スクアーロがいなくなった。

あの日別れてから三日。きっと大丈夫、スクアーロがマフィアでも暗殺者でもあたしたち何も変わらないって信じきっていたのに、その三日後、ワクドナルドからスクアーロの姿はなくなっていた。スクアーロがいつも迎えてくれたレジではメイクの濃いギャルがかったるそうに座っていて、かったるそうに前のアルバイトが辞めたことを告げた。


そりゃあそうだ。だってスクアーロの仕事は終わったんだから、もうここに潜入し続ける必要はない。後片付けがいろいろと残っているからしばらくは日本に留まると言っていたけど、それだってバイトを続ける理由にはならない。もしかしたらその後片付けも終わってしまったのかもしれなかった。

どちらにせよスクアーロはもうここにはいない。あたしは店先に突っ立ったままどうすることも出来ず、馬鹿な自分に苦笑するしかなかった。
そりゃあそうだよね。

あたしは唇を噛み締めてわらった。そりゃあそうだ。



自然と頭の中でリピートされるのは4週間前のこと。いつも通りワック並盛駅前支店に駆け込んで田中を呼んだら、顔を出したのは似ても似つかない外国人だった。仲が良かった田中があたしに何も告げずに辞めていたことを知らされた。あのときの、いやあのときとは比べものにならないくらいの穴がぽっかりとあたしの中にできてしまった気がした。
たとえば飼っていたハムスターが学校から帰ってくると死んでいた、あのときの気持ち。いつもの日常にぽっかり穴が空いて、そこに何か落とし物をしてしまったような。


きっと穴に落ちたのはあたしのほう。スクアーロはあたしを落としたのに気づかないで、マフィアの日常に戻っていく。穴はそのうち邪魔になってふさがれて、ただの思い出になってしまう。


「ねぇ、何なの?家出?早く帰ってもらわないとさぁ、通報?あっ、補導?しなきゃいけないんだけど。…ちょっと、アンタ泣いてんの?」


泣いてなんかいない。泣いたりなんかしない。この前だって死にそうになっても泣かなかったんだから。…スクアーロが、いた、からだけど。
みるみるうちに視界がゆがんでいく。こらえきれなくてあふれだすそれがどうしようもなくくやしい。


「…どこ行ったんだよ馬鹿アーロ。ねぇ、なんで、」



何も言わずにいなくなったりするんだよ。




回れ右して扉を乱暴に開けると、あたしは店を飛び出した。がむしゃらに走って、走って、とにかく走る。くやしくてさみしくて悲しくて、それでもスクアーロが好きでたまらなかった。会いたいよ、行かないでよ。約束したじゃん。
将来とか進路とかそんなのどうだっていいから、スクアーロのところに連れてってよ。




真っ暗なアパートが見えてきたところで、あたしはようやく失速した。今日はくだらないテレビでも見て英語の宿題を適当に済ませて寝てしまおう。お母さんにこんなひどい顔を見られるのはいやだった。

家に入ろうとして、玄関の横の郵便受けから何かはみ出ているのに気づいた。リボンだ、赤の。はしを引っ張っるときれいにラッピングされた小さな箱。片手で抱きしめてあわててリビングに飛び込むと、ストーブもつけずにリボンをほどいた。ダークグリーンの包装紙を破らないように注意しながら蓋を開ける。


「…ありえない」


小さく呟いた声は震えていた。泣きそうになったからじゃない。おかしい話だけど、あたしはくすくす笑っていた。だってこんなの、笑うしかないでしょ。
ひとしきり笑ったあと、はあっと大きく息を吐く。氷点下の部屋で白く染まった空気をもう一度深く深く吸い込んで立ち上がると、あたしは家を飛び出した。飛び出したり飛び込んだり、今日はまったく忙しい日だ。ローファーのかかとをつぶしたまま走る。

行き先なんて考える必要もないんだ。









「…ひでぇ顔だ、なぁ」
「ひ、一言目が、それっ、て…」
「せめてその流れてるモンを拭けぇ」
「涙、鼻水、汗、どれになさいますか」
「全部だ馬鹿」


夜の公園は相変わらず暗く、初めてスクアーロと来たときより寒かった。このままずっと寒くていい。スクアーロがここにいるなら。スクアーロが揺らすブランコも吐いた白い息もあたしの荒れた呼吸も、みんなみんな凍りついてしまえばいい。たった今ふたりここにいる時間ごと止まってしまえばいい。


「…久しぶり、だなぁ」
「うん」
「相変わらず無駄に元気だなぁ、てめぇは」
「誰かさんと違って若いもので」
「つうか何だその格好。寒くねぇのかぁ?」
「寒いに決まってるでしょ今12月だよ」


いきなり飛び出してきたから上着も着ていない。走るのをやめると、汗をかいたぶんますます体は冷えていく一方だ。呆れた顔のスクアーロが、ダークグリーンのマフラーを投げてよこす。スクアーロの体温がほんのりあたたかい。マフィアだって、あったかいんだなぁ。


「…どうして?」
「……悪ぃ」
「何が?勝手にいなくなったこと?あたしを巻き込んだこと?いつのまにか住所とケータイ番号を調べてたこと?」


マフラーを胸にぎゅっと抱きしめたまま一気にまくし立てる。スクアーロは視線を落として黙っていた。夕ごはんで嫌いなものが出たときの子供みたいな顔。


「あたしが聞きたいのは、どうしてこれをお返しにチョイスしたのかってことなんだけど」


制服のポケットから小箱を取り出し、蓋を開ける。場にそぐわなすぎる脳天気な笑顔が顔を出した。スクアーロにぜんぜん似合わない、見るたび吹き出してしまうワックのマスコットキャラクターのニコちゃん。
まったく、憎たらしい笑顔だなぁ、もう。


「大の大人がクリスマスプレゼントにニコちゃんキーホルダーとクーポン券ってどんなセンス?おかしいでしょ絶対!あたしネクタイピンあげたよね?何分の一返し?」
「それしか思いつかなかったんだぁ!仕方ねぇだろぉ!」
「仕方なくないよ!あたしがキッズセットのおまけ貰って喜ぶと思ったのか!!」


スクアーロがうっ…とつまった。図星かこのやろう。あたしを何歳だと思ってるんだ。たしかにコーヒー飲めない炭酸きらいなココア好きですけど。


「それに…あたし、もうあそこには行かないから、このクーポンも使わない」
「ぁあ?」
「スクアーロがいないなら行かない。新しい人とも気合いそうにないし」
「何だその理由」
「何でも。あたしはスクアーロがいいの」


いつもあったかいあの店であたしを迎えるのも、少し照れた「いらっしゃいませ」も、あたしのためのココアもくだらない話も愚痴も、ぜんぶスクアーロがいい。スクアーロじゃないなら意味がない。


「スクアーロが欲しい」













「……………………………お前、すげぇ発言を、」

口元を手で覆ってスクアーロがうろたえる。長い髪のすき間からのぞく耳が真っ赤なのは、寒さのせいじゃない、と信じたい。じゃなきゃ不公平だ。あたしなんて自分の言葉に頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になってるにちがいない。
ほ、欲しいって!
せめて好きって言えばよかったのに!!

スクアーロがゆっくりとブランコから降りて、あたしの前まで歩いてくる。さっきまでの赤みも情けない顔もすっかり消え失せ、真っすぐな視線があたしを捉えた。心臓がどくどく鳴ってうるさい。涙やら汗やら鼻水やらでひどい顔を見られたくないのに、目がそらせない。


「半月前、ここに来ただろぉ」
「…うん」
「お前が勝手に無理矢理ロクでもねぇ約束こしらえたときだぁ」
「す、すいません」
「今なら叶えてやれる。…どうする?」


約束。あたしの進路が決まらなかったら、スクアーロがイタリアに連れていってくれる。今思うととんでもない約束したものだよなぁ、マフィアだよマフィア。無知っておそろしい。
ほんの数週間前の自分のことなのに、びっくりするくらい他人事に思える。思い出すだけで笑えちゃうくらいに。

自分の将来のこと、これからの未来。1番置いてきぼりにしてた悩み事だったのに、答えはいつのまにかついてきていた。いつから決まってたんだろう。好きになったあの日かもしれないし、ついさっき時間が止まればいいと願ったときかもしれなかった。
相変わらずあたしは無知で怖いもの知らずの無鉄砲だけど、きっと、迷わない、大丈夫。


「決めたよ。進路」
「………そう、かぁ」
「でも、やっぱりスクアーロに叶えてもらいたい」
「う゛ぉぉい、どういう意味だぁ?」







「スクアーロの、お嫁さんにしてくださ、い、」





次の瞬間には視界がグレーに染まっていた。ためらいがちに大きな背中に手を回すと、あたしを抱きしめるスクアーロの腕の力が強くなる。
あったかくて息苦しくて目の奥が熱くなって、あたしはスクアーロの胸板に一生懸命頭をすりつけた。

すきだ、ほんとうに、すき。マフィアだとか関係ない。だってこんなにあったかい。


「…いいの?」
「約束だからなぁ」
「内容、かなり違うと思うんだ、けど」
「自分で言ったくせに」
「そ、そう だけど、」
「いいから泣き止めぇ。…叶えてやる、惚れた女の願いだからなぁ!」
「!!」


これはやばい。
大変まずい。恥ずかしくて顔をあげられない。いっそこのまま窒息死してしまおうか。




「あと俺のコートに鼻水つけんじゃねぇぞぉ」




…なんかもう死んでもいい気がする。



レシート裏に書かれた番号


100213

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