帰宅してしまう。心配させる前にと、あたしはそそくさと荷物をまとめはじめた。
最後にペンケースをしまい、立ち上がったあたしに次いで、欠伸を噛み殺したスクアーロも立ち上がる。ちょっと待ってろと言われたので首を傾げつつ秒針の音に耳を澄ませていると、店の奥からグレーのコートを抱えたスクアーロが顔を出した。


「今日は送ってやる」

「え?」


ぽかん。間抜けな顔をしているだろうあたしの前で、スクアーロがコートを着込む。無駄に幸せそうなニコちゃんの笑顔が隠れ、無愛想なブランドのロゴが顔を出した。あのブランド、たしかすっごい高級品だったような。


「おら、何してんだ。さっさと行くぞぉ」

「え、は、ちょっと…!」


いつのまにか入口に立っていたスクアーロが重量感のあるドアを軽々と押し開ける。ひんやりとした夜の空気に触れて、あたしはようやくハッとして外に出た。
背後のスクアーロが乱雑にドアを閉め、あたしを抜かしてゆく。数歩後ろをあたしが歩く。

…これは、どういう状態なんだろう。いつも通りでないスクアーロのアクションに、あたしは戸惑いながら足を動かす。
見上げてみれば、スクアーロの広いグレーの背中があった。きれいな銀髪が波打つ。


「…スクアーロさーん?」

「なんだあ」

「なんだあじゃないよ。どうしたの、突然」


真夜中に帰るのはいつものことだけど、送ってもらうなんて初めてだ。前を進むスクアーロは相変わらず長い髪を揺らしている。
そこを右、とあたしが言えば、ちらりとスクアーロの横顔が見えた。暗くて表情は窺えないけど、いつも通りだった気がする。


「お前、学校で注意されなかったのかあ?」

「なにを?」

「最近、この辺に不審者が出るって騒がれてんだぜぇ」

「…しらない…」

「どうせ居眠りでもしてたんだろぉ」


鼻で笑われてムッとするが、多分図星なので黙っておいた。朝のホームルームでそんなこと言ってたかもしれないけど、朝は破滅的に弱いあたしが聞いてるはずもない。

ていうか、わざわざ送ってくれるなんて。スクアーロってほんとに紳士。さすがイタリアンだ。
冷たい風に当たりながら、あたしは心臓のあたりがほっこり温まるのを感じた。


と、あたしの目に映ったのは公園。うちの近所で、小さい頃よく遊んでいた児童公園だ。夜の公園は盛りのカップルがウッフンアッハンするでもなく、酔っ払いがベンチに潰れてるわけでもなく、静かに月の光に照らされてひっそりと佇んでいた。

いい考えが浮かび、スクアーロのコートの背中をつまむ。


「ね、ちょっと寄ってこうよ!」

「はあ?この公園にかぁ?」

「いいじゃん!まだ時間あるし、どうせスクアーロ暇でしょ」


寄ろう寄ろう!ぐいぐいコートを引っ張り続けるあたしに観念したのか、スクアーロがため息をついて進行方向を変えた。
思わず歓声がこぼれる。小走りでスクアーロを抜かし、人気のない公園に足を踏み入れた。


「やった!わー、なんか久しぶりだなー」

「子供かお前は…」


錆び付いたブランコを漕ぎ出すあたしを呆れたように笑う。子供かなんて言う割に、スクアーロはあっさりあたしの横のブランコに座った。

ギーコギーコと、古いブランコが軋んで音をたてる。不思議と不快ではなかった。


「…もう平気みてーだなぁ」


突然スクアーロが言った。なにが…あ、この前の進路のこと?
そういえばスクアーロに愚痴ってたっけ。覚えていたことがなんだか嬉しくて、あたしの頬は自然と緩んだ。


「うん、平気。まだなーんにも決めてないけど――あ」

「あ?」

「いいこと思いついたっ!」


「たっ」と同時に飛び降りる。綺麗に着地したあたしの後ろで、予想を裏切られたブランコがしぶしぶ慣性の法則に従っていた。
振り返ればスクアーロの長い銀髪が、月光に照らされて発光しているよう。


