大きなクラクションと突然の急ブレーキ。あたしと田中の乗った車はおもいっきり傾き、ひっくり返るスレスレのところで倒れた。
「いったあ…」
「ちっもう来たか」
「田中?」
田中は舌打ちすると、バックミラーを見つめてニヤッと口を歪ませた。ぞっとする。なにかが背中を走ってあたしはシートベルトの金具に手をかけた。
「まあいいか。バーガー、降りてみろよ」
田中が車のロックを解除する。近くには見覚えのない廃工場が見えた。
促されるままに降りると、あたしたちの車から数十メートルほど後ろに黒塗りの外車が止まっていた。運転席の窓が空いている。あの車があたしたちに何かしたんだろう。
「気をつけてくれよ。お前いないと俺がヤバいんだから。
…で、そろそろ出て来たらどうなの。暗殺部隊ヴァリアーの幹部さん…いや、ワックの深夜シフトの店員なんだっけ?」
は?
あたしの頭が回りださないうちに、車から人影が現れる。いつかのティアラと同じ真っ黒のコートを着た長い銀髪。いつも渋りながらあたしにココアを渡してくれる右手に拳銃を握って、スクアーロは立っていた。
「てめぇが田中だな」
「どうもはじめましてS・スクアーロ」
「まさかターゲットの元バイト先に潜入することになるとは思わなかったぜぇ」
「俺だって、新人アルバイトが俺を狙ってるマフィアだなんて夢にも思わなかったさ」
「いつ気づいた?」
「あんたが日本に来る少し前かな。親切な友人がいてね」
「…部下にスパイが紛れてやがったとはなぁ。どうりでてめぇの情報が掴めねえはずだぜぇ」
「そっちの情報は筒ぬけだったけどね。潜入先で会った女の子にうつつを抜かしてるとか」
「………バーガーをどうする気だぁ?」
急にあたしの名前が出てきて、心臓が跳ね上がった。スクアーロはあたしをちらりともせず、田中に銃口を向けている。田中もいつのまにか銃を構えていた。
一触即発。理解不能。いますぐスクアーロ元へ駆け寄りたいけど、会話の流れからしてそれはあまりにも無謀に思えた。なにより二人の手にある物騒なものが今にも火を噴きそうで冷や汗たらたらである。
「俺も出来るかぎり殺したくはないんだよね。知り合いの死体って後味悪いし」
「大人しく見逃せってかぁ?」「とりあえず空港までの安全を確保してくれればいい」
「その先はてめぇの取引相手が守ってくださる訳だ」
「あんた次第だよ。のこのこついて来たこの子と俺の持ってる情報、どっちを取るか」
話がとんでもない方向へ向かっている気がしてならない。あたしの死活問題とか、笑えない。
どれだけスクアーロを見つめても視線が交わることはなくて、焦燥感が募るばかり。どうしてこっち見てくれないんだろう。
「ス、スク」
「行けぇ」
「!」
「イタリアだろうがアフリカだろうが勝手に行きやがれ。ただし空港に着いたら必ずバーガーを解放しろぉ!」
隣で田中がにやりとするのがわかった。スクアーロはこっちに背中を向けて黙っている。
「交渉成立。良かったな」
よかった?よかったわけない。こんな怪しい取引乗っていいはずないことくらい、話を飲み込めてないあたしでもわかる。
横目で見ると、機嫌良さそうな田中が車に乗り込もうとしている。
今しかない!考えるより先に足は動いていた。
「バーガー!!」
スクアーロがこっちを見て叫んだ。やっと見てくれた呼んでくれた、うれしくて顔を上げたあたしの目に、銃を構えた田中が映る。
喉がひゅうと鳴って足がもつれる。やだ、こんなところで。走れ、走れあたしの足!
