「ひでえ雨。こりゃ仕方ないかな」

二人で楽しみにしてた隅田川花火大会は突然の豪雨で中止になってしまった。この花火大会が始まって以来だという。

「どこか雨宿りしなくちゃ」

そう言って、持田さんは俺の手を取ると、車を停めていたパーキングへ一目散に駆け出した。パーキングは程近かったから、ずぶ濡れにならずに済んだのは不幸中の幸いか。それぞれ運転席と助手席に乗り込むと、申し合わせたように溜息をついた。


「このまま、家に帰るのも考えたんだけど、渋滞してそうなんだよね。どこかいい場所は……、うーん」

暫く頭を抱えていた持田さんが急に「そうだ!あそこだ!」と声を上げ、車を発進させた。

少しして、持田さんが車を停めたのは一軒のホテルだった。きらびやかな外装こそないものの、明らかにビジネスホテルとは違う目的のものだろうホテル。呆然としていると、「とりあえず部屋に上がってゆっくりしようよ」と持田さんが言うので、仕方なく後をついていくことにした。

確かにホテルの内装もシックで気の利いたビジネスホテルと思い込めば、違和感はない。ベッドのサイズがダブルじゃなければ、何も気に留めなかったろう。

持田さんは広いベッドを気に入ったのか、着のみ着のままでベッドへダイブし、そのままゴロゴロと転がっている。

「椿君もきなよ。つったってるのもアレでしょ」

急かされて、持田さんの傍らに滑り込む。それから、向かい合うと持田さんの顔が近くて、思わず息を呑んだ。長い睫毛、アスリートにしては白い肌、くしゃくしゃのくせっ毛。こんなに近くで持田さんの顔を見つめたのははじめてのことで、やめろと言っても心臓がざわめきたつ。

「もしかして、椿君ってこういうとこ来るのはじめて?ま、俺もそんなに来る方じゃないけどね」

俺が緊張しているのを知ってか知らずか、持田さんが俺の背中をすうっと撫でる。それは何度も繰り返され、次第に強ばった筋も弛緩されていった。

「こんな風に椿君のこと抱きしめるのってはじめてだよ」

そう言いながらも、持田さんは犬か猫にするように俺の背をさすり続けている。どうしてかと言えば、俺が必要以上に接触を拒んでいたからだ。持田さんとはお付きあいをしているつもりで、そういう関係になるつもりでいても、俺の中のチキンが邪魔して踏み留まってしまう。

「俺、高校の頃、彼女みたいな人はいたんです」
「へえ、初耳!詳しく聞かせてよ」
「でも、手繋ぐのがやっとで、何もできなくて、『好きだ』とも言えなくって、高校卒業したら音信不通になっちゃいました」
「椿君はその子のこと、本当に好きだったの?」
「……今になってみてはわかりません。あの人にも悪いことしたなって思います」
「女の子はそれでも椿君といることを望んでたんでしょ。気に病む必要はないと思うけど」

そして、持田さんは身を乗り上げると、「俺は椿君のことが好きだよ」、そう耳元で囁いた。「椿君のすべてを受け止めるつもりでいるよ」とも。

持田さんが俺を見るその瞳は慈愛の色に満ちていた。ピッチの上の持田さんしか知らない人物がこんな穏やかな表情の持田さんを見たら、なんと言うだろうか。

「椿君?」

俺の鼻っ柱と持田さんの鼻っ柱がぶつかる。大きく見開かれた瞳は俺だけを捉えていて、恥ずかしさのあまり、つい、目を逸らしたくなる。

「……嫌?」
「な、そんな、嫌なわけないじゃないですか。ただ、俺、こんなことはじめてで」
「わかった」

それから、再び、持田さんは俺の背を撫でた。ゆっくりゆっくりと撫でた。その優しい指遣いにほっとする。

すっかり持田さんに身を預けきっていたその時、彼の腕がぐっと俺を抱き寄せた。これから持田さんとキスをするんだと思った。身体は預けっぱなしにして、きゅっと目を閉じた。やがて唇に何かが触れた。少し肉厚でやわらかな異物。それは持田さんの唇だろう。触れるだけのキスは優しかった。ちゅっちゅと小鳥が啄むようなものに変わったそれは、俺が思い描いていたくちづけとは違っていて、心も全身も溶かされそうになる。

少しずつ目蓋を開けてみた。そこには目を見開いた持田さんがいて、一瞬、戸惑ったが、すぐに彼の琥珀色の瞳に見入られてしまう。

「……そんなに見られてると集中できないッスよ」
「なんでさ。椿君のかわいいところ見てたいのに」
「俺の何がかわいいのかわかんないです」
「だから、そういうところがいいの」

年上の余裕なのか、持田さん本来の気質のせいなのか、いいように転がされている気がしなくもない。だが、この二人きりの時間や空気や何気ない会話が本当に愛おしいのもまた事実だ。今は持田さんにすべてを委ねて甘えてしまいたい。笑われたらそれまでだけど、今日の持田さんは許してくれそうな予感がする。

「……雨、止んだみたいですね」
「そうだね。椿君は帰りたい?」
「や、その、時間が許すまで一緒にいたいです。……だめですか?」
「だめだなんて言うわけないでしょ。俺もさ、椿君とこうゴロゴロしながらいろんなことを話したいんだよね。昔のことも今のことも未来のことも」


――俺のはじめてのくちづけは流されるままの産物だったのかもしれない。でも、それは確かにこの上ない至福感と優しさをもたらせた。例え、いつか思い出のひとかけらになったとしても、痛みは呼び起こさない。そう確信してる。

だから、俺は持田さんと二人で朝焼けを見たいと思った。


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