ボンヤリ歩いていたのがわるかったんだ。わたしはひとりになるとじっと考えこむ癖がある。それをいまほど後悔したことはなかった。うつむいて震えるくちびるをぐっと噛みしめると、無性に泣きたくなった。
「あれ〜?泣いちゃうの〜?」
この制服はたしか、隣町の高校のものだったとおもう。ニヤニヤしながらわたしの前に立ちはだかる男のひとたち4人組。ボンヤリ歩いてたわたしがわるかったんです。前を向いて歩きなさいってお母さんにも友だちにもいつも言われてたのに。
「痛いのはお兄さんのほうなのにな〜」
「ヤッベ、痛すぎてマジ泣きそう」
わたしの肩は金属製でもなければたんすの角でもない。ましてわたしよりずっとおおきな男のひとを泣かせるほどの強度があるわけがない。ほんとうに、ちょっとぶつかっただけなのだ。
こんなときに限ってまわりには誰もいない。ぎらぎら光る高校生たちの目つきがきもちわるかった。吐きそう。男のひとなんてきらい
「あーあ、肩動かねぇんだけど。どうしてくれんの」
「………」
「これ折れてんじゃね?ヤバくね?」
「死ぬっオレ死ぬっ」
「………」「なんとか言えよっ」
どん、っとおもいっきり肩をおされて尻餅をついた。かばんがどこかに飛んでいく。もうやだ。目の奥がじんじん熱くなる。もうやだ。帰りたい。ぽろりと涙がこぼれたそのとき、「おい」とべつの声がした。
かみさまの声かと思った。
かみさまはぎんいろの髪をしていた。道路のはしに飛んでいったわたしのかばんを拾いあげると、歩み寄ってわたしに手を差し延べた。呆然としているわたしにしびれを切らしたのか、手首を掴んでからだを引っぱり上げる。スカートについた砂を払い落とし、何もなかったかのようにすたすたと歩きだす。もちろん男のひとたちが黙って通してくれるはずもない。4人はニヤニヤ笑いをもっと不気味な笑いに変えてわたしたちを見下ろした。
「あれ、王子様登場?」
「カッコイイ頭してんね、中坊!」
「なになに、カレシ?」
「無視すんなよ、つれないな〜」
わたしには背中しか見えなかったけれどスクアーロのまとうオーラというか、雰囲気が変わったのをビビビと感じた。相当こわい顔をしたにちがいない、4人の顔がみるみる青くなっていく。おもわずスクアーロの服の裾を握りしめた。
「ス、スクアーロ…」
やっとのことで出した声はかすれて蚊の鳴くようなちいさなものだったけれど、スクアーロはちゃんと振り返ってくれた。ズボンの後ろポケットにつっこまれた帽子を引っぱりだす。見覚えのある野球帽。お兄ちゃんが昔使っていた、いつかスクアーロの髪を隠すためにあげた帽子だった。すこしシワのついたそれをわたしの頭にすっぽり被せて、つばを目一杯下げる。視界がまっくらになった。すこしおおきめの野球帽はわたしの耳まできれいに隠してしまう。
「まってろぉ」
低い声が、野球帽をこえてしっかりと耳に届いた。こくこくと何度も頷く。それを合図にしたように、高校生たちの怒声が上がった。わたしはただただ必死に目をつぶって耳をふさいだ。
大丈夫かぁ、と声がして、ようやく力が抜けた。その場にしゃがみ込んだわたしのあたまをぽんぽんと叩く。つばを持ち上げて見上げたスクアーロはケガひとつ見当たらなかった。ホッとした。辺りにはさっきの高校生たちが4人とものびている。血まみれの大惨事にはならなかったみたい。じぶんより一回りも二回りもおおきいひとを相手にして、スクアーロは息も上がっていない。
「スクアーロは大丈夫なの?」
「こんなもん、なんともねぇ」
「ケガしてない?」
「してない」
「ほんと?」
「ホント」
強がってるわけではなさそうだ。すごい。スクアーロ、つよい。つよすぎる。呆気にとられるわたしをスクアーロが不思議そうに見下ろした。
「助けてくれて、ありがと」
「………べつに」
「でも、どうしてここに来たの?」
「…お前の家、行くつもりで……そしたら、見えた」
わたしが悪いひとたちに囲まれてるところを、スクアーロが偶然見つけたということらしい。あまりにも偶然で、でもほんとうにホッとして、いろんな糸がいっせいにぷつんと切れたみたいに涙がこぼれた。スクアーロがギョッとする。
「う、う゛おぉい…」
「…ひっく……うえ」
「な、泣くなあ!」
「むり……」
「う゛お゛ぉい!!」
あわてふためくスクアーロは、これ以上ないほど眉をよせて下げるという器用なことをしてからストンとその場にしゃがんだ。ためらいがちに手を伸ばして、わたしの背中をさする。ごしごしと痛いくらい力が入ってる。というかカチコチになってる。不器用な手がおかしくて笑いが込み上げてきたけど、そのつたない仕草があったかくて、わたしはもうしばらく泣いたふりをした。
「その野球帽」
「?」
「なつかしいね」
「そうかぁ?」
「だって、被ってるところぜんぜん見ないから。捨てちゃったのかと思ってた」
そんなことするかというように、スクアーロは首を振った。頭が押し込まれるみたいでニガテらしい。それでも持っていてくれたのが嬉しかった。初めてふたりで出かけた動物園。あの頃はスクアーロとどきどきしながら話していた気がする。スクアーロもあまり喋らなかった。あの日からふたりはもっと近づけたような気がする。たいせつな思い出。
日はすっかり傾いて、夕焼けがわたしたちを包んでいた。あのあとスクアーロに散々甘えたおかげで、わたしの心はびっくりするくらい穏やかだ。あんなに怖かったのがうそみたい。
「ね、スクアーロ。覚えてる?わたしがディーノくんに言ったこと」
「あ?」
「スクアーロはやっぱり、王子さまじゃなくてナイトだよ」
かっこよかったよと笑えば、スクアーロの耳も夕日色に染まった。
100816