生まれて初めて銃声を聞いた。耳をつんざくような音だった。
ああ、まさか銃に打たれて死ぬなんて思わなかった。でも仕方ないかな。最期にスクアーロの声が聞けてよかった。
「いい訳あるかぁ!!」
「……え?」
「全部口に出てんだ馬鹿!転んで死ぬ訳ねぇだろうが!」
「え、え?だってあたし打たれ…」
て、ない。
ゆっくり起き上がって体中見回しても、スカートから覗くひざ小僧が少し赤く滲んでいるだけだ。
「生きて…る?」
「聞くなぁ!」
「…生きてる」
「残念ながらなぁ。おら、とっとと帰るぜぇ」
「う、うん」
どうして、とこぼれかけた言葉は、スクアーロの右手に握られた銃に飲み込まれてしまった。田中が気になったけど、結局怖くて振り返れないまま、あたしはスクアーロの後を歩きだした。
車の中で聞かされたのは、長い長いドラマみたいな話だった。スクアーロは田中を追って日本に来たイタリアンマフィアだということ。偶然田中のアルバイト先に潜入することになって、そこで知り合ったあたしにうっかり本名を教えてしまったこと。自分の部下が田中の協力者で、あたしとの関わりを知った田中が人質にしようとしたこと。それとそれと、さっきスクアーロに撃たれた田中はこれからイタリアのマフィアの本部に身柄を引き渡すこと。
全部聞き終えた頃には、あたしの頭はすっかり落ち着いていた。
「…山本くんもマフィアだったなんて」
「まぁ、あいつにも色々あったんだろぉ」
「まだ中学生なのに…」
「………つうかお前、山本はともかく、隣にいるマフィアは怖くねぇのかぁ?」
スクアーロはぽつぽつと降ってきた雨に鬱陶しそうに舌打ちしてから、片眉を上げてあたしを見遣る。笑うのも場違いな気がして、あたしは前を見たまま指先でシートを弄っていた。
「うーん…びっくりしたけど、怖くはない よ」
本当に。だってさっきの方がよっぽど怖かったのだ。
「なんか、謎が解けてスッキリしたし。スクアーロってほんとの名前なんでしょ?ほんとの名前教えてもらえてたっていうの嬉しいし。マフィアとか一般人とか、あたしは関係ないと思う」
これはちょっとウソ。とんでもない人と関わっちゃったなぁって思っている。マフィアは普通の、そうあたしみたいな普通の人間とはちがう。
でもそれでもあたしはスクアーロがすきで、その気持ちは変わることはなくて、あの時助けに来てくれたスクアーロが王子様みたいに見えたのは本当のことなのだ。
スクアーロはぽかんとしてあたしを見ていた。前見ないと危ないよ、と肩を突くと慌ててハンドルをきる。そして思い出したように大きく息を吐いた。
「…お前、やっぱ馬鹿だなぁ」
「はっ?」
「単純で怖いもの知らずで無鉄砲で……」
「ちょ、ひどい」
「嫌いじゃねぇぞぉ」
その顔があまりにも優しくて、まるで愛おしむようだったから、あたしは時間が止まればいいと願わずにはいられなかった。
「…あ、そ、そうだ、あたしスクアーロにプレゼント買ったんだよ」
「あぁ?」
真っ赤な頬をごまかすようにポケットを探ると、少しラッピングの崩れてしまった箱が出てきた。スクアーロは運転の合間にちらちらとこっちを伺う。やがて赤信号で車は停止した。
「これ!クリスマスプレゼント!」
「…今日クリスマスじゃねぇだろぉ」
「だって当日会えないし…いつものお礼ってことで。後で開けてよ」
スクアーロの手にぐいぐい押し付ける。ラッピングされた箱を不思議そうに見つめたあと、スクアーロは困ったようにあたしを見た。
「わりぃ、何も用意してねぇ…」
「いいよそんなの。あたしがあげたかっただけだもん」
「………サンキューなぁ」
それから他愛もない話をたくさんして、いつもの公園でスクアーロと別れた。いかにも高級な黒塗りの車がどんどん遠ざかっていくのを見て、あたしはさっきのスクアーロの微笑みを写メらなかったことをいまさら後悔した。
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