「あたし、スクアーロの会社?に就職する!」

「はあああ!?」

「スクアーロに口利きしてもらって、イタリアとかで働く!ホラ、スクアーロ言ってたじゃん。やりたいこと探せって。あたしちっちゃい頃からヨーロッパって憧れてたんだあ」

「英語ダメなくせに何言いやがる」

「イタリア語ならできる!気がする!できなかったらスクアーロに通訳してもらう!」

「誰がするかあ!」


公園中に大声を響かせたあと、スクアーロが急に声を落とした。
「どっちにしろ、お前には絶対に無理だあ」天才的な思いつきに舞い上がっていたあたしは眉をひそめる。絶対にって。そんなのわかんないじゃないか。あたしまだ若いし、夢も希望も余分なくらい満ち溢れてるっていうのに。

…とは思いつつ、スクアーロに言われるとちょっと凹んだ。


「…ふーん、いいですよーだ。最後の手段にしとくから」

「するなあ!その選択肢はとっとと削除しとけぇ!」


なんだなんだ、そんなに嫌か。テンションがた落ちのあたしはますますジト目になった。あたしなりにやりたいこと探した結果だったのに。
口を尖らせるあたしに、スクアーロが弁解がましく言う。


「う゛おぉい、拗ねんな!なんつーか、少し、じゃねぇかなり特殊な職業なんだぁ……だから女には向いてねぇ」


体力勝負ということなんだろうか。だったらあたし、運動得意だから自信あるんだけどな。陸上部に勧誘されたこともあるんだと知ったら、少しは考慮してくれるだろうか。多分ムリだ。

あたしは小さな滑り台に右足を掛け、のぼりはじめる。5段目くらいであたしの影が月光を遮り、てっぺんの10段目に左足を置いたときには、元通りスクアーロの髪を照らしていた。小学生のころのあたしが好きだった高さから見下ろすスクアーロは、やっぱりスクアーロだった。かっこよくて目つきが悪い。少し安心した。


「スクアーロは、そのうちイタリアに帰るの?」


沈黙。イエスともノーとも取れる濁音が返ってきて、イエスなんだなと思った。そりゃそうか。こんなお高いコートを着てる人が、いつまでもワンコインで食事できるような店で働いてるわけがない。
そうかそうか、スクアーロはいつかいなくなるのか。


「それっていつになるの?」

「あ゛ー…日本には一ヶ月程度の予定で来てたかなあ」


一ヶ月。
今日はあたしがスクアーロと会ってから、二週間と半分の水曜日だ。つまりタイムリミットは、


「半月…」
「そうなるかあ」


あと半月。半月…どこかで聞いたような。と記憶を遡っていくと、思い当たる節がひとつ。「今月末には志望校決めないと、親呼び出すからな」大っきらいなあいつの顔が浮かんで、顔をしかめる。あれはたしか、スクアーロと初めて会った日の塾でのことだ。
あたしはそのフザけた宣告と、親に連絡する気満々なヤツの顔に大変憤慨して、あのやろう舐めやがって!絶対志望校決めてやる!と見慣れたワックの看板に誓ったのだった。
あれから二週間と半分。ということは、スクアーロのリミットも、あたしのリミットもあと、はんぶん。


「…帰る前に、ちゃんと知らせてよ」

「何だあ、突然」

「同じコーラを飲み回した仲じゃん」

「アレは、お前が飲まねえって言うから片付けてやったんだろぉ」

「違いますー。スクアーロがコーラな顔してたから仕方なく譲ってあげたの!」

「かわいくねぇ…!」


あたしはスルスルと滑り降り、スカートについた砂を叩き落とした。弾みに足元の小石が跳ねる。お気に入りのローファーに所々赤い錆がついているに気づいて少し後悔した。


「ねぇスクアーロ、あたしまたいいこと思いついた」


どうせ変なことだろ、とでも言うようなスクアーロの視線を無視して、あたしはブランコに歩み寄っていく。
ちょうど正面に立ったあたしをスクアーロが見上げた。あたしの影が月光を遮っても、銀髪は鈍く光っている。吐く息が白いことに気づいた。もう冬だ。


「あたし、あと半月以内に進路決めなきゃいけないんだ」
「だからさあ」
「もしあたしが、スクアーロが帰るまで他にやりたいこと見つからなかったら、スクアーロ、あたしをイタリアに連れてってね」


ごつい手を取り勝手に指切りし終えると、ぽかんとしたままのスクアーロがいた。










「…お前、バカだろぉ」
「うん、知ってる」







悪くねぇなと笑う彼に、おもわずどきり。(ふ、ふいうち!)

091026

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