ものごとっていうのは案外あっさりひっくり返る。


その日のわたしはいつもよりスローペースで、たっぷり時間をかけて帰り道を歩いていた。お母さんとケンカしちゃった 昨日の夜。理由はほんとにささいなことだったのだけれど、変なところで似ているわたしたちはこじれにこじれ、さらにどうでもいい口論になり、くだらない意地の張り合いにまで発展した。お兄ちゃんは一人暮らしで家にいないし、お父さんは帰りが遅い。このままだとパート勤めのお母さんとふたりっきりで夜まで過ごすことになる。謝ってしまえばいいんだけど、それは負けたみたいでいや。そもそもなんでこんなケンカになったんだろう…はあ。ため息をついて曲がるはずの角をまっすぐ進む。見えてきたのは人気のない、ぽつんとさみしげに佇むコンビニ。財布にはちょうど120円。缶ジュースくらいなら買える。自動ドアの横の自販機に立って、上から順に商品を眺める。マイブームの抹茶オレは品切れだった。…オレンジジュースでいいや。100円玉を流し込もうとしたとき、たいせつな銀貨がつるりと指からすべり落ちた。


「あっ」


とっさに伸ばした右手もむなしく、銀色のコインはやけに青空を反射させてきらきら光りながら落下していき、コツンと音をたててアスファルトに転がった。そのままコロコロ転がって、消えた。あろうことか自販機の下に!


「さ、さいあく…」


なんなんだろう今日は。朝の占いは見逃したけど、ぜったい12位だ。思い返せばかならずチェックする占いを見逃したときからわたしの運は不幸へ急カーブしていたにちがいない。こうなるとますます喉がかわいてくる。……。
辺りを見回す。あいかわらずだれも通らない。覚悟を決めてその場にかがみ込んだ。伸ばした腕はなんの感触にも出会わない。小石かホコリかほかのなにかが指先をかすって、わたしをしかめっつらにさせていく。きたない。いまのわたしだけはだれにも見られたくない。たった100円のために、変なかっこうでみっともないことしてる。ああ、もう!でも喉が渇くんだってば!なかばヤケクソになりつつ腕を動かしていると、ウィーンと聞き慣れた機械音がした。からだがぴたりと固まる。いまのは自動ドアの音、だ。コンビニの。つまりお客さんがいて(店員さんかもしれない)、その人がでてきて、しかも店を出たところで足を止めている。わたしを見ている。背中にずきずき突き刺さるビームみたいな視線に泣きたくなった。さいあく。さいあくだ。いたたまれない気持ちを引っ張りおこして立ち上がる。だれもいないだれもいないだれもいない…暗示をかけて振り返ったわたしを、ひとりの男の子が見下ろしていた。コンビニの袋を片手にさげている。
この世にかみさまなんていない。


「……」
「……」


絶望とか恥ずかしさより先に、わたしは男の子の容姿に目をうばわれていた。すらりとのびた長い足、細いからだ、つりあがった目、整った顔立ち、ぎんいろの髪。ぎんいろ。転がっていった100円玉。100円玉!わたしはハッとして視線をそらした。この状況でガン見とか、ただのおかしな女の子だ、わたし。気まずい気持ちでアスファルトとにらめっこしていると、足音が近づいてきた。視界にぎんいろ、 顔を上げる。男の子がわたしの隣にかがんで、数秒、背筋をのばした男の子のてのひらには、ホコリまみれのコインが握られていた。あぜんと口を開けたままのわたしに黙って差し出してくる。日本語が 話せないのかもしれない。昼の日差しで反射したぎんいろは人工的なものには見えなかった。どぎまぎしながらやっとのことで手を出すと、ころんと置かれた100円玉。おかえり なんて見当違いなことを考えた。


「あの、ありがとう」


こくりと頷く。


「あの…えっと、なにか飲む?お礼におごるよ」


反応なし。
わからないんだ、やっぱり。100円玉を右手で持ち上げて自販機を指差す。首をかしげられた。こうなったらなるようになれ。どうせこれ以上わるくなることなんてない。きっと。


「…ア、アーユードリンク?」




このときほど、英語の授業をまじめに受けていればよかったと思ったことはなかった。




もう一度言おう。ものごとっていうのは案外あっさりひっくり返る。わるいことはいいことに、アンラッキーはラッキーに。結果としてわたしはオレンジジュースを、スクアーロは自分のお金でサイダーを買い、わたしはスクアーロの家庭教師になって、スクアーロを一目見て気に入ったお母さんとなんとなく仲直りしたわけだけど、人生でこんなに恥ずかしい出会いをしたのはこの日だけである。




「よくわたしに日本語教えてもらおうと思ったよね、スクアーロ」
「………」


100702
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