「カインせんぱぁい」


夕焼けがまぶしい。窓枠に寄り掛かっているため、ガラス越しの夕日が背中を焼くように熱かった。ならばどけばいい話だが、なんとなく腰を上げるのが億劫でさきほどからそのままの体勢でいる。時を刻む針の音。途切れとぎれのペンを走らせる音。再び動きの止まったペンでコツコツと机を叩き、なまえが声を上げた。呼んでいる名はたしかに自分のものであるが反応はしない。するとなまえはもう一度不満げな声を出した。


「無視ですか、カインせんぱぁい」
「………」
「もう帰っちゃおうかなぁ」
「ふざけるな。まだ3ページも進んでないだろう」
「聞こえてるじゃないですか〜」


しまった。無反応を決め込んでやるつもりが、だるそうななまえにつられて返事をしてしまった。反応が返ってきて満足したのか、なまえは口元をゆるめた。だらしのない顔はやめろ と言えば 先輩はもっと顔の柔軟したほうがいいですよ ときた。ああ言えばこう言う、余計なお世話である。


「もういいでしょう、これ以上勉強したらわたし頭おかしくなります」
「勉強のしすぎで頭がおかしくなった奴などいない」
「いますよう、わたしの目の前とか」
「殴られたいのか」


きゃっカイン先輩らんぼう!とわざとらしく声高になるのがいらだたしい。思えばいつもいつもこうしてこの生意気な後輩にからかわれている。軽くあしらってやれば済む話なのだが、あいにく自分の性格上どうしても反応してしまうのだ。どちらにせよ今日ばかりはこいつに真面目になってもらわなければならない。締まりのない顔や丸められた背中に、夕日をさえぎる自分の影が差していた。


「カインせんぱぁい」
「……」
「また無視ですか?拗ねないでくださいよう」
「お前はもっとハキハキと喋れないのか?」
「だって疲れたんですもん。もうやめにしましょうよ〜」


俺だってやめにしたい。だいたいこうしてこいつに付き合ってやっているのも、本来はこいつのためなのだ。王宮に仕える者ならばかならず定期的に受けなければならない試験。直属の兵士だけに留まらず、もちろん魔導師も例外ではない。自分やセシルはすでに数日前に合格していた。もっとも、自分たちのような軍を指揮する立場であれば受ける前から合格は決まっているので、試験は形式的なものにすぎないが。
なまえの試験は明日だ。だというのにこの調子なのだから、ローザが心配するのも無理はない。


「今日一日堪えればいいことだろう。せめて暗記事項だけでも覚えろ」
「って言ったって太字の語句いっぱいあるじゃないですか…」
「必要なのは太字全部じゃない。そうだな……」


窓から下り、なまえに覆いかぶさるような格好で本を覗き込む。赤いインクにペンをひたし、それぞれ重要なところを書き込んでいった。魔導師用の指南書であるから騎士団のものよりレベルは高いが、最低限必要な知識は同じだ。丸で囲ったり線を引いたりしている様子を、なまえは黙って見つめている。静かにしていればまだ可愛いげがあるんだがな。と手を動かしているとなまえが口を開いた。


「…せんぱぁい」
「なんだ」
「やっぱりわたし帰りたいです」


数分前とまったく変わらないことを言うなまえにため息が出る。ここまでしてやっているのにそれか、と思うのは恩着せがましい考えだろうか。


「そんなに俺に教えられるのは嫌か」
「べつに嫌じゃないですけど、むかつくんです」
「お前な…!」
「先輩がわたしにこうやって付き合うのは、わたしのためじゃないでしょう」


ローザさんに頼まれたからでしょう?と言葉を続けるこいつはこんなときばかり真剣な目をするからたちが悪い。…いや、たちが悪いのは俺の方なのかもしれない。なまえはじっと俺の顔を睨みつけるように、あるいは泣きそうな顔で見つめる。赤いインクがジワジワと染みをつくってゆく。


「先輩はずるいですよね」


そう言い放って、なまえは立ち上がった。染みのついた指南書をパタンと閉じ乱れのない手つきで布にくるむ。くるりと向きを変えたなまえの腕を思わず掴むと、振り向いた顔が夕日に照らされてまぶしかった。


「いちいち夕日の影をつくってくれるところとか、先輩はほんとうにずるいです」


なまえは揺るがないまっすぐな瞳をわずかに伏せ頭を下げた。そのまま走り去ってゆく。図星だったものだから、俺は引き止めることができなかった。


100912
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -